1969年ヤマハライトミュージックコンテスト2位入賞(この時の優勝が赤い鳥だった)1970年シングル「群衆の中で」でデビュー当時はフォーク全盛時代で、拓郎、陽水、かぐや姫など泥臭いフォークが主流で、ハーモニーで聞かすオフコースの音楽は受け入れられず、売れない下積み時代を過ごしていた。今でも小田さんは当時のコンサートでの扱いや上層部からの言葉に対する恨みつらみを愚痴っている場面をコンサートなどで聞くことがある。この頃は二人のオフコースで自分は5人になってからのライブしか見ていないので、二人のコンサートも見てみたかった。
「秋ゆく街で〜オフコースライブインコンサート」1974年12月発売
オフコースとの出会いは、アルバムを買ったことで始まる。当時ヒットのないオフコースのことは全く知らない状況だった。デュオでハーモニーが美しいというアルバムの帯の情報だけでレコードを買うというのは、その頃の自分には、ちょっと冒険だった。レンタルもない時代だ。当時、デュオが結構多くてバズ、グレープ、ふきのとうなど売れだしていた。なぜライブにしたか?忘れてしまったが、確かオフコースのアルバムがこれしか無かったんだな。このアルバムですっかりオフコースの虜になってしまった。このアルバムは74年に発売されているから、75年(自分が高2の時)に購入していると思う。このライブの模様はアンコールまで含めて当時のライブの雰囲気を見事に伝えてくれる。前半の洋楽メドレーや日本の当時流行っていたフォーク陽水や赤い鳥、斉藤哲夫、フォークルの歌のカバーなど当時のフォークグループがしていないようなライブだったようだ。また二人のオリジナルの曲も綺麗なハーモニーでとても気に入った。
1975年(高2)ライブアルバムでオフコースを知った自分はレコードを探し、静岡にあったこのアルバムの前に発売されているファースト「僕の贈りもの」、セカンドアルバム「この道をゆけば」を購入。しかし、ライブに比べいまひとつの感があったのだが、この年の12月に発売された「ワインの匂い」を聴いて完璧にやられた。すごい!とにかく売れてないがすごい!内心、何かみんな知らない宝物を発見したような気分でこの年を終える。 高2の秋から冬にかけて、ワインの匂いの発売に向けていくつかラジオ番組にオフコースが出演していて、当時小田さんはシンセサイーザーを購入したばかりらしく、鈴木さんのギターとシンセの弾き語り。5人になる前の方が音が薄いだけにハーモニーがしっかり聞けていいんだな。「眠れぬ夜」や「愛の唄」「幻想」「老人のつぶやき」なんてラジオを聴きながら感激しつつ聞いてたもんだ。その時録音したカセットは今でも持っている。当時自分は結構ラジオマニア?でちょっとチューニングが外れるとなぜか北海道の電波が入ったりする(当時はまだ静岡県藤枝市在住)。その番組は夕方6か ら8時くらいだったと思うのだが、平日毎日だったと思うがその日のリクエスト曲をなんと100位から1位までもちろん1曲全部かけるわけにはいかないからサワリだけだが、確かDJがジャンボひでかつ?って名前だったと思う。その100位までのランキングをとても早口で唱えていたと思う。その番組で、なんとオフコースの「眠れぬ夜」が時には10位以内に入ったりするのだ。驚いた!北海道は流行が早いというが、やるな北海道!なんて思ってた。
「ワインの匂い」1975年12月発売 多分発売日に買っている。この後小田さんがソロになってからも発売日にほとんど買っている。このアルバムはオフコースのアルバムの中でも1番好きなアルバムだし、何度このレコードに針を落としたことか。当時高校2年、勉強もしなければ、部活も入っていないかといって得意な絵を活かすでもない無気力な高校生はオフコースの音楽にジト〜っと暗く沈んでいた。その時の気分はこのアルバムの最初の「雨の降る日に」に刻印されている。そして「昨日への手紙」「眠れぬ夜」「倖せなんて」「ワインの匂い」(この曲、ユーミンをモチーフにしているというが本当なのかな?)「あれから君は」B面に行って「憂き世に」「少年のように」「雨よ激しく」「愛の唄」「幻想」「老人のつぶやき」トータルで聴けるアルバムだ。
「SONG iS LOVE」1976年(高3)11月発売 このアルバムとライブから5人で活動し始めたようだ。
