タイトル:鞠つきうた
作家 :島﨑 良平
画廊 :Gallery MUMON
展示会 :東京浮幽女子 島﨑良平個展
購入日 :2020年8月25日
サイズ :609×1523mm
技法画材:日本画
この作品は、「あんたがたどこさ」という肥後の手鞠唄を描いている。「あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場さ~」と歌いながら鞠をつき、歌詞の「さ」のところで鞠を足にくぐらせる。そして、歌詞の最後で一回転して、鞠をお腹に隠すという遊びである。鞠はスカートに隠しても良いらしい。また、後ろの童女は、明治期に活躍した浮世絵師、小林永濯の「遊女鞠遊び」[1]の姿勢を借用している。
最初にこの作品を見たときは、なぜ女性が鞠を見つめてスカートを捲っているのか不思議であったし、小林永濯の「遊女鞠遊び」も知らなかったのだが、完成された構図に瞬時に魅了されてしまった。小林永濯の「遊女鞠遊び」は、童女と若い女性が向かい合っており、二人の手に焦点が行きやすい。また、若い女性の背が反っていることから、二人を重ねると「Y」のような図形となり、鞠を中心に回転するようなイメージを与えている。これに対して、島﨑氏の作品は、若い女性は踵を浮かせて垂直に立ち、足を上げた童女は斜めに倒れそうになっていることから、「静」と「動」が入り混じった感覚になっている。しかも鞠はかなり高い位置にある。実際に全力で鞠を地面に叩いても、ここまで高く弾むことはないだろう。これは鞠を月と重ねる意図があるのはもちろん、作品の大きさを活かした構図と考えられる。この作品は額縁を入れると高さは160cmくらいになるため、若い女性の顔に合わせて額を掛け、丁度良い距離を取ろうとすると、鑑賞者は鞠を見上げる格好になりやすい。童女が派手やかな着物を着ていることもあり、最初は二人に目が行き、その後、鞠と月に視線が移っていく。女性と鞠を交互に見ることで、鞠の滞空時間を強く感じることになる。おそらくもう少し小さいサイズであれば購入したいという人が多かったのではないか。しかし、それでは女性と鞠が同時に丁度良く視界に入ってしまい、緊張感が減殺されてしまうだろう。
童女と女学生がどのような関係にあるかを考えるのも面白い。童女は着物で、髪型は江戸時代を思い浮かべさせる。一方、若い女性は女子高の制服を着ており、明らかに時代が異なっている。二人は同時に実在しているわけではないのかもしれない。生まれ変わりの思念のようなものが重なっているとも解釈できよう。「重なり合い」は、この作品を読み解くポイントと思われる。童女と女性、過去と現在、鞠と月というように重なり合いを契機に絵画の物語が深まっていく。さらに、赤い鞠は太陽のようにも見え、本来は重なることのないものが絵画の世界で邂逅するようにも考えうる。
一つ一つのモチーフが綿密に検討されているのもこの作品の魅力である。まずは童女から見て行こう。姿勢は、小林永濯の「遊女鞠遊び」に倣っているが、よく見るとだいぶ印象が異なることに気が付く。「遊女鞠遊び」は、大人の着物の袖が目立ち、童女の手は若干隠れているのに対し、島﨑氏が描く童女は、腕が隠れておらず、右手は大きく広げている。両足があわらになり、爪先立ちで、今にも倒れかねない。左足の指には力が入り、右手に持った鞠でかろうじてバランスを保っている感じがする。鞠を黒色としていること、垂れ下がる赤い紐も秀逸である。これにより童女の両手足を頂点として、躍動感が生まれるとともに、鑑賞者の視界が広がる。この鞠と紐がなければ、画面やや左下がやや物足りなくなるだろう。童女の下膨れの顔は可愛らしい。女学生の唇が閉じられているのに対し、童女の口は僅かに開き、なんとか鞠を取ろうとする様子が伝わってくる。月明かりに染まったように瞳は黄色く、お粉を塗ったような白い肌は、童女が幻覚であることを示唆しているようにも思える。それに対して、女学生の血色は良く、実存が強調されている。
花魁のような華美な着物は、童女には似つかわしくないが、絵画に装飾性を高めることを主眼とした柄であろう。松や梅などの植物、青海波や麻の葉などの吉祥文様が巧みに散りばめられ、あたかも一つの世界が着物の中に存在しているかのようである。上部を中心に余白が多く、また、女学生の服は彩が少ないため、童女に地味な着物を着せてしまうと味気なくなってしまう。童女の着物に華やかさを集中させることで、全体として凝った作品に仕上がっている。余白と緻密を大胆に使い分けているのは見事である。
続いて、女学生に注目してみよう。服装から中学生か高校生であろうが、飄々とした姿に見とれてしまう。足元の曲線は一回転していることを示しており、鞠が落ちてくるのを悠然と待ち構えている。一切の動きに無駄がない。何を考えながら手鞠唄に興じているのであろうかと想像させることで、鑑賞者は絵画の世界から抜け出せなくなる。女性の髪は、墨でぼかすように描かれているため、軽やかな印象を与えつつ、湯上りのような艶めかしさを醸している。左の頬に僅かにかかる髪がそよ風を感じさせる。襟のボタンは外れ、赤いループタイが風車のように舞っている。童女の着物と同じように実際の服装というより、絵画の趣向に合わせていると思われるが、垂直に立つ女性に「動」を盛り込むことで、鞠が落ちてくるまでの時間と緊張感が増幅される。スカートはチェック柄で、柔らかな曲線美が、鞠を吸い込むようなイメージを与えている。作者曰く、膝の包帯は、下絵の段階で自然に描いてあり、鑑賞者の垂直な視線を一旦止める効果も狙っているということである。また、童女が履いていた下駄を描くか悩んだそうである。童女の左足の上に飛んでいる下駄があれば、鞠に対応する形で画面に視点の釘を打つこともできよう。ただ、作者が気にしていたようにモチーフが多くなり、雑然とした重さが出てしまうかもしれない。
背景に描かれている桜は、一見すると地味で意味を成さないように思えるが、画面に安定感をもたらしている。左側に壁を作ることで、鑑賞者の視線は絵画から脱線することなく、鞠と女性を結びつけてくれる。さらに、遠目からでは分り難いが、桜が巧妙に散っていることに気が付く。枝から雫のように落ちたのか、童女が持つ鞠の付近に多くの花弁が描かれている。また、女性の首筋や太ももに散る桜は魅惑的であり、スカートに入り込んだ花弁は鞠がスカートに包み込まれることを予感させる。
この作品は月が登っているため、時間帯は夜ということになる。ところが、暗がりは全く描かれていない。にもかかわらず違和感がないのは何故だろうか。その答えとしては和紙の質感にあるように思える。この個展では、「夏の朝」という作品が隣に飾られていたのだが、もっと白みが強く鮮やかであった。「鞠つきうた」は和紙を重ね、淡く黄色がかり、漠とした風合いがある。そのため、月夜のような雰囲気に仕上がっている。 (2021年2月23日)
[1]小林永濯の「遊女鞠遊び」は、練馬区美術館の「国芳イズム―歌川国芳とその系脈 武蔵野の洋画家 悳俊彦コレクション」(2016.02.19~ 2016.04.10)等で展示された。