タイトル:海馬の見本市
作家 :杉野 郁
画廊 :ギャラリーMOS
展示会 :杉野郁個展-海馬の見本市-
購入日 :2023年7月15日
サイズ :P10号
技法画材:ぺン、アクリルガッシュ、色鉛筆等
■記憶を辿って
壁一面に並べられたガラスドームにはお城や灯台、気球、自転車に乗る人、さらには恐竜など様々な景色が映し出されています。人間だけでなく、動物や植物などが目にした(感じた)記憶の断片が封印されているのでしょう。用箋挟を手にした女性は番号を確認するように指をさしながら階段を下りていることから、ここは記憶の断片が保管された図書館のような場所と推測されます。ここで疑問に思ったのは、タイトルは《海馬の見本市》となっていることです。なぜ海馬の図書館ではないのでしょうか。
作者の冊子には「重要な記憶は多くなく、大抵なんでもないような景色が広がっている。(略)主観が入っているうえに曖昧なので科学的、歴史的資料には役立たない」と記載されていました。さらに「香り、空気までが残っているものもあり、それを抽出してシロップにしている業者がいるとかいないとか…」という一文が添えられます。確かに図書館とすると堅苦しい印象が強すぎてしまうかもしれません。「見本市」というタイトルからは賑やかなイメージがわき、杉野郁さんが描く世界に特有な「ゆるさ」が生まれるように感じました。
私は封印された記憶の断片は、必ずしも同じ情景を映し出すのではなく、例えば気球の色が赤から黄色になったり、スイスイ走っていた自転車が転んでしまったり、見る人の海馬と共鳴して微妙な変化が生じるように想像しました。同じ人でもその日の気分や年齢とともに映し出される変化は違ってくるかもしれません。シロップ業者はとても面白そうな職業です。ちなみに《連雀式シロップ舎六瓢》という2021年のかき氷屋さんの作品があります。和の雰囲気からすると今回の物語とは直接の関係はなさそうですが、異なる世界ながら少しだけ繋がりがあり、代々受け継がれている香料が実は海馬の見本市の世界に由来すると空想するのも楽しいです。「うちのシロップはそこらへんのお店のモノとは違うからね」と自信ありげな背負子の表情が好きです。
杉野郁さんに似合うモチーフ①豆本とミニチュア(グラバー園)
■絵画という視点 ①構図
基本となる構図の軸は画面左上の少年から女性が歩く階段のラインです。可愛らしいデザインの署名もポイント。鑑賞者の視線が惹きつけられます。少年と署名による対角線が形成され、振り子のような動きが生まれます。また、女性は画面の中心から少し左に寄っていることに気づきました。右側の棚を広くするためと思われますが、その分だけ左側のスペースは狭くなり、それが隠れ家的な雰囲気を醸し出してします。
ある日、私の部屋に飾っていた《海馬の見本市》を見返すと、意外に女性が大きく描かれていると感じました。逆に考えると、保管庫がより広がっているように記憶していたことになります。その理由を構図から考えてみましょう。一つ目は下に続く階段が途中で見切れていることです。フロアの高さは直ぐに想像できません。二つ目は建物の構造が複雑なことです。階段を下りた先には可動式の棚が設置されていますが、その上は中二階になっており、そこにもガラスドームが並んでいます。また、階段の下にあるニッチ(壁の凹んだ棚)に鉱物が置かれ、その前にも装飾台にガラスドームが載せられています。フロアの高さだけでなく、横幅もどこまで続いているのか分かりません。迷路のような空間と言ってよいでしょう。三つ目は左上の少年です。鑑賞者の視線を画面の隅までしっかり誘導してくれます。しかも少年は受付窓口の外にいるため遠近感が強調され、保管庫をより大きく感じさせる効果をもたらすことに気づきました。
構図を考えるうえで重要なことは鑑賞者の目線の高さです。受付の机の表面は見えますが、少年が手を乗せているカウンターは表面が見せません。その間に鑑賞者の目線の高さが設定されていることになります。女性をやや上から見下ろすことになるため、保管庫が地下深くまで続いている印象を与えます。鑑賞者は女性に連動して一歩一歩、階段を下りていく感覚を抱くでしょう。降りていく又は潜るというのは杉野郁さんの多くの作品に共通するイメージです。もっとも潜れば潜るほど静寂に包まれ気分は軽くなるのが不思議ですね。少年に対しては少し見上げる高さになっています。地表に戻される感覚とでも言うべきでしょうか。ガラスドームを一通り探索した後、少年のもとに戻ることで鑑賞の回遊性が出てきます。
