タイトル:双蛸遊び志野碗 茶碗
作家 :牟田 陽日
会場 :作家工房(石川県能美市)
展示会 :個展 のびのひ
購入日 :2023年12月18日
種別 :陶器
絵画は見た瞬間に良し悪しが決まります。これに対して茶碗のような器は立体作品であるがゆえに事は簡単ではありません。茶碗をテーブルに置いたところを想像してみてください。茶会をイメージしても良いでしょう。客たる鑑賞者は茶碗を斜め上から眺めることになります。そうすると実はこの作品の主役である蛸は影に隠れていまい、何が描かれているのか明確には分かりません。また、茶碗の見込みも気になります。実際に抹茶が入れられていれば、緑色に客の視線は引き寄せられます。そのため、口縁に伸びる吸盤のある一本の腕がヒントになっていますが、赤褐色の何某かが描かれているとしか思わないかもしれません。次に茶碗を手に取って持ち上げ、胴を見ると八方に腕を伸ばした大きな蛸が現れます。しかも、腰から高台にかけては急にすぼまるため、なお蛸の全貌をうかがうことはできません。蛸が描かれていると気づいた鑑賞者も、予想外の体の大きさに驚くのではないでしょうか。蛸の姿の全体を見るには、抹茶をこぼすくらい茶碗を傾けなければなりません。この不意を突かれた気分から、私はこの《双蛸遊び志野碗》を『けたぐり』と銘をつけることにしました。けたぐりとは、相手の足元を強くけると同時に、腕を引き寄せて倒す相撲の技の一つです。小さな力士が巨漢力士を「けたぐり」で倒すと場内は大きく盛り上がります。碗を持つ自分の手が蛸の足につかまれた気分になるのも「けたぐり」をかけられた気分になります。
斜め上から見た場合
さらに碗を横に回転させて、裏側を見て見ましょう。すると青緑色に輝く蛸が海中を舞うように泳いでいます。正面のボスキャラのようにどっしり構える蛸に対し、裏面の蛸は鑑賞者に驚いて逃げていくようです。びっくりしたのはお互い様ですね。もう一匹、しかも青緑の蛸に出合うとは予想していませんでした。ところで、蛸は色を変えられることで知られています。体表にある色素胞という組織を伸縮させることで、色が変化して見えると言われています。作品としては、正面の蛸は腕で鑑賞者を掴み、裏面の蛸は色彩で鑑賞者を海の中に引き込むように感じました。青緑の蛸を知識として知っている人はいるかもしれませんが、日頃から蛸を目にする人は殆どいないでしょう。この蛸は私を見て色を変化させたのだろうか、それとも海中の光の加減が影響しているのだろうか。鑑賞者との位置関係も曖昧になってきます。正面の蛸は岩肌に広がり、鑑賞者は蛸を見下ろすような形になります。一方、青緑の蛸は、鑑賞者と平行もしくは見上げるような位置にいるように見えます。けたぐられた私は碗という一つの海に放り込まれた心地がしてきました。泳いでいるうちに天地が分からなくなるような感覚に酔いしれていくのです。
今度は蛸の足にも色味にも「けたぐられ」ないよう注意しながら、じっくり作品を観察していきましょう。便宜上、赤褐色の蛸を正面、青緑の蛸を裏面とし、正面から見て右隻、左隻と呼びます。まずは形ですが、上から眺めると楕円形をしているのが良くわかります。手に取ってみるとフィット感がたまりません。手のひらで包み込むに丁度良い塩梅です。口縁は少し内側に寄せられ、柔らかい印象を受けます。また、裏面の口縁はやや高く、正面からでは青緑の蛸はまったく見えません。見込みには右上から茶色い流れがあります。もしかすると蛸が吐く墨をイメージしているのかもしれません。赤茶けた素地に釉薬がかかっていると思われますが、墨が海中に混じり合い広がっていくように感じました。これが蛸の墨であるならば、裏面にも蛸がいるヒントになります。しかし、これだけで蛸の存在を予想できる人は少ないでしょう。赤褐色の蛸に気づいて、正面の蛸をじっくり鑑賞する人ほど、裏面の蛸の不意打ちを喰らいます。蛸の墨の意図を察することができなかったことに悔しさを感じつつ、どこか小気味良さがあります。
では、先に裏面から眺めてみた場合はどうでしょう。青緑の蛸は胴の盛り上がった部分に描かれているので、蛸の存在には直ぐに気づきます。また、向かいの口縁には吸盤のある蛸の腕が覗かせています。珊瑚の欠片を掴もうとしているのでしょうか、腕の先を丸め、可愛らしさがあります。ところが、茶碗を横に回すと大きな蛸がお出まし。青緑の優美なイメージから一転、迫力ある蛸に吃驚して茶碗を落としかねません。この作品は正面から見ても裏面から見ても、回転させればギャップに驚く仕掛けになっています。なんともユーモアに溢れています。
工房からの景色
日本海を望む(加賀舞子海浜公園)
