Ⅱ. モーツァルト『レクイエム』
Ⅱ-1.モーツァルト『レクイエム(Requiem in D-moll K.626)』の解説
レクイエムはモーツァルト最晩年の作品ですが、1791年の夏匿名の使者を通じてモーツァルトのもとにレクイエムの作曲依頼が届いたのがきっかけでした。
作曲を依頼したのはヴァルゼック伯爵という貴族で、亡き妻の追悼のためにレクイエムを自作と偽って発表する意図であったと後にわかるのですが、前金を受け取っていたモーツァルトは、レクイエムの作曲に取りかかります。
しかしその年の12月5日、未完部分を残したまま35歳の若さで世を去ってしまいました。
遺された妻のコンスタンツェは未完部分を完成させるためモーツァルトの弟子とされるフランツ・ジュースマイヤーに補筆を依頼し、未完部分の殆どを完成させます注1)。
1793年12月14日ヴァルゼック伯爵作として、彼の妻の追悼ミサで演奏されましたが、これに先立つ同年1月2日に、コンスタンツェによって「モーツァルト作」として依頼者の承諾なく初演された記録があります。
全曲のうち、モーツァルトの手による部分は、IntroitusとKyrieのみで、SequentiaのDies iraeからOffertoriumのHostiasまではわずかな手がかりが書かれその後の楽曲はスケッチすら残っていません。注2)
欠落部分は始め、モーツァルトの生涯の友人であったヨーゼフ・アイブラーによって補筆されますが、Confutatisの途中で放棄され注3)、ヤコブ・フライシュテットラーとジュースマイヤーが引き継ぎ、最終的にはジュースマイヤーが完成させました。
補筆部分が稚拙とか、不十分という理由で様々な改訂版(バイヤー版、モーンダー版、レヴィン版など)が作られています。しかし、ジュースマイヤーが完成させたからこそ、この作品が人類にとっての不朽の遺産として200年以上演奏され続けているのです。
今回の演奏会で用いる楽譜は、アメリカの音楽学者H.C.ロビンス・ランドンによる版(ランドン版)で、アイブラーやジュースマイヤーの補筆を尊重したものです。すなわち、Dies irae からConfutatis まではアイブラーの補筆にランドンが補作し、Lacrimosa からAgnus Dei まではジュースマイヤーの補筆をそのまま用いています注4)。
Ⅰ.Introitusイントロイトゥス、入祭唱
Requiem aeternam(レクイエム エテルナム、永遠の安息)
葬列をイメージする前奏に導かれ、合唱が Requiem aeternam dona eis, Domine(主よ、彼らに永遠の安息を与えて下さい)と歌います。主題の冒頭に含まれた短2度(半音レ、ド♯、レ)の音形がのちの諸章でも肝心な箇所に据えられていることがわかります。
et lux perpetua luceat eis(そして不断の光明が彼らを照らすように)のluceat(照らす)という言葉で、高い音(G)がソプラノパートに与えられ、天上から光が射すと、ソプラノソロによる神への清澄な「賛歌」が歌われ、合唱に引き継がれます。死者の安息を願う厳粛な祈りが表現された曲です。
Ⅱ.Kyrie(キリエ、憐みの賛歌)
Kyrie eleison (主よ、憐れみたまえ)の減7度の跳躍の音形と、Christe eleison (キリストよ、憐れみたまえ)の半音の動き(ここでは上昇形)が、別々のメロディーに乗ってダブルフーガで繰り返し歌われます。死者の安息を神に懇願する強い気持ちが表れた緊迫した音楽です。
Ⅲ.Sequentia(セクェンツィア、続唱)
世界の終末が訪れるとき、神により死者も全て呼び覚まされ、人類の罪が裁かれるという「最後の審判」の教えに則って、厳しい裁きの様子が描かれた部分で、以下のDies iraeからLacrimosaまでの6曲で構成されています。
1.Dies irae(ディエス・イレ、怒りの日)
灼熱を思わせる激烈な管弦楽と共に、合唱が塊となって最後の審判の煉獄の情景と人々のおののきを歌います。安息を得るために通らなければならない裁きの厳しさを、モーツァルトの音楽の中でも最大級の激しさで表現し、一つのクライマックスを築いています。
2.Tuba mirum(トゥーバ ミルム、奇しきラッパの音)
トロンボーンで象徴される「奇しきラッパ」の合図で、死者が審判の場に呼ばれて裁きが下ることを、バスを筆頭に4人のソリストが歌い継ぎます。最後は、正しい人でも不安を抱く厳しい裁きへの覚悟が、静かな祈りとして四重唱で歌われます。
3.Rex tremendae(レクス トレメンデ、偉大なる大王)
厳正な裁きを行う王(神)の威厳を表現した堂々たる楽曲です。合唱がRex(王よ)と、叫びにも聞こえる呼びかけで、王の威光を歌い上げますが、一転して、salva me(私をお救いください。)と慈悲を求める終盤では、人の弱さが音楽から滲み出ます。
4.Recordare(レコルダーレ、思い出されよ)
2本のバセットホルンの美しい絡みが弦に引き継がれ、ソリストによる四重唱が導かれます。Recordare Jesu pie, quod sum causa tuae viae(思い出してください、慈悲深きイエスよ。あなたが地に下ったのは私たちのためであるということを)と、イエスに救いを嘆願します。慈悲を願って祈る穏やかな曲調のなかにも、不安が影を落としています。
5.Confutatis(コンフターティス、呪われし者)
裁きの炎のように激しくユニゾンで上下行する弦と、ティンパニと共に咆哮する管楽器に乗って、Confutatis maledictis flammis acribus addictis(呪われ、口を封じられた者たちに激しい火による判決が下された後 )と大きな跳躍で恐怖を歌う男声合唱と、優しい弦の調べと共にvoca me cum benedictis(祝福された者と共に、私をお呼び下さい)と、ユニゾンの弦のみに支えられ、静かに救いを求めて歌う女声合唱のコントラストが見事です。その後、音楽は深い祈りに沈んで行きます。