目線の位置についてもう少し考えてみましょう。もし自分がこの作品の中に入り込むとしたら、自分の身長を考慮すると受付のフロアより一段低い床に立っていると思われます。この建物はスキップフロア構造なのだろうか、そう思索しているうちになんだか私もこの施設の職員であり、保管庫を歩いていたところ少年のためにガラスドームを探している同僚とすれ違ったように感じてきました。中央の階段は吹き抜けになっており、壁面に棚が並んでいるのかもしれません。描かれていない側面を想像すると保管庫はエッシャーの絵画のような複雑な構造を帯びてきます。この作品の醍醐味は単純に絵画として眺めるのではなく、自分の側にも保管庫が広がっていることを想像しながら、作品の住人として鑑賞できることです。複雑な建物は鑑賞者を作品の世界に取り込む舞台装置と考えてよいでしょう。
■絵画という視点 ②色彩
私たちが住む世界と似ていながら少しだけ違う。人間がいて、猫がいて、昔は恐竜もいて、現代の人々はクリームソーダを飲んで、公園を散歩して、ボートを漕いで、時には怖い夢にうなされたりと、ほとんどは同じです。地球は鉄や酸素、ケイ素などを主成分とし、地殻と核の間にあるマントルは主にかんらん石からできています。ところが、もし成分の割合が違っていたら、もし一つだけ違う物質が存在したら…。杉野郁さんの描く世界は、もしかしたら存在していたかもしれない地球のように思うのです。
建物の床や階段は何からできているのでしょうか。コンクリートとは違い頑丈ではあっても重苦しくはありません。大理石とも何か違う。研磨しているのではなく、素材そのものに硝子のようなツヤを感じます。ガラスドームは光を放っていますが、床や階段それ自体もほのかに青く輝いているように見えてきました。もしかしたら床や階段はガラスドームが放つ光を蓄積しているのかもしれません。反射しているのではなく、長い時間をかけて吸収、蓄積した光の成分がゆっくりと放たれていく感覚です。木製の机と椅子は、明暗はあっても木材の色と質感を保持しています。床や階段は私たちの世界には存在しないマテリアルなのでしょう。それを感じさせるのが色彩表現の妙です。青を強めると重たくなってしまいますが、赤やピンクを入れすぎるとメルヘンすぎた幼い印象を与えてしまいます。輝きを示す黄色や白色をどう用いるかもポイント。思いのほか黄色は控えめにしていることにも気づきました。光は「線」によっても表現できます。また、黄色を強くすると眩しすぎて調和が失われてしまうように思いました。
全体的な配色について考えてみましょう。必ずしもガラスドームはすべてが煌々に輝いているわけではありません。右上のケースは水色になっています。ガラスの扉があり鍵がかかっているので特別なドームなのでしょうか。ガラス扉が色を封じているとも想像できますね。最上段を明るい水色にすることで地下に降りていく構図が補完されることに気づきました。保管庫を海に例えると陽の光が届きやすい水面のようなイメージです。空と考えるのも良いでしょう。いずれにしても鑑賞者の視線をクッションのように受け止める枠として機能します。また、左の中二階になっている棚も輝きを抑えた水色になっています。その下の階にある可動式の書架は薄暗く深海に潜っていくような感覚になります。見どころは右の棚のガラスドームたちです。ガラスドームがプリズムとなり記憶が虹色に輝いています。階段もガラスドームの光によって陰影が施されています。幾つもの光源を調和させた配色がこの作品の世界観を形成しているのです。
さらにこの世界に特有な時間の流れがあるように思いました。日中の忙しなさは感じられません。深夜の方がしっくりきますが、少年が訪問しているのですから夜遅くということはないはず。夕方と夜の間にこの世界にのみ出現する時間があるのかもしれません。均等に流れていくはずの時間がなぜかゆっくり進む不思議な時間帯。これも配色の効果のように思いました。
■この街に住む人々
杉野郁さんの作品に登場する人々はそれぞれ別の人に見えるため、作品ごとに新しい人に出会う新鮮さを感じます。描き分ける技術があるのはもちろん、個性のあり方がとても自然に思いました。一般的な物語の登場人物には役割があり、それに応じたキャラクターが設定されます。しかし、私たちは何かの役割を与えられて生まれてくるのではありません。個性というのは最初から完成されているものではなく、人生の中で少しずつ蓄積され、変わっていくように思います。杉野郁さんの作品ではその場面に似合う人たちが描かれていますがキャラクター化しすぎることはなく、その人たちにとってはその日のワンシーンであり、少年は学校で授業を受け、女性は仕事が終われば街で買い物するといった日常の姿を想像することができます。人物を自然に捉えているがゆえに、鑑賞者も無意識のうちに作品の世界に取り込まれていくように思いました。
