(概要)
19世紀末から20世紀初頭にかけて、米国は大国として台頭し、日本も日露戦争後に近代国家として登場するなど、国際秩序は大きく変化した。こうした中、欧米と日本ではナショナリズムが高揚した。応募者は、米国の女性宣教師と、その弟子であった日本人女性の活動に注目し、彼女たちが国境を越えて展開した教育・社会活動を、トランスナショナル・ヒストリーの視点から研究してきた。その中で戦前、日本の女子学生や卒業生が世界キリスト教青年運動の会議に参加するために自由に欧米に渡航し、世界のクリスチャン女性たちと共に勉強し、議論していたことを知った。そこで、本研究は、19世紀末から1940年代に焦点を当て、1)日本人女性がキリスト教青年運動に参加し、中国・韓国・欧米の女性と交流する中で、国際主義とナショナリズム、さらに戦争の問題をどのように理解し、社会に働きかけたのか、2)日英米の女性たちが教派や人種を越えて協働しながら、環太平洋地域で国際主義とナショナリズムの緊張関係にどのように向き合ったのか、その疑問に答える。
これにより、従来研究の不足していたアメリカのリベラルなキリスト教の系譜を位置づけ直し、同時に「戦争と宗教」という今日的課題に新たな視点を提示することを目指す。
(本文)
【学術的背景、研究課題の核心をなす学術的「問い」】
近年、トランスナショナル・ヒストリーやグローバル・ヒストリーの視点から、国境を越える人・モノ・知識・文化の移動や変容を分析する研究が発展してきた。当初は環大西洋を中心に展開したが、現在では環太平洋地域にも広がっている。
特に、アメリカのプロテスタント教会による海外伝道活動の研究は、2000年代以降、現地語を用いる研究者の増加により、西欧中心主義を超え、非西欧の主体性に注目する実証研究が進んできた。
また、現代においてウクライナ戦争や中東紛争が続く中、100年前にキリスト教青年たちが「戦争と宗教の関係」を議論したキリスト教国際主義運動を再検討する意義は大きい。
本研究課題の核心をなす学術的「問い」は、20世紀初頭から第二次世界大戦期にかけて、環太平洋地域の日本人女性と欧米女性たちは、YMCA(キリスト教青年会), YWCA(キリスト教女子青年会)やWSCF(万国基督教学生連盟)等のキリスト教青年のキリスト教国際主義運動に参加して、
1. 彼女たちはナショナリズムと国際主義の相克をどのように記録したのか。
2. 戦争を体験する中で、教派や人種を越えた宗教的一致や「世界の友情」という理念の理解は変容したのか。
3. 戦争期に、彼女たちはいかにキリスト教国際主義を実践したのか。
4. 環太平洋の女性たちは、友情に基づくキリスト教共同体形成にどのような役割を果たしたのか。
これらの問いに答えるために、本研究では当時の一次史料、出版物、新聞などを調査し、特に1〜3の問いへの回答を集め分析することで、4に迫ることを目指す。
【本研究の着想に至った経緯】
本研究は、応募者がこれまで行ってきた 1900年代から1940年代にかけての米国女性宣教師と日本人女性の交流・活動の研究 を基盤として着想されたものである。これまでの研究成果は以下の5点にまとめられる。
1. 女性宣教師と伝道理念の変化
1920年代、女性宣教師を支援していた婦人伝道局が男性中心の海外伝道局に吸収され、「女性のための女性の仕事」という理念が「世界の友情」へと置き換えられた。その結果、女性の活躍の場や自治権は衰退したとされる(Dana L. Robertの通説)。しかし、日本の事例はこの通説に当てはまらないことを明らかにした。
2. 神戸女学院における女性主導の活動
神戸では1920年代以降も女性の自治が維持され、日米双方で民間財団法人を設立するなど、女性主導で神戸女学院を存続させる基盤が形成された。(1)
3. 日本人女性の国際的ネットワーク
ミッションスクール出身の日本人女性たちは、1920年代以降も国際的なクリスチャン女性ネットワークを活用し、国際会議や留学を通じて世界の仲間と交流を続けた。戦争直前であっても留学や会議参加が可能であった事例も確認した。(2)
4. キリスト教青年運動の役割
数多くの戦争が起きた20世紀前半においても、クリスチャン女性のネットワークが維持・強化された要因は、19世紀末に欧米で誕生したキリスト教青年運動にあったことを明らかにした。
5. 宣教師の思想変化と役割
戦前の日本で活動した米国宣教師は、日本文化への理解を深め、共存を志向する思想へと変化した。特に日本で育った「宣教師二世」の女性たちはハイブリッドなアイデンティティをもち、戦時下の米国で日米の文化的仲介者として活動した。その背景にも青年運動と国際ネットワークの存在があった。(3)
以上の研究成果を発展させ、応募者はこれまでに二つの科研費プロジェクトに参加した。一つは米国的キリスト教の展開を多角的に検討する共同研究であり、神戸女学院最後の宣教師院長シャーロット・B・デフォレストと卒業生一柳滿喜子に注目し、結婚観や社会改革を分析した。もう一つは「法・文化圏」の概念を用いた共同研究で、戦前20年以上の日本宣教歴のある宣教師5名の戦時下の活動をトランスナショナル・ヒストリーの視角から考察し、その活動にジェンダー的役割分業の影響と他宗教に寛容なキリスト教理解の両面があることを示した。(4)
さらに2020年以降、応募者は国際共同研究に参加し、ドイツのベッカー教授や米国のロバート教授らとともに、WSCF(万国学生基督教運動)とキリスト教国際主義をテーマとする国際学会で発表を重ねてきた。2025年3月には論文集が刊行され、日本の事例研究は応募者による唯一の寄稿として掲載された。(5)この経験から、日本事例研究を国際的に発信する意義と必要性を強く認識し、本研究課題を着想するに至った。