6.Lacrimosa(ラクリモーザ、涙の日)
はらはらと舞い落ちる弦の断片で始まる「涙の日」は、8小節までしか音を残せなかったモーツァルトの魂が、肉体から離れることを惜しんでいるようにも聴こえます。そして、涙と共に辛い審判に臨む死者たちの安息を、合唱が我が身のように願います。
Ⅳ.Offertorium(オッフェルトリウム、奉献唱)
聖書の記述に則り、パンとぶどう酒をキリストの身体と血に見立て、生贄として聖壇に奉げる儀式で演奏される楽曲で、以下のDomine JesuとHostias の2曲で構成されています。
1.Domine Jesu(ドミネ イェズ、主、イエスよ)
煉獄の苦しみからの解放をキリストに訴え、祈る合唱を受けて、ソリスト達がrepraesentet eas in lucem sanctam(聖なる光へ導きたまえ)と続き、合唱がQuam olim Abrahae promisisti et semini ejus(主がアブラハムとその子孫に約束されたように)と、繰り返し懇願します。フーガが多用され、追い立てられる切迫感が伝わってきます。
2.Hostias(オスティアス、いけにえ)
明るく開放的な合唱で始まるこの曲ではHostias et preces, tibi, Domine,laudis, offerimus(主よ、私たちはいけにえと祈りをあなたに捧げます)と、奉献唱の内容が歌われますが、同じ歌詞が繰り返されるところで音楽がにわかに感情的になり、救いへの願いを訴えます。後半は、前の楽曲と同じフーガが繰り返されます。
Ⅴ.Sanctus(サンクトゥス、聖なるかな)
神を讃え、感謝を表す楽曲です。全曲のなかで異彩を放つほど祝祭的な気分を湛えています。
ここでは、聖壇に捧げられたパンとぶどう酒が、司祭の祈りで聖体(キリストの肉と血)に変えられる儀式が進みます。
Ⅵ.Benedictus(ベネディクトゥス、ほむべきかな)
パンとぶどう酒を聖体に変える聖霊の到来を祝い、キリストの再来と死者の復活への祈りが、4人のソリストによって静かにわき上がるような歌で表現されます。続いて合唱による「オザンナ」のフーガが再び歌われ、華やかに曲を閉じます。
Ⅶ.Agnus Dei(アニュス・デイ、神の子羊、平和の讃歌)
聖体に変えられたパンとぶどう酒を信者に配る準備をする際に歌われます。
歌詞にあるAgnus(子羊)は、生贄の象徴です。厳粛に歌われるqui tollis peccata mundi(世の罪を除いて下さい)と、静かな祈りを歌うDona eis requiem(彼らに安息を与えて下さい)との印象的な対比が繰り返されたあと、sempiternam(永遠に)の部分では穏やかな表情に変わり、終曲へ橋渡しします。
Ⅷ.Communio(コㇺムニオ、聖体拝領唱)
聖体となったパンとぶどう酒を口にして、会衆がキリストと一体となることを確かめる「聖体拝領」で演奏され、死者の永遠の安息を祈ります。レクイエム最後のこの楽曲は、モーツァルトの手による冒頭のIntroitus(イントロイトゥス)とKyrie(キリエ)の音楽が使われます。これは、モーツァルトが意図していたとも、ジュースマイヤーがモーツァルトの作品で締め括りたかったとも言われています。
冒頭の曲が回帰することで、全曲の統一感が得られます。作品を未完のまま世を去ったモーツァルトへの想いを高めつつ、壮大なフーガで全曲が閉じられます。
注1) ジュースマイヤーがモーツァルトの弟子であったか否かについては異説があります。
注2) モーツァルトのレクイエムの成立過程には謎が多いのですが、モーツァルトの絶筆はLacrimosaの第8小節
目であるとするのが定説です。
注3)アイブラーはモーツァルトの終生の友人であり「私は恵まれたことに・・・彼が亡くなるまで友人でいられた
し、その最期の痛ましい日々のあいだも、私が彼を寝床に抱えて寝付かせ、看病した」と述べています。
アイブラーは当時モーツァルトに次ぐ楽才の持ち主と評されていましたが、レクイエムを完成できなかった
のは彼のモーツァルトの音楽に対する尊敬の大きさが邪魔になったのだと考えられています。
注4)ランドンはランドン版の作成に当たり「必要最小限の加筆により、アイブラーやジュースマイヤーらの献身
的な仕事を編集することを目指した。20世紀の優れた学者より、同時代の彼らの方がモーツァルトのトル
ソ(未完の芸術作品)を完成させるにふさわしい」と言う意味のことを述べています。
(参考資料)
Requiem (Mozart) https://en.wikipedia.org/wiki/Requiem_(Mozart)
海老沢敏、モーツァルトのレクイエムをめぐって- - 作品の真正性(オーセンティシティ)に関する予備的考察
美学/美学会編39(1);東京:美術出版社、1988.06.pp22~34
カルル・ドニ、相良憲昭訳、モーツァルトの宗教音楽、白水社、1989
Requiem ~典礼の儀式と音楽作品~、国立音楽大学附属図書館
https://www.lib.kunitachi.ac.jp/tenji/2010/tenji1009.pdf
モーツァルトのレクイエム ランドン版 http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/talk/mozart/landon.htm
各楽章の説明 https://blog.goo.ne.jp/pocknsan/e/ad1c5daaeaa580612468d1174967cd3a
名曲解説全集、音楽の友社