心理療法としてのミュージック・セラピー
心理療法としてのミュージック・セラピー
私は,「即興的音楽表現」を媒体とするミュージック・セラピーを専門としています。でも,この「即興的音楽表現によるやりとり」というのがよくわからないという人がほとんどではないかと思います。
いきなり,ミュージック・セラピーの現場で起こる音楽的なやりとり,つまり「即興的」な「音楽」的な「表現」を通してやりとりをしながら,心のことを取り扱うということを説明しても,初めての人にはわかりにくいと,やはり思うのです。
それで,まずは言葉を使ってやりとりをする心理療法/心理カウンセリングを想像してみましょう。
例えば,あなたは人間関係がうまくいかず悩んでいる。新しい場所で今度こそ仲良くなれるかなと思った人がいて,親しくしているつもりだったけれど,気がついたら距離を置かれていた。なぜいつもこうなるのだろう。孤独で辛い。私の何が悪いというのだろう。誰にも理解してもらえない。もうしんどいし眠れない。
そうして受診した病院で,心理カウンセラーにじっくり話をきいてもらう心理カウンセリングを勧められたとしましょう。心理カウンセリングは毎週土曜日の10時~10時50分の50分間,カウンセラーと対面で座り,何でも話したいことを話すよう促されます。あなたは頭に浮かぶままに,言葉を紡ぎ出します。人間関係がうまくいかずしんどいこと,苦しいこと。親しいと思っていた人が急に離れていって悲しかったこと,辛かったこと。なんで自分ばかりがこんな目に合うんだろうという怒り。あなたは,いろんな気持ちを言葉で表現するでしょう。そのうち,そう言えば小さい頃から友人があまりできなかったことを思い出して,あなたは過去の出来事や過去のあなたの気持ちを話し始めるかもしれません。カウンセラーは,あまり多くは話さないけれど,あなたの話に耳を傾け,あなたが自分の気持ちをうまく表現できないときに「こういう気持ちですか?」と尋ねたり,あなたがうまくまとめられずにとにかく話したことを,「あなたが今話されたことは,こういうことですね」とか「お話を聞いていると,苛立たしいと感じていることを表現されているように思います」などと,あなたの心の様子を鏡に映して見せるように応答したり。あなたが話していることがもうひとつよくわからないときには「もう少しそのことを説明できますか?」とあなたがさらに言葉にできるように促したり・・・。これはフィクションの例ですが,例えばこんな風にクライエントとカウンセラーは,言葉を使ってやりとりをします。そして,その言葉によるやりとりの中で,クライエントが自分の抱えるしんどさの本質に気づいていったり,その気づいたことをなかなか受け止めきれないのを少しずつ消化してなんとか受け止めたり,そういうプロセスの中でクライエントは,よりよく生きていきたいと少しずつ自分の心を育んでいきます。
さて,心理療法としてのミュージック・セラピーでも,今説明したのと同様のやりとりがなされます。でも,表現ややりとりの主な手段が言葉ではなく,音楽的表現なのです。
ミュージック・セラピーのセラピールームには,様々な楽器が用意されています。大きさ,形,素材,質感,音色が異なる様々な楽器です。どれも質のよい音が出ます。鳴らすのに技術はいりません。だいたいの楽器は軽く叩いたり揺らしたりするだけで音が出ます。あなたは,これらの楽器を自由に選んで,思うままに鳴らして表現することを促されます。頭に思い浮かぶままに,あるいは手が動くままに,または直感で,あなたは音を少しずつ鳴らしていくでしょう。どのように音を鳴らしても,どのように音を連ねていっても,ミュージック・セラピストは音楽的にあなたの音に応答します。あなたが楽しそうに音を鳴らせば,そのあなたの<音楽>に即興的に加わっていきます。あなたが自信なさそうに音をぽつぽつ連ねていたら,あなたが大丈夫と感じられるように,あなたの表現を音楽的に支えます。はじめは「思うままに鳴らしてどうなるんだろう」「音楽的にやりとりするってどういうことだろう」と思っていたあなたも,ミュージック・セラピストがあなたのどのような音楽的表現にも耳を傾け,<あなたの音>に音楽的に応答していることにすぐに気づくと思います。それは,音を介して通じ合うような体験です。