杖道は、長さ128cm、直径2.4cmの杖を用い攻撃よりも変化に応じて相手を制圧するのが本旨です。
17世紀初頭に夢想権之助によって創始された神道夢想流杖が起源です。
杖道は、昭和31年に全日本剣道連盟に加入し、同43年には太刀を「打」、杖を「仕」とする基本12本、その応用技12本が制定され「全日本剣道連盟杖道」として発足、同49年に第1回全日本杖道大会が開催されました。
杖道の試合は、2組の出場者が、規定の術技を仕打交代して演武し、その「充実した気勢」、「正しい姿勢」、「正確な打突と打ち込みの強弱」、「間合と間」、「礼法」などを審判員が判定して勝敗を決します。
出典:全剣連HP
《神道夢想流杖術と杖道》
「杖道」とは杖を使用する武道で、杖道の歴史を辿りますとこれは古く、今から四百年前に夢想権之助勝吉が編み出した「神道夢想流杖術」を基としています。夢想権之助は当初、新当流の櫻井大隅守吉勝の下で修業し、その後数多くの試合をし、一度も敗れた事はなかったそうですが、ある時、宮本武蔵との試合で極意の十字留にかかり、進む事も引く事も出来ずに敗れたと言われています。それ以来、夢想権之助は筑前宝満山に祈願参籠し、艱難辛苦の修行の末、 満願の夜、夢の中に神童が現れ「丸木をもって水月を知れ」との御神託を伝えられ、更に工夫を重ね、ついには宮本武蔵の十字留を破る技を編み出したと言われいます。この技を「神道夢想流杖術」と言い、筑前の福岡藩に伝えられて来ました。その特徴は、「突かば槍 払えば薙刀 持たば太刀」と言われるように、槍、薙刀、太刀の要素を兼ね備え千変万化する多様な技と、「傷つけず 人をこらして 戒しむる」とい う、人を殺めぬ不殺の理念にあります。
「神道夢想流杖術」は、明治維新後は白石範次郎先生が道統を守って来られました。白石先生には、高山喜六、清水隆次、乙藤市蔵らの高弟がおられましたが、講道館の嘉納治五郎先生の要請で、白石先生の命により東京で当流を普及させるため、昭和の初めに上京されたのが清水先生でした。当流は警視庁の宮田光雄警視総監の目にも留まり、昭和8年に創設された警視庁機動隊の前身である特別警備隊に警杖術として採用されました。この時に地元で道統を守る事になったのが高山先生でしたが、他界されたため、その後を乙藤先生が継がれました。清水先生が警視庁機動隊、講道館等で指導された事により、この神道夢想流杖術が一般に広まり始め、昭和31年には全日本剣道連盟に「杖道」として加盟し、広く普及するに至っています。