「自然治癒力」とは神秘的なものなどでは決してありません。
すべての生き物が持っている自然のちからです。
いのちはそれ自体が生きることに全力です。
子どもはすくすくと育っていきます。しかし、小さな赤ちゃんが何倍にも大きくなり、いろいろ覚え、個性まで身につけていくことは、とても不思議なことでもあります。
わたしは「いのち」には「いのち」自体にちからがあると考えています。いのちをシステムと捉える考え方もありますが、そのシステムを動かすにはやはりエネルギーであるちからが必要だと思うのです。それが私が考える「いのち」のちからです。「いのち」には「ちから」があり、「ちから」があるのが「いのち」です。
自然治癒力もいのちのちからの一つです。
人の体は暑ければ汗をかきます。寒ければ熱が体から逃げないように毛穴を閉じます。体内の水分が減れば自然に喉が渇き、多すぎればトイレに行きたくなります。
このように、体は常に体温や水分量のほか、ナトリウム濃度、ペーハーなどの様々な指標が一定の範囲に治まるようコントロールしています。この働きを生理学で「ホメオスタシス」といいます。
自然治癒力とは特別で不思議なちからではなく、体が自然な状態にもどろうとするホメオスタシスの別名とすれば、より受け止めやすくなるでしょう。
ウイルスに感染すると発熱しますが、これはウイルスにより無理やり熱を上げさせられたのではありません。ウイルスや細菌と戦う自分の免疫細胞に有利になるよう、自分の体が積極的に体温を上げているのです。そのため、高熱でもないのに安易に解熱剤を服薬することは、有利な状況を自分から放棄することにもなります。
このように、病気の症状は外からの攻撃に対する適正な生体反応でもあり、治癒に向けた過程そのもの、自然治癒力の現れでもあるのです。
信じて飲むと薬効成分がなくても薬の効果が出ることを「プラシーボ効果」といいます。世間的には「思い込み」や「ニセモノ」といった悪いニュアンスもありますが、逆に言えば「プラシーボ効果」こそが自然治癒力の現れとも言えます。
つまり、自然がすべてのいのちに授けた「自然治癒力」を信じる(わたしの感覚では現実の生理学上の働きなので「信じる」ではなく「承知する」ですが)ことで、症状がいい方向に変わることもあります。
ただし、最も注意が必要なことは、患者を欺く意図で行った行為(治療とは呼べないので行為とします)でも患者が信じることで、「プラシーボ効果」だとしても行為の効果がありうる点です。
この点を除けば、わたしは「プラシーボ効果」を自然治癒力の現れとして肯定的にとらえていますが、「プラシーボ効果」を否定的に受け止める立場からは、鍼灸治療を認めることは難しいかもしれません。社会的に治療法としての鍼灸の位置付けが微妙なのはこの点にあると考えています。