言葉を介さなくても,あなたの表現は届くということをきっとあなたは体験します。そのうち,あなたは時には意図的に,時には無意識のうちに,自分の奏でる音にいろいろな思いや感情をこめて表現するようになります。ミュージック・セラピストがその音に鏡のように応答することで,あなたは無意識のうちに表現したあなたの本当に思いに気づくことがあるかもしれません。あなたが,意図的に怒りの気持ちを表現したときには,ミュージック・セラピストはあなたの表現を音楽的に支えながら,あなたの気持ちを受けとめていきます。…これもフィクションの例ですが,例えば最後の「怒り」の表現を音楽的に支えながら応答するのは,子どもが自分で消化できない怒りの気持ちを顔をぐしゃぐしゃにして泣いて表現したときに,母親が受けとめて子どもの気持ちを理解していくプロセスと実は同じです。自分の中にわいてきたネガティブな感情が受けとめられ,包みこまれることで,「ネガティブな感情を抱いても大丈夫だ」と,あなたは感じると思います。そして,あなた自身でその感情を抱えることができるようになっていくと思います。ミュージック・セラピストとの音楽的なやりとりの中で,クライエントは自分の抱えるしんどさやいろいろな感情を言葉以外の方法で表現できること,言葉以外の方法でも他者に伝わること,そしてその表現された心の様子はミュージック・セラピストによって受けとめられ理解されることを体験的に理解していきます。そういうプロセスの中で,クライエントは少しずつ自分の心を育んでいきます。
と,これだけ説明しても,なかなかうまくこの経験を説明しきれません。クライエントによって,生まれる<音楽>は違います。同じクライエントでも,その日によって心の様子は違うので,「今,ここで」奏でる音は当然違ってきます。そして,ミュージック・セラピストとの音楽的やりとりの中で,その<音楽>はどんどん変化していきます。楽譜はありません。プログラムもありません。だから,実際の音楽的やりとりがなかなかイメージしづらいと思います。本当は,体験してみるとよくわかると思います。
このウェブサイトにその即興的音楽表現でのやりとりの動画を掲載してくれないかなぁと思う人もいるかもしれません。
考えてみましたが,2つの理由で今はやめておきます。1つは,本当のクライエントとのやりとりはプライバシーの観点から許可なく見せることは絶対にできません。では,許可を取ったらいいのでは?と思われたかもしれません。誰かに見せることが前提になったセッションは,明らかに変わります。第三者が見ることを無意識のうちに意識した表現になってしまいます。それは,クライエントだけでなく,ミュージック・セラピストもです。私は,クライエントの利益を最優先することを考えると,実際のセッションの動画を他者に見せる許可を得る,ということ自体に大きな葛藤を感じます。ですので,私はこれまで見せることの許可を積極的に取ってきたことはありません。
もう1つは,即興的音楽表現によるやりとりは,第三者が見てもあまりおもしろくない可能性があります。美しい音楽,おしゃれな旋律,きれいな和音で音楽的表現によるやりとりができあがっていることはあまりありません。動画を見ても,録音を聞いても,少し音色の違う2つのたいこの音がボンボン聞こえてくるだけ・・・みたいなことはよくあります。でも,クライエントとミュージック・セラピストの2人の間では,聞こえてくる音以上のものが交わされています。ですから,第三者から見ても何もおもしろくない音楽的なやりとりが,2人にとってはとても意味のあるものであることがよくあるのです。これは,実際のクライエントとのセッションだけでなく,音楽的やりとりの体験をした場合でも基本的に同じです。精神分析家の北山修さんが,ある本の中で以下のように書いておられます。これはまさに,私がいわんとしていることです。
「臨床は,『みんな』を喜ばせるために行われるのではない。人に聞いてもらって面白くないセラピィが,現場で感動的なことはいくらでもある。第三者のための感動はセラピィの目的でない。」(北山修 『劇的な精神分析入門』みすず書房,2007, p.25-26.)
やりとりの手段が言葉であっても音楽的表現であっても,同じです。