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2004年第九演奏会のアンケート結果をサブページ「2024演奏会アンケート結果」に公開しました。(2025/1/12)
【 第九の意味合いと解釈 】
日本では第九演奏会というと、年末のイメージがありますが、これは日本だけの習慣で、その一番の要因はオーケストラの営業目的という面が大きいと言われています。でも今では、いろんな時期にいろんなところで演奏されています。
なぜ、第九演奏は人気があるのか?
ここで、第九交響曲を作曲したベートーヴェンの人と成り、時代背景を探っていきたいと思います。
ベートーヴェン、そしてその時代背景
ベートーヴェン(1770年12月16日~1827年3月26日)は宮廷専属のテノール歌手の子供として生まれました。しかしその父は飲んだくれのスパルタ教育者だったといわれ、酔っ払って夜中帰ってきて息子を起こし、その彼にピアノの猛特訓をさせたり暴力をふるったりしたそうです。難聴になった原因もそこにあったと言われています。
母親からも愛情をあまり受けられなかったようです。
ベートーヴェンは20歳代でシラーの詩に出会い、いつかこの詩に曲を付けたいと思っていました。その中に出てくる「歓喜」という言葉は、実は「自由」という言葉の代わりに使われていました。というのはベートーヴェンが生きたその時代は封建社会で、貴族皇族が幅を利かせ、彼らは人々を監視していました。そして「自由」という言葉をつかえない状況だったと言います。しかしベートーヴェンは威張っている貴族に「貴族は何千人といるが、ベートーヴェンはたった一人だ」と言い放ったことがありました。 そんなベートーヴェンも彼らに監視されていました。
そんな中、共和政治の為に戦っていたはずのナポレオンが皇帝になってしまったことに失望し、また第九に用いる詩の一部を変えてしまったシラーの日和見にも失望しました。
また可愛がっていた甥とうまくいかず、人間関係でも悩みました。彼は宗教哲学を求めて、インドの古い宗教にも接したといわれています。
第九の意味合いと解釈
第九は、各楽章で意味合いを持っているといわれます。
歓喜(喜び)とは何かを、当時の世の中の実態を交えて展開していきます。
第1楽章:世界を創造する権力、名声、お金、一方で栄枯盛衰を葬送のテーマで危うさも
第2楽章:お酒や舞踏に明け暮れる刹那的快楽、楽園
第3楽章:平凡な日常生活 憎悪のない愛に満ちた自然な世界
第4楽章:第1楽章~第3楽章までを全て否定して、新たな生き方を示唆していきます。
勇気をもって古い体制を打ち破り、一人ひとりが一緒になって、自分自身の自由の道を歩んでいこうと叫んでいるように思えます。
ベートーヴェンは自身の難聴がどんどん進み、ますます苦しい状況になっていきますが、世の中を変えよう、民衆に音楽を届けようという強い気持ちが第九に昇華されていったのだと思われます。そして叫びます、「苦悩を突き破り、歓喜に至れ!」と。
ベートーヴェンの民衆のための音楽を作りたいという気持ちは、第九初演後、地方での上演の時は、ソリスト以外の合唱をその地で集めたメンバーで構成するということにも繋がっていると思います。また第九の平和思想は、ベルリンの壁が崩壊したとき、ドイツの人たちはこの第九をうたいながら喜び合ったということでも知られています。
日本では、最初に第九が演奏されたのは大正7年 (1918年) 徳島県鳴門市においてですが、それはどんな様子だったかと言いますと、鳴門市に存在した第1次世界大戦の捕虜収容所にドイツ人捕虜がおりました。そのとき収容所の所長だった松江豊寿という人が理解ある方で、人道的な運営がされ、捕虜には朝晩の点呼以外は自由な生活が許されていました。それで捕虜たちは感謝の気持ちを込め、友好のしるしとして第九を演奏したのです。その音楽、歌声は周りの住民の耳にも届いたということです。
毎年の演奏会を聴く事を楽しみにしていらっしゃる方もいますし、毎年演奏者として参加される事を楽しみにしていらっしゃる方もおります。世界で初めてのコーラス入りの交響曲として楽しさ満載の第九ですが、ベートーヴェンのようにもがきながら自分の使命を全うするという意味において、一年の終わりにそれぞれの方が自分の一年を振り返り、精一杯頑張れたかどうかを確認する機会になるのも、いいのかなと思います。
以 上
【 演奏会への想い 】
(準備中)