木漏れ日の指す石造りの住居には、複製された紙が散乱している。
この量の紙が扱えるとなればさぞかし有力な貴族だろうと錯覚するかもしれないが、実際には魔術により複製しただけであるため、本人に大きな権力や資本があるわけではない。
この複製した紙も、外の世界に持ち出して売れば大層なお金になるだろうが、循環経済の外側から持ち出されたものはただ怪しまれ憎まれ迫害され、挙句邪教として村ごと焼かれるオチが待っていることは明白だった。
だから集落の人間にも紙の存在は話していない。
流出して万が一、悪気なく売られたら、怪しい邪教認定されてそれこそ焼き討ちだから……。
そんなことをかつて真っ先に言い始めた現実的だが小心者の男が、部屋の中央で別の悩みで頭を抱えていた。
埃っぽい部屋の真ん中で、一人の女性が飛び散った紙を拾って、男に差し出す。
「ヒエレウス、さっきから何に悩んでいるんですか?」
「……シビュラ」
問いかけた女は男の秘書のような立場だったが、その表情はどこか呆れが混じった気安いものだった。
「……次の神官候補を募集したんだが」
シビュラにはその『神官候補』という単語の意味が、すぐに『次世代魔術師の育成』という意味だと理解した。
神に対立する我々魔術師の隠れ蓑として、新たな宗教団体という側面は使いやすく、積極的にそういう類の単語を彼らは使用していた。
実際、冷徹の魔術師をある種の生き神や聖人としてその土着の宗教の方法で崇めれば、大体の疑いは晴らすことができたからだ。
「……また彼女が応募してきたんだ」
「……ああ、あの」
彼女、という単語でも、シビュラはすぐに何の話か合点する。
シビュラはヒエレウスの仕事内容をよく理解していたので、大体のことは単語ひとつでわかった。しかし、この場に何も知らない別の神官が在籍し同じ話を聞いていたとしても、今回ばかりは問題点は伝わっていただろう。
「……再三説明はしていらっしゃいますよね、それともまだ何か不足が?」
「今疲れてるからもうちょっと緩く話してぇ、敬語いらないからあ」
「なに、もしかして寝てないの?」
「そういうんじゃなくてぇ……なんかもう怖くなってきちゃってさあ……全っ然話通じないんだもの」
机に突っ伏した幼馴染の姿にシビュラは呆れた。まあでも気持ちはわからなくない。
「うちでは女性は魔術師になれないって、再三忠告してるのに……」
女性は、魔術師になってはいけない。
これは魔術師全体で明確に言われている話ではないが、冷徹の魔術師の直下ではそういう命が下されている。
別に女性だから何かに劣っているとか立場を落としたいとかそういう話をしているのではない。
むしろ冷徹の魔術師が下した判断は良心に基づいていると、シビュラは思う。
……女性は、子供を産めるからよくないのだ。
順を追って説明すると、そもそも魔術とは、人間の命を対価に発動する神々の技術だ。
人の脳髄を杖に変え、繋げていくことで基本的に出力は上がっていく。
しかし神は人間が人間を用いて魔術を使えないように、元々安全装置を付けていた。
一、人が人を殺めることをタブーとする価値観を強く植え付けること。
二、人が人を杖にする際には、神が行うものと異なり激しい痛みを伴うこと
三、人が殺された時、殺した相手を憎んでいた場合は殺された人間の脳髄は杖として一切使い物にならないこと。
この二つが動作することで、神々は自然に死んだ人間を自由に採取し自分たちの力を振るうための装置として使いながらも、当の本人たちである人間にはその能力が使えないという環境を築き上げた。
……しかし人だってただ家畜として黙って生きているわけではない。
彼らはそのうち、殺人を理性で乗り越え、更に殺した相手を恨まない方法を発見し、システム化し始めた。
……例えば、殺人者が殺人を犯す理由を心底理解し、その上で殺人者を愛していれば、殺された者は痛みを伴う方法で殺されたとしても殺人者を一切恨まなかった。
こうして、現在の魔術師を生み出す制度が確立された。
さて、なぜ女性が魔術師になってはいけないのかの話に戻る。
先ほど、女性は子供を産めることがよくないと述べた。それはなぜか。
……魔術師になったらいずれ確実に、効率的な手段で杖を得る手段を欲しくなる。
では、女の魔術師にとってもっとも効率の良い方法は何か。
……自分で子供を何人も産んで杖にするために教育し、ある程度の脳髄の大きさになったところで殺して杖にしてしまうことだ。
そしてそんな手段に手を染めた魔術師が、果たして本当に狂わずにいられるのか。人類の守護者として理性を保ったままでいられるだろうか……?冷徹の魔術師は少なくとも否と判断した。
というかすでに何人か女性の魔術師の末路を見てきたからこそ、下した結論であるらしかった。
だから、シビュラだって自ら魔術師になるのではなく、ヒエレウスの手助けをするような方面に行ったのだ。大体理論がわかればあとはヒエレウスを杖代わりに顎で使えばいいだけなのだから何も問題はない。
……あんな話を聞いて、自ら魔術師になりたいなんて思うはずがない。とシビュラは思う。仮に子供を産むとしたら、杖ではなく人として育てたい。
「ちゃんとデメリットは伝えてるの?」
「伝えてるよ。でも本当に聞いてないんだって。子供産みませんから! しか言わない」
