Ⅰ. ミサ曲とレクイエム
Ⅰ-1.ミサ曲とレクイエムの歌詞と発音について
A. ミサ曲とはカソリック教会の祭儀に伴う声楽曲のことで、全体はⅠ-2.に示したように、開祭、感謝の典
礼、交わりの儀、閉祭の一連の祭儀の中で詠唱されるものです。
ミサ曲の言葉は、毎回のミサで唱えられる通常文と、ミサの行われる日やミサの目的によって変わる固有文
とに分けられます。
通常文のうち、会衆が唱える以下の5つ、
Ⅰ. Kyrie(キリエ、憐みの賛歌)
Ⅱ. Gloria(グローリア、栄光の賛歌)
Ⅲ. Credo(クレド、信仰宣言)
Ⅳ. Sanctus(サンクトゥス、感謝の賛歌)
/ Benedictus(ベネディクトゥス、感謝の賛歌の続き)
Ⅴ. Agnus Dei(アニュス・デイ、神の子羊、平和の賛歌)
はミサでも重要な位置を占めるもので、この5か所を選んで複旋律の音楽が作曲されるようになり、これが
「ミサ曲」と呼ばれるものです。ベートーヴェンの『荘厳ミサ曲』の歌詞もこの5つのパートで構成されます。
B. レクイエムとは、ミサ曲のうち死者の安息を願うもので、死者のためのミサ(missa pro defunctis)と呼ばれるものです。
レクイエム(Requiem)の名称は、Introitus(イントロイトゥス、入祭唱)の “Requiem aeternam dona eis,
Domine” の冒頭の言葉から採られたものです。
14世紀までにその骨格が完成され16世紀末までには約50曲、17世紀には数百ものレクイエムが作曲さ
れています。注1)
カソリック圏の作曲家はほとんどすべてレクイエムを作曲していますが 注2)モーツァルト、ヴェルディ、
フォーレのレクイエムが特に有名で三大レクイエムと呼ばれています。
歌詞は、ミサ曲の内、グローリアとクレドを除いた通常文(キリエ、サンクトゥス、アニュス・デイなど)
と、固有文(イントロイトゥス、グラドゥアーレ、オッフェルトリウムなど)で構成されます。注3)
C. ミサ曲、レクイエムの発音
ミサ曲、レクイエムはラテン語で詠唱されます。教会音楽で使われるラテン語は、グレゴリオ聖歌が整備されていった時代(7~11世紀頃)に話されていたラテン語が元になっています。それに対してもっと古く多くのラテン語文学作品が残された時代(B.C.250年ころからA.D.600年ころ)のラテン語を「古典ラテン語」といい、単語のつづりも発音も教会音楽のラテン語とはかなり異なります。
このようにラテン文字の読み方には「古典式」と「教会式(正確にはローマ・カトリック式発音法)」があり、ミサ曲、レクイエムは「教会式」で歌われます。ただ、この発音はドイツ人には難しいらしく、特別にドイツ風の発音(ジャーマンラテン)でやっても良いという許しが法王から出ています。注4)
ドイツ系の作曲家の作品を演奏するときは、ドイツ式発音で行われることが多く、イタリア系の作曲家を演奏するときは本来の教会式ラテン語で行うことが多いようです。
今回の演奏会では、教会式ラテン語で歌いますので、以下教会式ラテン語の発音の説明をします。発音をカタカナで書いていますが、例えばChriste(クリステ)は、(kリsテ)のように発音しますのでご注意下さい。
以下の説明及び「発音及び対訳」で、ハイフン(-)は音節の区切りを、音節の前の(́)はその音節にアクセントがあることを、下付き小文字(j、w)はわたり音注5)を、rの頭についた(※)は巻き舌を、(ː)は長母音を示しています。
〇 母音
【a】ア、アー 【i】イ、イー 【u】ウ、ウー 【e】エ、エー 【o】オ、オー
は日本語の発音とほぼ同じで、長短で発音は変わらない。
【y】イ は【i】と同じ。
〇 二重母音
【ae】 エ(eと同じ) irae(イーレ、́iː-reː)、 Abrahae(アブラエ、́a-bra-eː)
tuae(トゥwエ、́tu-weː)、viae(ヴィjエ、́vi-jeː)注5)
【oe】 エ(eと同じ) coeli(チェーリ、́ʧeː-liː)、poenis(ペニス、́peː-nis )
【au】アウ(別々に発音)
【ei】 エイ(別々に発音)
【eu】エウ(別々に発音)
【ui】 ウイ 【ue】 ウエ 【uo】 ウオ