【本研究の目的及び学術的独自性と創造性】
本研究は、20世紀初頭から第二次世界大戦期にかけて、環太平洋地域の日本人女性と欧米女性がYWCAやWSCFなどのキリスト教青年運動に参加し、中国・韓国などアジアの女性とも交流する中で、戦争をどう理解し、キリスト教国際主義や「世界の友情」の理念をどのように想像・変容させたかを明らかにすることを目的とする。
対象期間を40年余りとることで、第一次世界大戦、移民排斥、植民地拡大など異なる戦争体験を踏まえ、女性たちの思想と活動を多角的に検討する。議事録や書簡など一次資料を精査し、彼女たちが多文化共生のために模索した多様な解を分析する。学術的独自性は、従来は国別や団体史に分断されてきたキリスト教青年運動を、環太平洋規模で接続し、国際関係史に宗教史の視角を加える点にある。本研究の成果は、戦後の国連や人道主義、多文化共生、さらにはアメリカのリベラル・キリスト教主義への連続性を解明する手がかりとなる。
【関連分野の研究動向と本研究の位置づけ】
先行する宣教師ネットワークとアメリカのリベラル・キリスト教との関係をめぐる研究では、Ian Tyrrellは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、女性たちがWCTU・YWCA・SVMなどを自在に行き来し、人道主義を基盤にアメリカの「道徳の帝国」を築いたと論じ、Michael G. Thompsonは戦間期のエキュメニカル運動の国際会議や刊行物を分析し、反人種主義・反帝国主義的なキリスト教国際主義の形成を示した。David A. Hollingerは、アジア経験を持つ宣教師が戦後の米国外交や多文化共生と社会正義に貢献し、戦後アメリカのリベラリズムを形成したことを指摘した。アメリカのYWCA研究では、人種隔離下でも早期から差別撤廃を模索し、社会的福音の系譜を継いで社会改革に尽力した点が明らかにされている(Nancy Marie Robertson, Amanda L. Izzo)。さらに、宣教師の伝道活動が帝国形成や外交政索に果たした役割や、白人女性のコスモポリタニズムと支配の両義性を描いた研究も発表された(Emily Conroy-Krutz, Gale L. Kenny)。欧州では戦争と宗教を問い直す国際共同研究も展開中で、応募者も参加している。本研究は、これらを踏まえ、20世紀前半の学生を対象としたエキュメニカル運動が、環太平洋の日本女性と欧米女性に国境・人種を超えた共存の場を提供したことを明らかにする。
【本研究で何をどのように、どこまで明らかにしようとするのか】
本研究は、1905年から1940年代を対象に、環太平洋地域(日本、アメリカ、カナダ、イギリス、中国、韓国)の女性たちが参加したYWCAやWSCFなどのキリスト教青年運動を考察する。彼女たちは交流を通じて、ナショナリズムと国際主義の対立をどのように記録し、教派や人種を超えた共存を目指す「キリスト教国際主義」や「世界の友情」の理念をどのように理解・想像したのか、さらに戦争によってその理念がいかに変容したのかを検討する。同時に、彼女たちがキリスト教国際主義と「世界の友情」の理念を具体的にどのように実践したかも明らかにする。研究成果は国内外での学会発表や論文として順次公表し、最終的には共著による論文集の刊行を目指す。
【本研究の目的を達成するための準備状況と国際性】
本研究では、1905年から1940年代にかけて開催されたWSCFやIMC、万国YWCAの国際会議(東京1907、エジンバラ1910、北京1922、エルサレム1928、マドラス1937、アムステルダム1939など)に参加した日本・イギリス・カナダ・アメリカ・中国の女性約10名を調査対象とする。彼女たちの所属組織の機関紙や報告書、書簡、会議記録、新聞記事などを、ジュネーヴWCCアーカイヴ、イェール大学神学部図書館、国内のアーカイヴで収集し、現地研究者との交流も通じて解読・分析を進める。
また、応募者はドイツや中国の研究者と共同研究のネットワークを持ち、各国におけるキリスト教青年運動や、欧米・アジアの女性たちが日本女性の活動をどう見ていたかについて情報交換を行っている。これにより、日本女性の活動を国際的に相対化し、ローカル・ナショナル・グローバルの視点を接続することが可能となる。さらに、日本が非西欧の植民地主義的帝国として拡大していた歴史的文脈を踏まえ、研究成果を英語で国際的に発表・出版することで、日本事例を世界的研究に位置づけ、新たな知見を提示する。
2 応募者の研究遂行能力及び研究環境
応募者(研究代表者、研究分担者)の研究計画の実行可能性を示すため、(1)これまでの研究活動(主要な研究業績を含む)、(2)研究環境(研究遂行に必要な研究施設・設備・研究資料等を含む)について2頁以内で記述すること。
「(1)これまでの研究活動」の記述には、研究計画に関連した国際的な取組(国際共同研究の実施歴や海外機関での研究歴等)がある場合には必要に応じてその内容を含めること。また、研究活動を中断していた期間がある場合にはその説明などを含めてもよい。
(これまでの研究活動)
著書(単著)
1) Noriko Kawamura Ishii, American Women Missionaries at Kobe College, 1873-1909: New Dimensions in Gender. New York and London: Routledge, 2004.
学術雑誌掲載論文(単著)
