古く大和朝廷時代より、宮中に仕える神官であった、当宮司家は、今から600年程前の南北朝時代、第五拾二世・次郎左衛門重範以来、代々南朝に仕えてきました。そして当家第五拾四世・大和守重勝が、南北朝合一時の、後亀山天皇の後を継がれた南朝の皇統の最後の帝とも言うべき、南帝 小倉宮良泰親王(第100代 招慶院天皇)より、皇位の象徴である三種の神器の一つ、日月二面の「八咫の鏡」のうちの一面である『月輪 八稜神鏡』と「八坂瓊曲玉」の一部を始めとする『くしきみたから』と称される宮中に古くから伝えられてきた霊宝と、それらの霊宝を用いて行う、『はふりのみわざ』という、歴代の天皇が行い、伝えてきた神法を託され、また将来この霊宝、神宝を伝えるべき人として、帝の三ノ宮をも預けられました。足利氏の天下の下、尊い皇統の身分を隠されて成人なされた宮は、育ての親、重勝の娘を娶られ、当家第五拾五世・左京進重就となられました。
当家の所伝によりますと、南北朝合一の南朝・後亀山天皇から北朝・後小松天皇に後譲位があった時、皇位の象徴である神器は、代宝を譲り、正統な神器は、ひそかに南朝の末裔・小倉宮家に伝えられたと言います。
そして、南朝・大覚寺統に伝わった神法・行法、ならびに神器は、小倉宮家の血脈・法統を受継いだ当家に伝えられ、現齋主・天佑宜龍に至るまで、連綿と継承されています。
そして、現齋主により、いつき行われる「はふりのみわざ」により、日々、人々の願い事を神界に送り届けるとともに、世界平和、日の本つ国・大倭(おおやまと)の安泰と繁栄、人々の幸せを祈願しているのです。
これらのことからも、当家に伝わる神器、はふりのみわざ、そしてその血脈・法統が、いかに尊いものかおわかりになると思います。
尚、はふりのみわざは、一子相伝、他伝は禁じられており、既に穂積家の次世代を受け継ぐ若宮霊童への伝授は終了し、希望の未来へと受け継がれることと相成りました。