「いやそういう理由じゃ……あの娘が応募する理由って、なんだっけ?」
「自分には才能があるからとか、熱意はありますとか言ってるけど、多分……なんか魔術が好きとかいうより好きな『人』がいるような気配がするんだよね」
ええ……好きな人がいるなら余計に将来のそういう選択肢を狭めない方が良くない? それってもしかして踏み倒す気満々ってことじゃ、とまでシビュラは考えて、ふと彼女は最近聞いた女性関係のトラブルに遭っているという新人の噂を思い出した。
「……最近入ったシルスくんって、そういえばなんか思い込み激しくて束縛強いタイプの彼女がいるって聞いたな……」
「えっそうなの?! て、そもそも彼女? 僕聞いてないよ?」
「そりゃあ言わないよ、あなた自分がフレンドリーなつもりでいるわけ?」
「……やめてそういうこと言うの」
「それに、私も本人から聞いたんじゃなくて、洗濯場でネットワークで聞いた程度だから」
洗濯場ネットワークとは、女たちが洗濯をする川辺……だがあそこではさまざまな情報が手に入る。
もちろん他の情報とある種引き換えであるわけだが。シビュラはヒエレウスが最近した失敗談、例えば冷徹の魔術師の前で一度に五回噛んだ話とかを代わりに流している。地位の高いやつの恥ずかしい悪口は、価値が高い。
「まあ邪推だけど、追いかけたいとかなんじゃない?」
「だ……だったら君みたいに巫女で入ればいいのに……子供とか困るだろ」
「巫女の説明はした?」
「した、けど……下で使われるみたいなことはしたくないって」
「え? 私とあなたの給料一緒なのに?」
「……むしろ君の方が階級の数が少ない分立場上……」
「そういうのは無いって言ってるでしょうが」
「……僕がダメになったら養ってね……」
……急にマイナス思考に入ってしまった。こいつはこうなるともうダメだ。でも一応、適当に励ましてはおく。
「あなたがダメだった事なんて一度も無いでしょ」
「次はわかんないだろ!! なんかもう、こう、光輝の人とかに急にダメ出し食らってピャーで蒸発させられちゃうかもだろ!!」
「あの人そんなバカみたいに人殺さないでしょ……てかその蒸発した状態のあなたをどう養えっていうの……」
「あー!! だめだ!! 考えてたら死ぬ要因が多すぎる!! どうしよう例の彼女に怨恨で刺されたりとかしたら!! ていうか僕の仕事がダメで普通に不信任されて路頭に迷って餓死したり、なんか異教徒ってバレて処刑宣告されたり村ごと焼かれたりしたらどうしよう!! い、いやだーーー!! 死にたくない!!」
「死なない、死なない、1%未満の話だからそれ」
適当に適当な言葉を重ねていく。
……しかし全く、なんでこの人は冷徹の魔術師の息子で筆頭神官のくせにこう自信がないのだろうか。冷徹の魔術師は本当に名前の通り「冷徹」なのに。揉め事や問題を眉ひとつ動かさず痛みを伴った判断を適切に下せるあの人を見習ってほしい。
そう言ったらヒエレウスはきっとそうは言っても血は繋がってないし全然魔術で追いつけないしとかブツブツ言いながら泣き言を吐くんだろうけど。
彼はうーだかあーだか唸って、椅子の上で丸まって一瞬光ってから(なぜ光った。魔術の無駄である)、スッと姿勢を戻した。
「……落ち着いた?」
「はい、現実を受け入れました。……じゃあこの子は君の方からも説得お願いできないかな? 複数人の上の立場から言われたという風にもしたいし」
彼は落ち着くまではどうにもならないが、落ち着くのは割と早い。
「まあ巫女側にもあんまり入ってほしく無いからそれとなくお断りするけどね」
「そうしてくれ。……彼女の特性とか、これまで話を聞いた限りの情報はここにまとめてあるから、必要な場所に斡旋してあげて。あの押しの強さと、成績はしっかりしてるから、多分コミュニケーションは少ないけど相応の地位につける場所とかだと伸びる可能性がある」
「……ほんと真面目で仕事はできるのに、なんで君は自信だけ追い付かないのかなあ?」
「チャームポイントだ、活かして」
「こいつ他人事みたいに……」
言い終わる前に、呼び鈴の音がした。扉が開く。
「ヒエレウス様、第三支部から報告です」
「はい、お願いします」
「現在第三支部では死者20名の処置が終わり、問題なく杖としての……」
今の一瞬の間に、あたり一面に散乱していた紙は消え去り、乱れていたヒエレウスの髪型も戻っていた。いつも通りの早技にシビュラは感心する。
この人は相変わらず、弱いところを見せられない相手にはとことん良く見える人だ。一部の乱れも隙も無いように見える。
まあ本人は髪の毛が一本だけ前に出てるのがくすぐったくて気が気じゃ無いとかそういうどうでもいいことを考えているんだろうけど。
本当に、その場で取り繕うだけじゃなくて、養父を見習ってもう少ししっかりしてほしいとシビュラは思う。
「ありがとう、君個人が気になった点は?」
「特にありません」
「そうか、では、もう大丈夫だよ」
「ありがとうございます、では!」
そう言って神官の一人は下がり、扉を丁寧に閉めて出ていった。途端にヒエレウスはふうっと息を吐いた。
「……あー顔かゆくてどうしようかと思った」
やっぱりね。シビュラは呆れ果てながらも、まあ頑張っていることは事実だし、夕飯には好きなものでも入れてやろうかと画策するのだった。