2) Noriko Ishii, “Imagining an Anti-Racist Cosmopolitanism: Localization, Imperialism and Transnational Women’s Activism in Interwar Japan.” Journal of Colonialism and Colonial History 22(3), 2021.(査読有)
3) Noriko Ishii, “Difficult Conversations across Religions, Race and Empires: American Women Missionaries and Japanese Christian Women during the 1930s and 1940s.” The Journal of American-East Asian Relations vol.24 no.4(2017): 373-401.(査読有)
4) 石井紀子「女性宣教師と女子教育」『立教アメリカン・スタディーズ』第39号(2017年)103-117頁。(査読無)
5) 石井紀子「帝国のはざまの女性と宣教」『ピューリタニズム研究』第9号(2015年)12-19頁。(査読無)
6) 石井紀子「アメリカ女性医療宣教師の中国と日本伝道:メアリ・アナ・ホルブルックの場合(1881年~1907年)」『日本研究』第30号(2005年)167-191頁。(査読有)
7) Noriko Ishii, “Crossing Boundaries of Womanhood: Professionalization and American Women Missionaries’ Quest for Higher Education in Meiji Japan.” The Journal of American and Canadian Studies 19 (2001): 85-122. (査読有)
著書(共同執筆、一章担当)
8) Noriko Ishii, “Internationalism and the Imaginations of the Other: Japanese and British Female Leadership in the Early Ecumenical Movement after the Russo-Japanese War.” In Nationalism and Internationalism in the Young Ecumenical Movement, 1895-1920s, edited by Judith Becker and Dana L. Robert, 165-191. Leiden: Brill, 2025.
9) 石井紀子「帝国のはざまで:戦時下アメリカに帰国した来日宣教師」石井紀子・今野裕子共編著『「法‐文化圏」とアメリカ:20世紀トランスナショナル・ヒストリーの新視角』上智大学出版、132-169頁、2022年。
10) 石井紀子「キリスト教青年運動と女性:万国基督教学生連盟の草創期の活動から」上智大学アメリカ・カナダ研究所編『北米研究入門2:「ナショナル」と向き合う』上智大学出版、61-85頁、2019年。
11) 石井紀子「アメリカ女性の海外伝道とプロテスタント宣教師ネットワーク:近年の研究動向と課題」飯島真里子編『太平洋世界のグローバル・ヒストリー:アジア、北米、島嶼地域を繋ぐ多方向的移動とネットワークの形成』上智大学アメリカ・カナダ研究所、11-16頁、2018年。
12) 石井紀子「東アジアのアメリカ女性宣教師とグローバル・ヒストリー」上智大学アメリカ・カナダ研究所、イベロアメリカ研究所、ヨーロッパ研究所共編『グローバル・ヒストリーズ―「ナショナル」を越えて』上智大学出版、217-242頁、2018年。
13) 石井紀子「プロテスタント女性宣教師のアメリカ的背景と明治日本の二人のピューリタン女性」上智大学アメリカ・カナダ研究所編『キリスト教のアメリカ的展開:継承と変容』、157-182頁、2011年。
14) 石井紀子「明治日本の日米女性文化交流とキリスト教:一柳滿喜子とC・B・デフォレストの場合」増井志津代編『キリスト教のアメリカ化と社会文化生成についての研究』科学研究費補助金基盤研究(B)研究成果報告書、31-49頁、2008年。
紀要
15) Noriko Ishii, “The Role of Church Networks in International Exchange: Kobe College Graduates as Students in the United States, 1887-1939.” 『大妻女子大学比較文化学部紀要』第11巻(2010年)12-29頁。(査読無)
16) 石井紀子「太平洋戦争と来日アメリカ宣教師:シャーロット・B・デフォレストとマンザナー日系人収容所の場合」『大妻女子大学比較文化学部紀要』第10巻 (2009年) 5-23頁。(査読無)
近年の主な学会発表
17) Noriko Ishii, “Christian Internationalism and War for Japanese Christian Women: Michi Kawai,” Paper delivered at the Christian Internationalism in War and Post-War Times, 1890-1930 Conference, Humboldt-Universitat zu Berlin, September 21, 2024.
