秘密修法本尊・最勝兜跋毘沙門天

(さいしょうとばつびしゃもんてん・平安時代初期)

神道法名

天佑宜龍大彦之尊

役行者から、陰陽孔雀明王の秘法を授けられる、初代宮司・濃美麻呂卿

(江戸時代初期、名工・左甚五郎作、湯河原町指定文化財)

天之岩屋

今から千三百年の昔、この地で、役行者が、穂積濃美麻呂に陰陽孔雀明王の秘法を授けたといいます。またこの岩屋の壁面には、古代楔形文字と思われる無数の彫刻や、古代フェ二キアの帆船を思わせる線描画が認められ、太古の歴史を今に伝えています。

南米最大のボーイスカウトグループ、カラムルボーイスカウトグループ45周年式典にて、左から宮司、カラムルボーイスカウトグループ隊長、日伯文化協会アツシ・ヤマウチ会長(ブラジルジュキチバ市にて)

イタリア系大実業家にして、イタリア貴族の末裔であられる、エンリッシュ・マンテガーザ、アンナ・マンテガーザご夫妻宅の茶室の上棟式に、現地の神職、上妻博彦師とともに奉仕(ブラジル・サンパウロ市 1994)

日系人宅の祖霊祭に、南米大神宮・逢坂和男宮司と奉仕(ブラジル・サンパウロ市 1994)

略歴

大和建国の祖神・櫛甕玉饒速日尊の直系、また後醍醐天皇の王孫、南帝・小倉宮良泰親王(第100代 招慶院天皇)の正統な皇胤、その嫡流として、太古より満々と水を湛える浜名湖の、雄大なる光景を見遙かす、風水吉相の宝地、静岡県湖西市に生を受ける。数え年3歳の時、始祖・饒速日尊以来連綿と伝わる、正しき惟神(かんながら)の道を伝え広めるべき、正当な後継者のみに現れるという神聖な印(しるし)『くしびのまちかた』がその身体に現れたことにより、一族の長老達により『権現若宮』として卜定され、幼少の頃より、神々に仕える神業生活を送るとともに、数々の霊体験もし、また16歳の時、金色の龍神と一体化する霊夢を見るなど、数々の神秘体験もする。また、その予知能力により、大平首相の死去、日本海中部大地震、昭和天皇崩御、神戸小学生殺人事件の真犯人、スマトラ沖地震、そして東日本大震災を予知し、阪神大震災の折は、「その方角、大火大災の兆あり。」との神告を受け、京都・神戸方面への旅行を急遽取り止めたことや、東日本大震災の折は、嵯峨野の大覚寺統御歴代の墓参をしたことにより、危難を避けた等の貴重な経験を持つ。

昭和60年(1985)祖先以来仕える、子之神社第53代宮司拝命。

また、平成6年(1994)より数度に亘り、南米を訪れ、神道の布教活動を行う。平成10年(1998)には、サンパウロ市近郊のジュキチバ市にて、南米最大のボーイスカウトグループ『カラムル ボーイスカウトグループ』の企画した南米史上初の本格的木造大鳥居の建立に協力、その指導に当たり、地鎮祭、竣工入魂式を奉仕。日系紙『JOUNAL DO NIKKEY』にも Ministro Tenyu(天佑大宮司)の活躍は大きく報じられた。

尚、代々の齋主により受け継がれてきた秘儀秘伝の他に、永年の修行の中で、神霊達より授けられ、又編み出した秘法をも体得し、これらすべての秘儀秘伝の他伝、継承は、ほとんど不可能なほどの内容を含み、古神道の秘儀秘伝の唯一最終継承者として、神々に仕え、人々の導きの師としての日々を送っている。

現職

・古神道 布留乃惟神之大道 (フルノカムナガラノオオミチ)第七拾四世総斎主(古神道宗家)

 ・役行者御直伝 陰陽孔雀明王之秘法継承 第五拾参世総修法師

・日本最古占術 天津神占 家元

 ・宮中伝統祭儀有職研究家

・子之神社第五拾参代正統最終宮司

・万葉倭歌道 飛鳥葛城流第五拾参世 家元

・天社陰陽道菅原宮内派第十三代宗家陰陽師

宮司家写真帳

始祖・天照國照彦天火明櫛甕玉饒速日尊

開山・役行者

初代宮司・穂積濃美麻呂

26代宮司・穂積刑部左衛門重時

34代宮司・穂積左京進重就

(初世 天佑・小倉宮尊成親王)

44代宮司・穂積因幡守高重

49代宮司・穂積力衛道貴

49代家刀自・穂積理喜

50代宮司・穂積良平

51代宮司・穂積伴造友光

51代家刀自・穂積戌子

宮司家の親類、橋健行医学博士と英子夫人

橋健行医学博士は、天佑宮司の五代前の祖母、早刀自の生家の親族にあたり、作家・三島由紀夫先生の母方の伯父であり、斎藤茂吉先生とも親交のあった、歌人でもある。

明治末期の宮司家

(宮司家の別荘であった川崎別荘にて。広大な庭園には、当時珍しかった噴水や矢場もあり、氏子や広く一般の人々に開放していた。)向って右より、穂積良平(現宮司の曾祖父)穂積幾代(現宮司の曾祖叔母)穂積戌子(現宮司の祖母)加藤乳母(現宮司の祖母の乳母)

愛とルイ 明治四十年頃 愛は没落士族の家に、 ルイは零落した陰陽師の家に生を受け、ともに宮司家に引き取られて育てられ、神前に巫女として仕えた。やしろに咲いたふたもとの可憐な花…明治と言う時代を走り抜けた少女たちにとって、子之神社、そして穗積宮司家は、彼女たちの青春そのものであった…

宮司が日嗣若宮としてえらばれた折の現宮司と51代宮司・伴造友光

はじめて、例大祭に花車引きとして奉仕した折の、現宮司(満5歳)祖母、母、愛する家族達に囲まれて

現宮司(満5歳)と母美代子刀自美代子刀自は、キリシタン大名・小西行長(洗礼名・アウグスティヌス)の14代目の末裔に当たり、隠れキリシタンの大司祭の家系の出身。尚、美代子刀自の洗礼名はマリア

穂積家三代に仕えた加藤乳母と幼少期の天佑宮司

例大祭に駕輿丁として奉仕する現宮司(満11歳)

例大祭に駕輿丁として奉仕する現宮司(満11歳)

中学校入学時の現宮司と祖父・伴造友光

少年の日々

万国博覧会(満9歳)

祖父・母とともに(満10歳)

祖母戌子刀自と宮司(満10歳)

松島旅行にて

ピアノ発表会(満11歳)

運動会(満11歳

中学1年生の宮司

中学3年生の頃、若葉の季節

高校時代

昭和五十二年、修学旅行、阿蘇山にて。宮司の右隣は、仲良しだった数学のI先生。先生、自分のこと、覚えてますか!?先生のおかげで、大嫌いだった数学、好きになりました。。。先生、いつまでも、お元気で!!

高校時代

同じく修学旅行、熊本城にて、クラスメートたちと。

16歳の夏、軽井沢家族旅行にて

宮司の隣は、母・美代子刀自

伝承されし秘伝書

世紀を超えて、穂積宮司家に伝承されてきた、系譜、及び、古神道、陰陽道の秘伝書の数々