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プエルトリコは「コモンウェルス」と呼ばれるアメリカ合衆国の連邦自治区です。プエルトリコ人はアメリカ市民権を有し、米国パスポートを持ちます。プエルトリコ在住のアメリカ市民は、米国連邦所得税のみ免除されていますが、大統領選挙権は認められていません。また米国議会下院に代表者を1人送ることが認められていますが、投票権は持ちません。
正式名称:Estado Libre Asociado de Puerto Rico (スペイン語)/Commonwealth of Puerto Rico (英語)
首都:サン・フアン/San Juan
言語:主にスペイン語、英語も通じることが多い
通貨:アメリカドル
面積:約9,100平方キロメートル (鹿児島県と同じくらい)
人口:約320万人 (2024年)
電源プラグ:アメリカと同じAタイプまたはBタイプのコンセントで、電圧もアメリカと同じ120V
チップ:アメリカと同じく15~20%が一般的
プエルトリコはカリブ海と大西洋に囲まれた島国で、フロリダから南東に約1,600kmの距離に位置します。東には米領ヴァージン諸島、西にはドミニカ共和国とハイチのあるイスパニョーラ島があり、大アンティル諸島に含まれます。プエルトリコ本島の他、ビエケス島やクレブラ島など大小142の島で構成され、そのうちの多くは無人島です。島の北側は大西洋に面し、島のすぐ北側には大西洋で最も深いプエルトリコ海溝があります。島の南側はカリブ海に面しています。
プエルトリコの気候は1年を通して摂氏25度~33度程度と温暖な熱帯雨林気候で、一部熱帯サバナ気候の地域も含まれます。6月頭~11月末はハリケーンシーズンとされ、比較的湿度や気温が高くなります。観光のハイシーズンは12~3月です。
1493年にコロンブスが2度目の航海で「発見」するまでは、プエルトリコにはカリブ海地域の先住民であるアラワク族系のタイノ族が居住していました。16世紀初頭に本格的なスペイン入植が開始。重労働および伝染病により先住民タイノ族の人口が激減し、スペインにより黒人奴隷が移入されました。
18世紀ごろまでヨーロッパ諸国による攻撃を受け、他のカリブ海の島々の宗主国が変わる中、スペインはプエルトリコを死守し、スペインによるプエルトリコ支配が約400年続きました。
19世紀後半に近隣のキューバで勃発した独立運動と連動してプエルトリコでも独立運動が活性化し、1897年にスペイン政府より自治権承認。1898年2月にプエルトリコ自治政府が成立しましたが、同年4月に米西戦争が勃発し、7月にはプエルトリコはアメリカ軍により占領。米西戦争終結後、プエルトリコはスペインからアメリカに割譲され、米国保護国となりました。
1900年にフォラカー法により米国保護下でプエルトリコ人民政府が成立。1917年にはジョーンズ法により米国市民権を得た一方、大統領選挙権は得られず、1920年代から自治権拡大を求める動きが広がりました。1948年には初のプエルトリコ知事直接選挙が行われ、人民民主党のルイス・ムニョス・マリンが選出。1952年にはプエルトリコ憲法が制定され、米国連邦政府により自治連邦区として内政自治権が付与されました。
2000年代から財政状況が悪化し、2017年には財政破綻による債務再編手続きを申請。一方で同年9月にハリケーン・イルマおよびハリケーン・マリアがプエルトリコに上陸し、死者4千人以上とも言われる甚大な被害をもたらしました。2022年に債務調整計画が発行され、財政破綻状態から実質的に脱却しました。
プエルトリコは米国自治領のため、出入国は米国の規則に準じます。
ビザ申請・取得に関しては在日本米国大使館と領事館のホームページをご確認ください。
2025年4月11日より、30日以上滞在する外国人に対して、米国における外国人登録義務、登録証明書の携帯義務が強化されました。在ニューヨーク日本国総領事館発信(2025年4月9日)の「米国における外国人登録義務等の厳格化について」をご確認ください。
https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/itpr_ja/News_040925.html
プエルトリコから米国本土へ渡航する場合、一部のフルーツや豚肉(血等を使用した加工品を含む)などの持ち込みが禁止されています。空港ではチェックイン前にUSDA(U.S. Department of Agriculture / 米国検疫)にてチェックを受ける必要があります。詳細はUSDAのウェブサイトでご確認ください。