【2026年度研究集会(第372回月例研究会)のお知らせ 】
本年度の研究集会は、午前中に自由論題で2名の会員に報告していただきます。午後は特集企画として「「勉強」のメディア史」というテーマでミニ・シンポジウムを開催します。近年、少子化の進行やメディア環境の変化に伴って、学校のありよう、さらには「学ぶ」という行為そのもののあり方が改めて問い直されていますが、今回の企画では、日本の近代化以降、人々の「勉強」という行為とメディアがいかに関わってきたかについて、受験や教養、苦学と立身出世などのテーマも意識しつつ、3名の会員にメディア史の観点から学校や学びに着目した論題での報告をお願いし、学校・教育・学びをめぐる諸問題にメディア史の観点からどのようにアプローチできるのかを考えます。
※ハイフレックス形式(対面、Zoomでのビデオ会議のどちらでも参加できる方式)での開催となります。
夕刻からは懇親会を開催しますので、是非ご参加ください(懇親会だけの参加も歓迎です)。
メディア史研究会はまったく自由な研究会ですので、会員以外の方でも、もし内容にご関心があれば、どうぞ気楽にご参加下さい。
【日程・会場・費用】
日時:2026年9月5日(土)10:00~18:00(9:30開場)*参加無料
会場:立教大学池袋キャンパス マキムホール(15号館)M201
http://www.rikkyo.ac.jp/access/ikebukuro/
https://www.rikkyo.ac.jp/access/ikebukuro/qo9edr00000001gl-att/img-campusmap_ike.pdf
[参加方法]
・ハイフレックス形式(対面、Zoomでのビデオ会議のどちらでも参加できる方式)での開催となります。
・当日は資料配布を行わず、事前にメール配信することから、対面で参加される方も事前申し込みをして頂く必要があります。
・参加を希望される方は2026年8月20日(木)までに次のURL(Google forms)からお申し込みください(対面かビデオ会議かと、懇親会への参加の有無を選択してください)。申し込まれた方へ、対面での参加の方へは報告資料を、ビデオ会議での参加の方へはアクセスするためのURLと報告資料を、9月3日(木)にメールで配信します。
【会場では報告資料を配布しませんのでご注意ください】
https://forms.gle/C21UvRXahYb9jXzq8
→送信がうまくできない場合には、時間をおいてお試し下さい。
★懇親会の参加人数を2週間前までに把握する必要があるため、申し込み締め切りをいつもより早めますのでご注意ください。
★参加申し込みが締め切りに遅れた、あるいは、参加を申し込んだが報告資料やURLが届かないということがありましたら、飯塚さん宛にメール koichi0202@tba.t-com.ne.jp でお知らせください。
お知らせください。
※会場でご自身のPCからネット接続をしたい場合、Eduroam(ご自身の所属機関が加盟している場合に限ります)を通じて、あるいはデザリングなどのご自身の手段で、WiFiへの接続が可能です。Eduroamの概要は https://www.eduroam.jp/about からご確認ください。
[懇親会]
18:30~20:30
日比谷松本楼 セントポールズ会館店(立教大学池袋キャンパス内)
https://matsumotoro.co.jp/shop_list/06rikkyo.html
懇親会費 6000円(学生 5000円)*当日、会場でお支払い下さい。
【プログラム】
9:30 開 場
■10:00~12:40 自由論題
司会者:村上聖一(NHK放送文化研究所メディア研究部)
金子龍司(宮崎公立大学人文学部講師)
「熱狂する観客―戦時演劇興行における「雰囲気」の問題」
石川徳幸(日本大学法学部教授)
「五百木良三の政治活動と言論」
<昼休み> *学食がお休みのため、大学近辺のコンビニや食堂をご利用ください。
■14:00~17:45 特集企画:ミニ・シンポジウム「「勉強」のメディア史」
司会:長尾宗典(筑波大学人文社会系准教授)
長尾宗典:企画の趣旨と報告者の紹介
都倉武之(慶應義塾福澤研究センター教授)
「「勉強」と図書館―空間・資格・身体―」
町田祐一(日本大学生産工学部教養・基礎科学系准教授)
「大正~昭和初期の日本における「独学」のメディア史―日本大学法制学会と『法制』を事例として―」
福間良明(京都大学大学院教育学研究科教授)
「新書の戦後史と中年教養文化―通勤・労働と「読書への問い」」
【特集企画の趣旨】
「「勉強」のメディア史」
近年、少子化の進行やメディア環境の変化に伴って、学校のありよう、さらには「学ぶ」という行為そのもののあり方が改めて問い直されている。今年度の研究集会では、そうした点も視野に入れつつ、「「勉強」のメディア史」と題して、メディア史の観点から学校や学びをめぐる諸問題について考えてみることにしたい。
日本においては、明治以降、近代化の過程で国民皆学が目指され、国定教科書や唱歌、さらに祝祭日の式典・儀礼を通じて「国民」の形成が図られてきた。また、地域社会のなかでは祭礼と一体になった様々な行事も行なわれた。単に教えるものと学ぶものが一緒にいる場というだけでなく、学校もまた地域に埋め込まれた一つの大きなメディアなのであるが、本企画をあえて「学校のメディア史」としなかったのは、「学校が国家の近代化に必要な国民を鍛えるメディアであった」という、あらかじめ予測可能でありきたりな結論を避けるためである。国民を作る鋳型としての学校の役割を予め想定しておき、その諸側面を問うのではなく、むしろ制度としての学校に関わりながら、その周辺で、受験競争に最初から縁がなかった者、受験競争に勝利する者と落第していく者との線引き、学校(ひいては国家)が求める人間像を内面化する者と、それに順応せず(できず)逸脱していくものとの分岐、勉強する人/しない人の境界がどう揺れ動き、それとメディアがどう関わるのかという点をより掘り下げてみたい。
そのためには「勉強」を学校とだけ結び付けて考えるのではなく、その原語となる‛study’が意味する学問研究や人格陶冶のための訓練という意味にまで広げた上で、メディアとの関わりを捉えていく必要がある。さらに、メディアの範囲に、学校教育の手段としての教材や教育方法に限らず、個人で「勉強」するために使われた印刷媒体や図書館、同じ問題関心を持っていたり同じ境遇にある者で構成する読書サークルなども含めることで、「何を勉強したか」だけでなく「どう勉強したか」にも着目することができるだろう。
たとえば現代でも、受験勉強をする高校生が几帳面に色を使い分けたノートの写真をSNSにアップロードし「#勉強垢とつながりたい」などのタグを付けて投稿している事例が複数見られる。SNSのなかった時代でも、受験生がハガキをラジオ番組に投稿したり、受験雑誌に投書する例は見られた。試験にパスするための勉強は、受け手に孤独を強いつつ、同じような境遇に置かれた他者との「つながり」の欲望を内に包み込んでいて、そこには必ずメディアの問題が介在している。受験生に読まれる雑誌は、何も受験に有利な情報を一方的に提示するだけでなく、読者からの反応を取り込んだ双方向的なメディアとして展開するものといえよう。
「「勉強」のメディア史」は以上のようなメディア特性との関わりから構想される。日本の近代化以降、人々の「勉強」という行為とメディアがいかに関わってきたか、受験や教養、苦学と立身出世などのテーマも意識しながら、今年度の研究集会では、こうした学校・教育・学びをめぐる諸問題にメディア史の観点からどのようにアプローチできるのかを考えてみたい。