赤い鳥は自分が初めて好きになったバンドと言える。小学校の頃から歌謡曲は好きで当時流行っていた流行歌を聴いていた。グループ・サウンズが流行りだしブルーコメッツなど好きだった。でも赤い鳥との出会いは衝撃的だった。 赤い鳥の結成から解散まで時系列で追ってみる。
1969年(当時自分は小5)4月に赤い鳥は結成されている。まだアマチュアだ。10月ライトミュージックコンテスト優勝。(偶然にも当時3人だったオフコースが2位となっている)
1970年(小6)彼らはもともとプロになる気は無かったが、作曲家村井邦彦の強い勧めでデビューアルバムとなる
「FRY WITH RED BIRD」をロンドン録音。
10月ポピュラーソングフェスティバルで「翼を下さい」を唄い新人賞獲得。
多分、この頃だったと思う。なんの番組かも覚えていないが、テレビで偶然5人の男女が横一列に並び、真っ白いバックステージで美しいハーモニーで歌っている姿を見た。それが赤い鳥だ。そして多分その歌は「翼を下さい」だった。今でもそのシーンを思い出せるからかなり衝撃的だったと言える
1971年(中1)LP「竹田の子守唄」発売。自分がこの次の年中2のとき初めて買ったLPレコードがこのアルバムそれまでのギター2本ベースという編成から、バックバンドをつける。
1972年(中2)LP「パーティー」 アメリカレコーディング開始この年「翼を下さい」の英語盤のシングルが発売されていて、英語盤とは知らず購入してしまった。
1973年(中3)LP「美しい星」
シングル「紙風船」がスマッシュヒットベスト10に入ったりする。
ライブLP「ミリオンピープル」
1974年(高1)ラストアルバムLP「書簡集」〜あっけなく解散。名曲ぞろいの素晴らしいアルバムだ。
この年、赤い鳥は「紙ふうせん」と「ハイファイセット」の2つのグループにわかれ音楽活動を続けることになる女2人男3人というヴォーカルグループというのは日本でも珍しく、そのハーモニーの美しさは稀なものだったけに解散は本当に残念としかいえないが、彼らの音楽性の目指すところが違っていたようだ。それは解散後の初のアルバムに如実に表れている。
紙ふうせん〜LP「また二人になったね」〜売れ線ではないが、ほのぼのとした暖かい音楽。自分は紙ふうせんのファンクラブに入り、機関紙?に自分のカット絵を送るとその機関紙にそのまま使ってもらったというエピソードがあるが、その機関紙はもうどこかへ行ってしまって見当たらない。
ハイファイセット〜LP「卒業写真』〜LPのタイトルにもなっているがユーミンの卒業写真を収録。また、松任谷正隆作曲の「十円木馬」という曲があって好きだった。