〇 子音
【b】 bの発音。例外的に、語尾や、s、tの前ではpに近い発音になる注6)。
absolvisti(アブ(プ)ソルヴィスティ、ab(p)-sol-́vi-stiː)
【c】 ci(チ、ʧi)、ce(チェ、ʧe) 以外はkと同じ発音。
cum(クム、́kum)、Confutatis(コンフターティス、kon-fu-́taː-tis)
【ce】 チェ、ʧe parce(パルチェ、́par-ʧe)、procedit(プロチェディト、pro-́ʧedit)
【ch】 ク、k Christe(クリステ、́kr(※)is-te)
【ci】 チ、ʧi cinis(チーニス、́ʧiː-nis)、facimus(ファチームス、fa-́ʧiː-mus)
【coe】チェ、ʧe coeli(チェーリ、́ʧeː-li)、coelum(チェルム、́ʧe-lum )
【g】ga、gi、gu、ge、go(ガ、ヂ、グ、ヂェ、ゴ)と発音するが、後ろに e、ae、oe
が続くときは(ヂェ、ʤe)、i、yが 続くときは(ヂ、ʤi)と発音する。
rogaturus(ロガトゥールス、ro-gaː-́tuː-rus)、gratis(グラーティス、́gr(※)aː-tis)
gere(ヂェレ、́ʤe-re)、virgine(ヴィルヂネ、́vir-ʤi-ne)
【gn】gna( ニャ、ɲa)、gni(ニ、ɲi)、gnu(ニュ、ɲu)、gne(ニェ、ɲe)、gno(ニョ、ɲo)
dignae(ディーニェ、́diː-ɲe)、Agnus(アニュス、́aː-ɲus)
【h】発音しない。Hosanna(オザンナ、o-́zan-na)、Hostias(オスティアス、́os-ti-aːs)
例外的に、mihi(ミキ、́mi-kiː:私)、nihil(ニキル、́ni-ki-l:無)はkと発音。
【j】子音化したi である。 ヤ、イ、ユ、イェ、ヨ
Juste(ユステ、́jus-te)、Jesu(イェズ、́je-zu)
【ph】フッ、f(無声子音) Prophetas(プロフェタス、pro-́feː-taːs)
【s】濁らない(サシスセソ、siだけは、スィと発音。) Christe(クリステ、́kr(※)is-te) sedisti(セディスティ、se-́di-sti) sibylla(スィビッルラ、si-́bil-la)
ただし前後が母音の場合は濁ってもよい。ただし余り強く濁らない注7)
Eleison(エレイゾン、e-́lei-zon)、Jerusalem(イェルザレム、́je-ruː-za-lem)
promisisti (プロミズィスティ、proː-miː-́zis-tiː)
【sci】シ、ʃi (shiの発音) suscipe(スシペ、́su-ʃi-pe)
【th】トゥ、t catholicam(カトゥリカム、ka-́to-li-kam)
【ti】ふつうは(ティ、ti) absolvisti(アブ(プ)ソルヴィスティ、ab(p)-sol-́vis-ti)
後に母音がくるとき(ツィ、ʦi) orationem(オラツィオネム、o-ra-ʦi-́o-nem)
ただし、その前にsやxがくるとき(ティ、ti)hostias(オスティアス、́os-ti-aːs)
【x】 ks、kʃ と二重子音になる。
lux(ルクス、́luks)、dexteram(デクステラム、́deks-te-ram)
例外として、ex、exs、exhに母音が続く場合はgzと軽く濁ってもよい。注8)
Exaudi(エグザウディ、egz-́au-diː:ただし余り強く濁らない。)
【xce】ㇰシェ、kʃe excelsis(エクシェルシス、ek-́ʃel-sis)
〇 その他
【bとv】はっきり区別する。(bは有声両唇破裂音、vは有声唇歯摩擦音)
【lとr】はっきり区別する。(lは有声・歯茎に舌を当てて出す音。rは有声・舌を歯茎
で震わせる音・巻き舌。)
【同じ子音の連続(ll、mm、ssなど)】同一の子音を連続して発音するため、ll、mmの
場合は舌の位置を維持、mmの場合は唇を閉じ鼻に響かせる。
favilla(ファヴィルラ、fa-́vil-laː)、 sibylla(スィビッルラ、si-́bil-la)
