タイトル:風神空中空気布団
作家 :島﨑 良平(島崎 良平)
場所 :Gallery MUMON
展示会 :島﨑良平 個展「水域」
購入日 :2024年6月7日
サイズ :344×243mm
技法画材:和紙に墨、アクリル、金泥
タイトル:風神空中空気布団
作家 :島﨑 良平(島崎 良平)
場所 :Gallery MUMON
展示会 :島﨑良平 個展「水域」
購入日 :2024年6月7日
サイズ :344×243mm
技法画材:和紙に墨、アクリル、金泥
言うに及ばず風神雷神は俵屋宗達を筆頭に古来より描き続けられた神様である。現代アートでも人気は高く、可愛らしさ強調したりポップにデフォルメしたりと様々にアレンジされている。しかしながら、今回の作品のように女子高生と思しき人間に負けてしまう軟弱な風神は見たことがない。目を丸くしてひっくり返る姿は情けなく、神様としての面子は丸潰れである。なんとも滑稽な風神であるが、仲間の雷神の姿は見当たらない。どこかに隠れているのだろうか。作者に尋ねたところ、この作品は当初、布袋様を描くつもりだったそうである。確かに布袋様と言えば大きな袋を持ち歩いており、袋に寄りかかって寝ている姿も有名である。なぜ布袋様から風神に変更されたのであろうか。風神が持つ風袋は肩に担ぐ細長い形が多い。自ら風を巻き起こし、サーフィンのように風に乗るイメージである。
丸い座布団に風神という組合せの謎を紐解くために、作品の全体像を眺めてみよう。丸い袋は風流な人間であれば満月に見立てるかもしれない。これも一興である。しかし、下賤の人間にとってはお尻に見えてくる。とすればこの袋の口は肛門であり、そこから出ている風は「屁」ということになる。どうせ屁をこくなら風神の方が勢いは増して良い。ということで風神様に御出座しいただいたとも想像できる。急に下品な話になってきたが、屁は風神雷神に負けず劣らず日本画で描き続けられてきた。北斎漫画にも放屁の図が描かれているし、河鍋暁斎の放屁合戦に至っては鮮烈な光線を放っておりもはや人間技ではない。室町時代の《福富草紙》という絵巻物には放屁の芸で財をなした翁の真似をした男が貴族の前で大失態を犯してしまう物語が描かれている。真似をする男もさることながら、放屁の芸に褒美を与える貴族も低俗と言わざるを得ない。屁負比丘尼の存在も屁への関心の高さをうかがわせる。と、余談はここまでとして連綿と続く放屁文化を理解いただけたであろう。
個展風景①
背景の赤もこの作品の大きな特徴である。一口に赤と言っても様々な色合いがあり、赤とするより朱とした方が正しいかもしれない。もっとも視覚は照明や壁の色の影響を受けるため、どんぴしゃで色を表現するのは難しく紅葉色、紅色にも見えるし、色彩事典を開くと猩々緋という色にも似ている気がする。日本画では赤い背景は極端に珍しいわけではない。鐘馗のような強いキャラクターに赤い背景が用いられるイメージがあり、これは厄払いや魔除けという意図があるのだろう。いわゆる縁起物なのである。なるほど風神が巻き起こす風、いや放屁ならどんな悪霊も退散するに違いない。背景の赤は鈴木春信の《水売り》という作品に着想を得たということである *1。気分転換であろうか。今回の個展「水域」では普段よりも多くの作品が出品されていたが、《風神空中空気布団》は視認性が高くかつ箸休めになるユニークな存在であった。さらに背景を赤とすることで主従が逆転し、空間や奥行きという概念が揺らいでくる効果があることも分かった。空気布団から放たれた風は勢いよく鑑賞者の方に向かっている。一方、その風の威力によって風神と女子学生が後方に飛ばされていると解釈することもできそうだ。そもそも絵画は二次元であるのだから遠近法は錯視を利用しているにすぎない。空間とは何かという禅問答を与えられた気分である。全体像としては花札の「芒に月」もイメージされている。「芒に月」は光札の一つで有名な絵柄であるから、花札を知らなくても見たことある人は多いはず。
鈴木春信《水売り》(東京国立博物館画像検索)
次に、風神を操る女子高校生に注目してみよう。風神の弱点は臍と見抜いた策士、いや合掌する姿から菩薩の化身と考えるのが妥当であろうか。随分と達観した表情である。来迎図で描かれる菩薩のように鑑賞者を迎えに来てくれる。胸をはだける必要はないのだが妙に神々しい。見立ては自由で構わないものの、この女子高校生は風神を苛めているように見えつつ行儀の良さがある。よく見ると靴は履いていない。布団に座っているのだから靴は脱ぐのが正しい。真っ直ぐに伸ばした脚も綺麗である。そして靴下にはイーストボーイのロゴが刺繍されていることに気づいた。島﨑さんの作品には頻繫に描かれている必須アイテムである。
蓮の花は開花しているもの、蕾、咲き始めと時間の流れを感じさせてくれる。葉の雫も美しい。しかも開花する蓮を頂点として風神の体と合わせて三角形が構成されているのもポイントである。額縁の四角、布団の丸と合わせて〇△▢という基本図が表現されているのだ。丸い布団は筆の強弱が魅力でることは言うまでもない。風にも淡い赤が混じっている。口の部分は紐で縛られているが、リボンのように紐が舞うことでリズム感が生まれているのも心地よい。リボンや紐も島﨑さんの作品に頻出するモチーフである。女子高校生のブラウスの衿からは赤いリボンが垂れ下がっているのが見えるだろうか。風神の腰紐は、布団の口紐にリンクするように垂れ下がっており、あたかも手と手が取り合うように見えてきた。
ところで、島﨑さんは植物と女性をセットにした作品を多く描いている。女性は植物と同じくらいの身長になっているのだが、この作品ではどのように解釈すべきであろうか。蓮の花に合わせて考えれば、風神も小人サイズになる。風神の大きさは想像したこともないが、手のひらサイズというイメージはないであろう。人間より遥かに高く3mくらいはありそうである。しかし、日本の神様は大きさを自在に変えられるイメージもある。女子高校生が蓮と同じサイズであることにも違和感はない。全く不思議である。不思議と言えばむしろこの場面である。どうして女子高校生、いや菩薩は風神を従えているのか。だいぶ古くなった家の和室の居間。丸いヨギボーに寝そべる女子高校生はうつらうつらと夢を見る。(2024年8月12日)
*1 画像出典 東京国立博物館 https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0028123
水売りという用語は①純粋な水を売る場合と②砂糖水に白玉を入れた甘い水を売る場合がある。この作品は後者である。砂糖水の甘さとリンクするために薄い赤の背景としたと推測するのも面白い。なお、白玉は砂糖水の入った桶の底に沈んでいるので、甘い水のみを買う、白玉付きで買う、砂糖増しで買うこともできたらしい。もちろんトッピングが増えればお値段は高くなる。
個展風景②
個展風景③