このアルバムにも好きな曲はあるが、「ワインの匂い」のまとまりの良さには全く追いつけない。この年の秋ぐらいだったか?静岡市公会堂にオフコースが来て、見に行った。チケットはギリギリで買ったから1番後ろの方だった。満員ではなくて後ろ3列ぐらい空席があったと思う。まだメジャーじゃなかったからね。印象的だったのは小田さんの手拍子の仕方、どう言ったらいいのか?幼い感じ?かな。それから5人で歌った「グラジュエイションデイ」だったと思うが、ともかく外国のスタンダード曲をハモってた。そして最後にアンコールがあって終わりそうだったのだが(当時はアンコール曲は1曲と決まっていた)、まだ、余韻があり、もう一曲聴きたいというムードだったんだと思う。自分はもう一度拍手を始めた。自分の記憶では自分が始めたと思う。それがみんなに広まり2回目のアン
コールが始まった。そんな思い出がある。
「JUNKTION」1977年(浪人中)9月発売 そうかこのアルバム浪人中に聞いてたんだな。このアルバムはA面をよく聞いた。「思い出を盗んで」がすごく好きで、蝉の声から始まる「愛のきざし」海を感じさせる「潮の香り」から「秋の気配」完璧な流れ。特に「秋の気配」は、小田さんの地元「港が見える丘公園」を舞台にしていて、数年前横浜に住む娘のところへ行った時に立ち寄ってみた(すごい人であの歌の雰囲気ではなかったが)この年にも埼玉の親戚に行った時に、たまたま中野サンプラザでライブをやっていて見に行ったと思う。
「FAREWAY」1978年(大学1年)10月 これは最も懐かしいアルバムと言える。この年北海道教育大学に入学し、1年目、発売されたばかりのこのアルバムを聴きながら美術サークルの写生会で函館に行ったからだ。その写生会で函館の景色を描いた絵が、夜の合評会で教授に絶賛された。そして、その晩、誕生日だった自分に同じ1年生たちにお祝いしてもらった。その時、なぜかみんな1曲ずつ歌を歌ったんだったかな?自分の好きなMさんがふきのとうの「白い冬」を歌ってくれたんだ。そんな思い出と一緒に懐かしく振り返らさる(北海道弁)やっぱりこのアルバムでは「夏の終り」と「心さみしい人よ」がいいな。
「 Three&Two」1979年(大2)10月発売 この年はオフコースにとって大事な年となった。このアルバム
にも収録されている「愛を止めないで」が1月にリリースされ、年末の12月「さよなら」で大ブレイクという年なのだ。そして、次のシングルがなんと売れ線ではない「生まれ来る子供たちのために」だった。おださんらしい。「さよなら」は12月の発売で自分の失恋とともに悲しい曲となってしまった。8月の夏休みだったかな?静岡文化センターでオフコースライブがあり、高校時代の唯一の友人S氏と見に行った。「愛を止めないで」の時に海を飛んでいく鳥の映像が音楽とマッチしていて素晴らしかった。
「We are」1980年(大3)11月発売 もうこの頃になるとオフコースはすっかり売れっ子で、認知されていたが、このアルバムの完成度は高かった。この年、寮のオフコースファンの友達と一緒に札幌厚生年金会館のライブを見に行っている。その時に新曲「Yes No」をトランペットの前奏からいきなり歌い出し結構衝撃的だった。また、冬?We areの発売からすぐ真駒内でライブがあり、一人で聴きに行ったが、ほとんどMCなしでレコードと同じ?その通り演奏するのはすごいことかもしれないが、あまり面白みのないライブだった。今の小田さんのご当地紀行のようなサービスは全くない。冷たく音楽を届けるだけみたいな?なんと変わったことか小田さんも。
OVER」1981年(大4)12月発売 もう大学卒業間近、なんとタイトルがover重なるんだな自分の卒業と偶然だろうが、この後四人のオフコースが解散する1989年の前年帯広のライブを当時付き合っていたかみさんと共に見ている。オフコースの解散の年に自分は結婚。このアルバムでは「哀しいくらい」が1番好きで、まさか「言葉にできない」が後にあんな形でみんなに知れるようになるとは思いもよらなかった。
そして、次のアルバム「I Love You」で事実上五人のオフコースは解散となった。まあ、84年には四人で復活するのだが、、。自分の中でも就職し、学生気分ではいられない状況だった。
とこうしたわけで、自分の高校生〜大学生時代はオフコースと共に歩んできたような。思い出すままにオフコースを語ってみました。