18) Noriko Ishii, “A Woman Missionary’s Endeavor for Multicultural Christianity: Alice E. Cary’s Settlement Work in Osaka in the Interwar Years,” Paper delivered at the Asian Studies Conference Japan, Sophia University, Tokyo, July 7, 2024.
19) Noriko Ishii, “In Pursuit of an Anti-Racist Cosmopolitanism: An American Missionary Daughter’s Settlement Work in Japan and Hawai‘i in the Interwar and Wartime Years,” Paper delivered at The Berkshire Conference on the History of Women, Genders, and Sexualities, Santa Clara University, CA, July 1, 2023.
20) Noriko Ishii, “Nationalism and Internationalism: Japanese and British Women’s Imaginations of the Other in the World Student Christian Movement after the Russo-Japanese War,” Paper delivered at the Berlins 2020 Nationalism and Internationalism in the Young Ecumenical Movement, 1895-1920s Conference, Humboldt-Universitat zu Berlin and Boston University (online), October 10, 2020.
21) Noriko Ishii, “Fighting Racism or War Efforts: Retuning Japan Missionaries in Wartime America,” Paper delivered at the Annual Meeting of the American Studies Association, Honolulu, November 7, 2019.
22) Noriko Ishii, “The Global and the Local: Imperialisms and Transnational Women’s Activism in Kobe College Expansion Campaign in Japan, 1917-1934,” Paper delivered at the Annual Meeting of Pacific Coast Branch-American Historical Association, Las Vegas, August 1, 2019.
23) Noriko Ishii, “Difficult Conversations across Religions, Race and Empires: American Wome Missionaries and Japanese Christian Women during the 1930s and 1940s,” Paper delivered at the Berkshire Conference on the History of Women, Genders and Sexualities, Hofstra University, N.Y., June 1-4, 2017.
【研究環境】
東京女子大学個人研究室、東京女子大学図書館、上智大学アメリカ・カナダ研究所で行う。
(1) Ishii, Noriko. "Imagining an Anti-Racist Cosmopolitanism: Localization, Imperialism and Transnational Women's Activism in Interwar Japan." Journal of Colonialism and Colonial History 22, no. 3 (2021) .
(2) Ishii, Noriko. “Difficult Conversations across Religions, Race and Empires: American Women Missionaries and Japanese Christian Women during the 1930s and 1940s”, Journal of American-East Asian Relations 24, 4 (2017): 373-401.
(3) Ishii, Noriko. “Difficult Conversations across Religions, Race and Empires: American Women Missionaries and Japanese Christian Women during the 1930s and 1940s”, Journal of American-East Asian Relations 24, 4 (2017): 373-401;石井紀子「帝国のはざまで:戦時下アメリカに帰国した来日宣教師」石井紀子、今野裕子共編著『「法‐文化圏」とアメリカ:20世紀トランスナショナル・ヒストリーの新視角』上智大学出版、132-169頁、2022年。
(4) 基盤研究B-17310147「キリスト教のアメリカ化と社会文化生成についての研究」(研究代表、増井志津代)、基盤研究C-18K00914「20世紀アメリカを中心としたトランスナショナルな法文化圏の形成と変容」(研究代表者)
(5) Noriko K. Ishii, “Internationalism and the Imaginations of the Other: Japanese and British Female Leadership in the Early Ecumenical Movement after the Russo-Japanese War.” In Nationalism and Internationalism in the Young Ecumenical Movement, 1895-1920s, edited by Judith Becker and Dana L. Robert, 165-191, Leiden: Brill, 2025.