管理人の女性について考えて見ましょう。年齢に比べて落ち着いた大人びた印象があります。とても理知的で仕事も的確にこなすタイプと想像しました。人物像は表情や仕草だけでなく服装も重要です。エプロンドレスの類と思われますが、装飾は控えめで実用的ながら、大きな襟に特徴があります。シンプルながら洗練されたデザインはシスターのような慎み深い印象を醸し出しています。スカートの色は悩みどころ。青系統は背景に同化しています。黒はシスターやメイドを連想させますが、暗く重い雰囲気になり《海馬の見本市》の世界観を害しかねません。薄いピンクでも赤系統は目立ちすぎでしょう。黄色又は緑色が選択肢になりそうですが、黄色はガラスドームの輝きを弱めかねず、緑色をベースにするのが最適のように思いました。左足の裾あたりは黄緑色になっており、ガラスドームに照らされていることがわかります。青のカチューシャと束ねた髪がテキパキと仕事をするイメージを与えてくれます。よく見ると赤いイヤリングをしていることに気づきました。とてもお洒落で素敵ですね。この世界では鉱物は記憶の保管に関連する大切なアイテム。彼女とともに日々、ガラスドームを借りに来る人たちを見守っているのかもしれません。赤は差し色としても効果は抜群です。
受付の台に手を乗せた少年は恍惚な表情をしています。机の上にあるガラスドームが少年を照らしています。読書家?なのかもしれません。学校帰りに図書館に通うのと似ていますね。女性が階段を下りるたびに響くこの世界にしかない音が、少年の気持ちを高ぶらせているように思いました。どんなガラスドームを借りるのでしょうか。
杉野郁さんに似合うモチーフ②舷窓(四国汽船)
■たくさんの”たからもの”に囲まれて
右下には葛飾北斎《富嶽三十六景・神奈川沖浪裏》をモチーフにしたガラスドームがあります。その上のボートに乗る二人も有名な絵画をモチーフ(構図は全く違うのですが、モネの《舟遊び》を思い出しました)にしたのかと想像しましたが、何かの物語のワンシーンということでした。馬に乗った西洋風騎士も珍しいモチーフです。アーサー王の英雄譚ともドン・キホーテ風の滑稽譚とも解釈できますね。その隣はクジラの仲間かしらと順々に眺めていると、唐突に霊柩車が出てきました。見間違いかとしげしげ確認するもやはり霊柩車のようです。誰かが幼少期に目にした霊柩車のこわい記憶が結晶化したのかもしれません。
杉野郁さんに似合うモチーフ③リキュールグラス(制作:村山耕二さん)
様々なガラスドームの形も魅力です。同じ形状を探すが難しいくらい。というか同じものは見当たりません。台座や持ち手の部分、カバーの形状が微妙に違うのです。香水瓶に松と灯篭が封じられているのも面白組合せですね。ガラスドームに混じって貝殻や鉱物、書籍が並んでいるのも変化があって良いと思いました。
個々のモチーフだけでなく、全体的な配置も絵画としての工夫が凝らされています。階段を下りる構図のため鑑賞者の視線は下に向かいやすいですが、一つだけ網で縛られたガラス玉があり目に留まります。漁網の目印となる「浮き玉」のイメージで良いのでしょうか。文字通り鑑賞者の視線を救い上げてくれる効果があります。この一段は水晶や瑪瑙、珊瑚、瓶に詰められたビー玉(飴?)と変わり種が陳列されています。
受付の周辺はテイストが異なることに気づきました。一言で述べると昭和レトロです。木製の机とシンプルな椅子は年代物でしょう。素朴ながら引き出しの持ち手がホタテの形をしているのが愛らしい。招き猫や黒電話も昭和を代表するアイテム。実際に使用している人を見たことがない日めくりカレンダーも懐かしいですし、グラスに入った鉛筆も牧歌的です。机の上にある木箱は印鑑が入っていそうですね。受付周辺の懐古的な空間はある種の結界であり、私たちの世界と絵画の世界を繋ぐ扉とも考えられるように感じました。階段の先には私たちの世界には存在しないガラスドームが並んでいます。つまり空想的な世界です。一方、受付には私たちの世界にも存在しているレトロなアイテムが並んでいます。親近感といっても良いでしょう。なんとも奇妙な組合せですが、鑑賞者と絵画を優しく結び付けてくれます。杉野郁さんの作品によく登場するモチーフに結界石があります。それと似たような役割があるように思いました。私は少年の夢見心地な気持ちがよく分かります。なぜなら《海馬の見本市》もガラスドームに映る景色なのですから。(2026年1月31日)