日 時 令和7年11月8日(土)
会 場 駒澤大学 駒沢キャンパス 中央講堂
〒154-8525 東京都世田谷区駒沢1ー23ー1
アクセス 東急田園都市線「駒沢大学」駅を下車、徒歩10分
https://www.komazawa-u.ac.jp/facilities/campus/komazawa.html
研究発表の発表者を募集いたします
研究発表は20分、質疑応答5分となります
発表希望者は、①氏名、②所属、③論題を、9月26日(金)まで、以下のフォームからお申込みください
https://forms.gle/s5ZKjtjfbXhxC9jaA
また、④発表要旨(200~400字)は、10月9日(木)まで、学会事務局のアドレスまでご提出ください
学術大会参加費 1000円
懇親会参加費 4000円(予定)
※参加費、懇親会費とも、当日会場にて徴収いたします。
申込締切 10月27日(火)
※ただし、学術大会のみ参加の場合は、11月3日(月)まで受け付けます。
講演会のみの参加の場合は、申し込みは不要です。
申し込みフォーム https://forms.gle/rNHD4oBdFPVSFHGT7
研究発表 10:00~
開会行事 10:00~10:35
研究発表(午前の部) 発表20分、質疑5分 司会:岩瀬 真寿美 (同朋大学)
① 10:40-11:05 高橋 ひなた(駒澤大学大学院)
『学生式問答』における「六条式」解釈の特徴について
② 11:10-11:35 弘田 敏基(同志社国際中学校・高等学校)
公/私の区分に基づく道徳教育に向けての考察
――和辻倫理学とその仏教観との関係を手がかりに――
③ 11:40-12:05 寺川 直樹(大谷大学)
道徳教育の仏教教育的基礎づけに向けた一考察
――清沢満之を手がかりに――
---------------〈休憩〉12:05-13:00---------------
研究発表(午後の部) 発表20分、質疑5分 司会:梶井 一暁(岡山大学)
④ 13:00-13:25 成田 龍一朗(秋田大学)
道徳教育における「対話」的な学びはいかにして実現可能か
――井筒俊彦における禅の思想構造に着目して――
⑤ 13:30-13:55 近藤 義行(龍谷大学大学院博士後期課程)
「果遂の誓い」の意義
――承認欲求を抱く現代人と真宗教育の可能性――
⑥ 14:00-14:25 安部 孝(名古屋芸術大学)
保育と仏教についての考察
――倉橋惣三を手掛かりとして2――
⑦ 14:30-14:55 小山 一乘(駒澤大学仏教経済研究所)
宗教教育・仏教教育上での事実的言明及び規範的言明による学習指導結果の解釈・評価問題の検討
――学校教育法施行規則第五十条二項規定の「特別の教科 道徳」と「宗教」との包含関係論序――
会員総会 15:10~15:40
公開講演 16:00~17:10 頼住 光子 先生(駒澤大学教授・東京大学名誉教授)
日本近代における公教育と宗教
――歴史と展望――
閉会行事 17:10~17:30
懇親会(18:00~20:00予定)
研究発表 要旨 *近日公開予定
発表要旨のファイルのパスワードは会員に郵送した案内文に記載しております
研究発表 要旨 *近日公開予定
発表要旨のファイルのパスワードは会員に郵送した案内文に記載しております
公開講演会 要旨
講師 頼住光子先生(駒澤大学教授・東京大学名誉教授)
演題 日本近代における公教育と宗教――歴史と展望――
前近代の日本においては、仏教・儒教・神道が重層的に共存し、それぞれが相互に影響を与えながら、人々の世界観や道徳観の形成に寄与してきた。このような宗教的伝統は、家庭教育や社会教育、私塾や寺子屋といった教育機関を通じて自然に人々の生活に浸透し、知識の獲得とともに信仰心や道徳意識の涵養を支えていた。そこでは、宗教と教育とは不可分のものとして存在していたのである。
しかし、明治期以降、国家によって中央集権的な教育制度が整備され、近代的な学校教育が確立されるにつれて、教育の中心は次第に学校へと移行し、宗教的背景を有する家庭教育や社会教育の重要性は相対的に低下した。学校教育は世俗主義を標榜し、宗教教育は原則として排除され、代わって国家主義的価値観を基盤とする修身教育が導入された。さらに、当時の政府は、国民国家としての精神的統合を図る目的のもと、神道を「国家の宗祀」として位置付け、他の宗教とは区別された形で「国家神道」として教育現場に導入した。さらに戦後は、連合国軍総司令部(GHQ)による「神道指令」によって国家神道は公式に解体され、教育の場からも排除された。新たに制定された日本国憲法のもとでは、信教の自由および政教分離原則(第20条・第89条)が強調されるようになり、その反動として、公教育の場において宗教を扱うこと自体に対する忌避意識が強まり、結果として宗教に関する基礎的理解すら教育されない状況が長く続いてきた。
こうした背景により、多くの日本人は宗教に対する基本的な知識や理解、すなわち宗教リテラシーを欠いたまま成長する傾向が顕著となっている。これは、グローバル化が進展し、多文化共生が不可避となった現代社会において深刻な問題である。宗教に関する無知は、他文化・他宗教への誤解や偏見、さらには排除的態度を助長しかねず、国際的な相互理解の障壁ともなる。また、宗教リテラシーの欠如は、極端な宗教思想やカルト的運動への脆弱性を高める要因ともなっている。
このような状況において、宗教教育は多文化共生社会を支える教養として、また価値観教育・倫理教育の一環として再評価されるべきである。同時に、宗教教育は人間の本質に根ざした「実存的問い」に向き合う教育でもある。宗教学者ミルチャ・エリアーデは、人間を「ホモ・レリギオースス(宗教的人間)」と位置づけ、人間は宗教的象徴や神話、儀礼などを通して世界に意味を与えようとする存在であると述べた。人間は、死や苦しみ、人生の目的、宇宙の意味といった形而上学的な問いに直面しながら生きており、それに応答する枠組みとして宗教が果たす役割は極めて大きい。
この意味で宗教教育とは、特定の宗教的信仰を強制するものではなく、むしろそうした実存的問いに取り組む態度を涵養し、自己理解・他者理解を深め、人間としての成熟を促す教育的営みと捉えるべきである。中立的かつ文化的・倫理的な視点から宗教を学ぶことは、現代の公教育において必要不可欠な要素である。
2006年の教育基本法改正に際しては、宗教教育の意義が改めて議論の的となり、宗教に関する教育のあり方が注目された。社会状況の変化や人間存在に内在する宗教性の意義を踏まえるならば、宗教教育の必要性は今後ますます高まると考えられる。しかし現状では、その必要性にもかかわらず、宗教教育はほとんど実施されておらず、公教育における課題として残されている。
本発表では、以上のような問題意識の下、日本における宗教教育の歴史的展開を概観しつつ、現代における宗教教育の課題とその可能性について検討を加えるものである。