心理療法としてのミュージック・セラピー
心理療法としてのミュージック・セラピー
心理療法としてのミュージック・セラピーは,基本的には対象者を選びません。
障がいがあってもなくても,病があってもなくても,子どもでも大人でも,音楽的に表現・交流することを通して心の課題に取り組み,心理的により健やかに生きていこうとするあらゆる人に開かれています。
とはいえ,即興的音楽表現を自己表現や対話の主な手段にするので,障がいや病など何かしらの理由で言語的に表現することに制限・困難がある人にとって,言語を主なやりとりの手段とする心理療法よりもアクセスしやすいという面はあると思います。
例えば,知的障がいなどにより言語を十分に使うことが難しい人で,心がしんどくなっている人の中には,自分の心の中にある様々な感情を安全に表現する手段が見つからず,自分や他者あるいは周囲の物を傷つけるような形で表現してしまうこともあります。ミュージック・セラピーでは,音を通してより安全に自分の気持ちを表現することができるということを経験してもらうことができます。クライエントの表現に,ミュージック・セラピストは音楽的に応答します。ミュージック・セラピストは,一方的に音楽を提供したりしません。クライエントの表現を待ち,よく聴いて,受けとめ,音楽的に応答するのです。音に込められた情緒が言葉に変換されることなく,クライエントとミュージック・セラピストの間を行き交うので,言語の使用や理解が難しくても,自分の気持ちが受けとめられ,理解されたことが伝わります。他者に自分の気持ちが届き,理解されたということがわかると,大きな安心感につながります。また,ミュージック・セラピストによって気持ちが受けとめられ抱えられる経験は,あらゆる気持ちが―ポジティブな感情もネガティブな感情も―他者との関係性の中で,抱きしめられ,慰められ,ひいては消化できるものであり,1人で抱えなくてはならないものでも,自分の心を脅かすような恐ろしいものでもない,ということを経験的に知っていくことにつながります。このような経験を通して,自分の中にある様々な感情に気づき,認めていくことは,自分自身をありのまま受けいれていくことであり,個人が自分らしく,よりよく生きていくことにつながると思っています。
一方,発達障がいや知的障がいのある子どもがクライエントの場合,発達を援助することがセラピーの目標となることが多いです。障がいがあっても,子どもは少しずつ,その子どものペースで成長します。障がいのないお子さんのようにはならないかもしれません。成長のペースも障がいのないお子さんに比べると遅いと思いますし,障がいのないお子さんとは少し違う道を通って成長していくこともあると思います。心理療法としてのミュージック・セラピーは,障がいそのものを治療することはできません。しかし,その子がもつ成長の可能性をできる限り引き出すお手伝いはできると思っています。子どもの成長/発達とは,身体面,言語面,認知面だけではありません。情緒面,つまり「心」を育むことが,子どもが心健やかに自分らしく生きていくことにつながります。子どもが様々な物事に関心をもち,他者とよい関係を築き,自分のもつ可能性を開花させて,心健やかに成長するために必要なのは,自分や他者に対する信頼感や安心感です。子どもは人との関わりの中で,心を育んでいきます。障がいなどにより言葉がうまく機能しない状況でも,ミュージック・セラピストは音楽的に子どもと関わることができます。自分の周囲の人たちは言葉を使ってやりとりをしているけれど,自分はあまり上手に言葉を使えない…という子どもも,ミュージック・セラピーの場では,即興的音楽表現という<同じ言語>を使って,セラピストと交流することができます。心理療法としてのミュージック・セラピーが子どもの発達を援助するということに違和感を感じる人もいるかもしれません。しかし,子どもの<心>を育むミュージック・セラピーは,やはり心理療法なのです。
言語表現に困難がない人でも,心理療法としてのミュージック・セラピーをすることはもちろんできます。言語的な心の作業では,うまく自分の感情に気づくことができなかった人が,音楽的に表現し,ミュージック・セラピストからの音楽的なフィードバックを得ることで,自分の気持ちに気づいていったり,抑圧していた感情に気づいていったりすることがあります。また,このような音楽的なやりとりは,言語表現に困難がない人にとっても,感情に名前をつけることなく,もちろんジャッジされることもなく,そのままありのまま受けとめられるという経験です。そのような経験を通して,クライエントは安心して,自分の内面に目を向け,言語化していくこともできるようになります。(例えば、アン・スロボダ著「摂食障害のある男性を対象とした個人セラピー」で,そのようなプロセスを読むことができます。マーガレット・ヒール,トニー・ウィグラム編『精神保健および教育分野における音楽療法:ヨーロッパ,アメリカ,オーストラリアからの実践報告と研究発表』に掲載されています。訳書は2000年に音楽之友社より出版されています。 )
即興的音楽表現を媒体とする心理療法としてのミュージック・セラピーは,クライエントの年齢や障がいや疾病によって,基本的な関わり方を変えたりはしません。プログラムを変えたりもしません,というか,もともとプログラムを用意しません。定期的にお会いして,クライエントはその時表現したいことを表現します。ちょうど,言語的にやりとりする心理療法で,クライエントがその時話したいことや頭に浮かんだことを話していくのと同じです。言語的にやりとりする心理療法では,クライエントの話にセラピストは耳を傾けて,言語的に応答していきます。つまり,対話を通して,心の作業を深めていきます。心理療法としてのミュージック・セラピーはこの言語の部分が,即興的音楽表現に変わります。クライエントは、その時表現したいことを音楽的に表現します。特に「これ」ということがなくても,直感的に音を出して表現していきます。クライエントの表現にミュージック・セラピストは耳を傾けて,音楽的に応答していきます。つまり,音楽的対話を通して,心の作業を深めていくのです。対話をするためには,ミュージック・セラピストは,むしろ何も準備せずに,その日その時のクライエントとお会いして,その時クライエントの中から表出されることに耳を傾け,応答することが重要です。ですから,こういう障がいのある人にはこういう音楽を,こういう年齢の人にはこういう音楽を…というような考え方はしませんし,そのようにして選んだ音楽を一方的に演奏して聞かせるとか,こちらの演奏に合わせて楽器を鳴らしてもらうようリードするとか,そういうこともしないのです。
音楽的な自己表現や交流を通して心の作業を深め,自分をよりよく知っていきたい,様々な感情を受けとめていきたい,心を育みたい,よりよく生きていきたいと願う人に,心理療法としてのミュージック・セラピーは本来開かれています。
ただ,現在日本では安全に心理療法としてのミュージック・セラピーを実施できる場がほとんどないと思います。ミュージック・セラピーは,クライエントのニーズによっては,他職種の専門家(医師や看護師,ソーシャル・ワーカー,リハビリの専門家など)との連携も重要です。日本においても,心理療法としてのミュージック・セラピーが社会に根づき,他職種の専門家と連携しながら,より多くの人々のお役に立てるようになることを願っています。