toki a. mi jan Temon. ni li lipu pi toki pona.
トキポナが実用的ではないという批判を聞くたびに、私は伊藤計劃の小説の二つの言葉を思い出す。
一つ目は小説「ハーモニー」の黒幕 御冷ミァハの言葉だ。舞台の終盤、意識の喪失こそが人類の幸福だと確信したミァハは、かつての親友 霧慧トァンにこう語る。
老人たちは『意識の停止』を死と同義に受け取った。それで何千年ってやってきた少数民族が、コーカサスの山の中にいたっていうのにね。(ハーモニー 新版 伊藤計劃 p.344 l.3)
二つ目は小説「虐殺器官」の軍人 ウィリアムズの言葉だ。これまた舞台の終盤、現在の超監視社会がテロの撲滅に無力だと知った戦友のクラヴィス・シェパードをウィリアムズはこう諭す。
嘘っぱちだろうがなんだろうが、すでに走っちまってる経済は紛れもない本物だぜ(虐殺器官 新版 伊藤計劃 p.377 l.17)
トキポナが実用的ではない理由はいくらでも存在する。しかし、実際に人々はトキポナでコミュニケーションを取っている。もしかすると、我々は本当はトキポナで意思の疎通ができていないのかもしれない。しかし、我々はトキポナで話し合って笑い、トキポナの文章を読んで感動しては泣く。そこにある感情は紛れもなく本物である。