ところで、蛸の絵は、どちらかと言えばイラスト的に誇張して描くことが多いような印象を受けます。浮世絵では国芳《源氏雲浮世画合 玉葛》の敵役、《流行蛸のあそび》のお笑い、葛飾北斎《蛸と海女》の春画と概ね類型が決まっており、イロモノ扱いされている感が否めません。一方、西洋ではクラーケンと同じく、蛸も船を沈めるモンスターという怖い存在でもありました。そのため、魚介類は静物画の定番のモチーフですが、蛸を食する習慣はないこともあり、蛸を描いた著名な西洋絵画は見当たりません。蛸は長い八本の腕に特徴がありすぎるうえ、軟体のつかみどころのない形は何某かのキャラクター要素を与えないと描き難いように思われます。
個展でいただいた抹茶セット。お皿は那谷寺(小松市)の奇岩をイメージ
この作品は、陶器ならではの蛸の表現が魅力です。軟体動物である蛸のぬめりとした質感を再現するのは困難を伴います。また、蛸の表面には斑点やしわのような模様が広がり、色味の変化が捉えにくい。この点、陶器の釉薬の照りは蛸のイメージに合致するメリットがあります。さらに、この作品では色彩のグラデーションが素晴らしく、細かい筋を入れることで、蛸のありようを適確に表現しています。蛸の眼や吸盤には金色が施されていますが、これはデザイン性にも優れています。芸術に昇華させるには単純に被写体を写実的に表現すれば良いというわけではありません。鑑賞者が持つ蛸のイメージを邪魔することなく、さらに深めていくにはどうすれば良いか。蛸の質感とデザイン性を上手く融合していることが分かります。
正面の大蛸は腕を広げているのがポイント。平面の絵画と違って湾曲する器では蛸の腕は鑑賞者の視界から見切れることになります。それゆえ誰もが器を横に回すことでしょう。しかも蛸は高台の方へも腕を伸ばしています。そのため必然的に上下の動きも加わります。特に腕が岩に遮られているのか、途切れているように見える箇所も気になりますね。鑑賞者は海を泳ぐように器を眺めていきます。大蛸は海底の岩肌に張り付いているようにも見えます。防御の姿勢かもしれません。口縁の先にまで腕を回しているので、剥がすことは容易ではないでしょう。蛸は漏斗から海水と墨を吹き出し、逃げる隙を窺っている可能性もあります。本当は鑑賞者の方が大蛸に驚いているので、なにやら笑いが込み上げてきます。
裏面の蛸は軽快に泳いでいます。潮の流れに身を任せているのでしょうか。ダンスを披露しているようにも。裏面の蛸は青緑が最大のポイントですが、濃淡が生き物のリアリティを高めています。黄色やオレンジが混じっているのも見逃せません。蛸の特徴である斑点やしわのような模様も素晴らしい。一方で、軟体動物に特有のグロテスクさは感じません。蛸のリアリティさのみを追求すると、遊び心が失われてしまいます。茶碗を手に持って、器を鑑賞するときに楽しいと思える表現が大切なのではないかと感じました。
正面から見て右側
この作品は志野焼になりますが、辞書を引くと「美濃国(岐阜県)で産出する陶器。長石質の白釉が厚くかかったものが基本」とあります [1]。志野焼は、無地志野、絵志野、灰志野、鼠志野、鉄志野、赤志野など種類が豊富。気泡状の肌は特徴の一つであり、器の景色として楽しまれます。この気泡は海に潜ったときに生じる泡に見立てることもできます。海と言えば、一般的には青を思い浮かべるのではないでしょうか。ところが、この作品の背景は淡い渋みのあるピンク色をしています。海の色とはだいぶかけ離れています。それでも違和感を抱かないのは、釉薬のみずみずしい輝きと気泡も理由だと思いました。器を包み込むように持ち、見込みを覗くと今度は自分が海の中に潜っていく。手にした小さな器に自分が取り込まれるのは不思議な感覚です。海が持つ包容力や優しさを感じることができます。
この作品は釉薬がかかっておらず、素地が露わになっている箇所も散見されます。特に青緑の蛸をよく見ると釉薬がかけられていない部分で腕が途切れています。そして、釉薬がかけられた箇所にぽつんと蛸の腕が再び現れます。腕の欠片みたいに見えますが、天敵に腕をもがれたわけではなさそうです。これは何を意図しているのでしょうか。一つには水中の光の屈折をイメージしていると解釈できます。差し込む光に目が眩んだような感覚です。また、蛸が海面に浮上することは普通ないと思いますが、釉薬がかけられてない部分は露出した岩肌を思わせるものがあります。釉薬の輝きは海水、素地は岩肌という関係として楽しむのも良いでしょう。右隻は釉薬と素地のリズムが見所となっています。釉薬がかけられていない形がまた面白い。このリズムは表裏の蛸を繋ぐ幕間のような効果もあります。最後に作品を裏返してみましょう。赤茶けた素地は長年の波浪に耐え、海面から突き出す岩石のようです。器の見込みは釉薬がたっぷりとかけられ滑らかでした。一方、高台裏は素地と釉薬がせめぎ合う荒々しさがあります。釉薬は岩にぶつかり飛沫を上げる波のように飛散しています。豊饒の海と荒ぶる海。凪と時化。海の二面性がこの器には込められているように感じます。(2024年2月20日)
高台裏
[1] コトバンク日本国語大辞典 https://kotobank.jp/word/%E5%BF%97%E9%87%8E%E7%84%BC-74661