hosanna(オザンナ、o-́zan-na)、 communio(コㇺムニオ、kom-́mu-ni-o)
discussurus(ディスクㇲスールス、dis-kus-́suː-rus)
※これらは、カタカナ表記は困難ですので、実践練習で習得してください。
注1) 音楽作品としてのレクイエムの歴史は、初期ルネサンスを代表するギョーム・デュファイ(1474没)に始まるのですが作品は残っていません。現存する最古のレクイエムはヨハンネス・オケゲムが恐らくルイ11世の葬儀(1483年)ために書いた作品といわれています。
注2) カソリックとプロテスタントでは死後の考え方が異なり、プロテスタントは煉獄の恐怖を認めておらず、また煉獄で苦しむ死者の魂に代願するというレクイエムの発想がないため、プロテスタントの作曲家がレクイエムを作曲することは通常ありません。熱心なプロテスタントであったJ.S.バッハがレクイエムを作曲していないのはこのためです。
ベートーヴェンはカソリック信者ではありましたが、二つのミサ曲(荘厳ミサ、ハ長調ミサ)を作曲しているもののレクイエムは作曲していません。
注3) 1962年から65年にかけての第2回バチカン公会議でミサ典礼の刷新が図られ、死者のためのミサから中世的要素を取り除き、キリスト者の死の理解における復活の希望が強調されることとなり、ローマ典礼の死者のためのミサから続唱(Dies iraeなど)は廃止されました。現在の教会では葬送時も通常の形式のミサが挙げられています。
注4) 第2回バチカン公会議ではまた、ミサは各国語で行ってよいとされました。
注5) 下付き文字の j、wは、わたり音と言われるもので、Italia(イタリア)、Maria(マリーア)、Adagio(アダージオ)、Suave(スアーヴェ)を、イタリヤ、マリーヤ、アダージョ、スワーヴェのように、文字の中にはない、j、w、を入れて発音している場合がしばしばあります。音声学者はこれをわたり音と呼んでいます。
注6) bの発音について、bs、btの並びになると、b(有声子音)に続くs、t(無声子音)の影響を受け、bが無声化しpに近い発音になると考えられています。
注7) もともとSはどれも清音で発音していましたが、S(無声音)が前後の母音(有声音)と同化作用をおこして「母音間のSはすこし濁る」というように変化し、その結果わずかに有声化されるからだろうと考えられています。
※「S-二個の母音の間にある場合には、少し濁る。しかし決してフランス語のZほどは濁らない」(下記
の、テ・ラローシュ、ソレム楽派によるグレゴリオ聖歌の歌い方)
注8) ex、exs、exhについても、後の母音に同化し有声化して軽く濁ることがあります。
(参考資料)
相良憲昭、音楽史の中のミサ曲、音楽之友社、1993
井上太郎、レクイエムの歴史:死と音楽の対話、河出書房新社、2013
髙橋正平、レクイエム・ハンドブック 第3版、ショパン、1998
小泉功、宗教音楽におけるラテン語の読み方、カワイ楽譜、昭和45年三刷
テ・ラローシュ、ソレム楽派によるグレゴリオ聖歌の歌い方、岳野慶作訳、音楽之友社,1990
佐々木勉、レクイエムの系譜 https://yomikyo.or.jp/pdf/book/orchestra-201406-02.pdf
秋岡陽、合唱作品としての ≪レクイエム≫ ―21世紀に演奏・創作することの意味―
フェリス女学院音楽部紀要6号、2002
伊藤啓(東京大学)、ラテン語宗教曲、単語の意味と日本語訳 http://jfly.uni-koeln.de/music/musica_sacra.pdf
ラテン文字の読み方と発音 http://www.akenotsuki.com/latina/litterae.html
ラテン語の発音 http://www2.odn.ne.jp/row/sub2/hatsuon/latin/latin_c.htm
歌うためのラテン語入門 http://bonsta.la.coocan.jp/latin/lat_pron2.html
ラテン語 → 発音記号変換 http://naisodewafurenu.web.fc2.com/latin.html