新年の祝いからしばらく経って、諸々の儀式の一つとして、成人の儀の宴会が執り行われた。
共同体全体から、本年より成人する男女を集めて祝いをする会のことなのだが、実は2、3年程度であれば年齢が離れていたりもする。成人はいつ職に就いたかどうかで成人とみなされる時期に差が出ることがあるからだ。まあ色々と事情があり職に関しては曖昧な者もいるのだが、本人次第だ、どうにかなるだろう。
僕とシビュラは、無事に来週からの仕事先が決まっている。
といっても、孤児院にいた時点で既に神殿行きはほぼ確定していたようなものだ。そちらの教育も受けてきた訳だし、何か特別驚くようなことがあるわけじゃなかった。
もちろん初めて仕事をするにあたって、懸念点は大いにあるが、どうにかなる、と思って行動するしかないだろう。できないと思って足がすくんだらそれこそ命取りだ。
そういう時には、たとえば魔術の実践訓練中に蹴つまずき、光輝の魔術師の光弾が鼻先を掠った時だとか、そういうことを思い出すと良い。少なくとも怖気付いて止まってなんていられない。
……などと考えながら、ヒエレウスはぬるくなったエールに義務的に口をつけた。
酔っ払いの大声が、そこかしこで上がっている。正直うるさい。
しかしみんな初めての成人の儀だ。気も大きくなるだろう。
油や肉や麺や米で大量にかさ増しされた料理の香辛料の匂いで、鼻もだんだん効かなくなってきた。だが皆若手なので料理が残ってしまうことはないだろう。一昨年あたりは料理が足りなくて色々調達するのが大変だったっけ。
……僕は準備係として数年手伝ってきたから、周囲の事が心配でいまいち会に盛り上がりきれてない。成人の時ぐらいという気持ちもなくはないのだが、性分という奴なのだ。どうしようもない。だから、どこか酔いも回らないでいた。
「ヒエレウス、飲まないのそれ」
シビュラがそんな僕を見かねてか声をかけてきた。
「あ、いや……ちょっとバックヤードが気になって」
「ちょうだい」
「ん」
シビュラはこういう時にあまり他人が気になる方ではないから、気にせず飲み食いしている。あと割と食い意地が張っている。他人よりこういう時を逃す方が損だと言い張るだけあって、よく食べる。
「君は相変わらず美味しそうに食べるなあ」
「なに、美味しくない訳?」
「いや料理の味がどうのじゃなくてさ……毎年この会では色々胃を痛めてきたじゃないか。今年は僕らが祝われる側だからそりゃ多少なりと気は楽だけどさ」
思わず愚痴になるが、幸いテーブルの周囲には他に人がいない。
この会は六人がけ程度のテーブルに料理を山盛り乗せられて、みんなで料理を好き勝手取り分けて食べる方式を採用している。そして各テーブルごとに乗せられる料理が異なっていて、それぞれ好きな席に向かって椅子を入れ替えたりしながら交流するのが慣わしだ。
それは職人組合や商人組合にとってはとても大切な慣習だったが、神殿所属の僕らにとってはそこまで義務的なものではない。
結果僕らの席に来る人はほぼおらず、一方僕らはほとんど移動しないので、必然的に二人で食事をする状態になっていた。
「まあね」
「それに同期のことは僕らある程度内情わかってるからさ、……あいつとか、前からこう……色々あるし、騒ぎにならないといいなあとか」
「アイツ?」
「……織物商人のとこの」
「ああ」
アイツ、は要は外から来た商人の息子なのだが、親が下手に外部では権力者なものだからここでも無碍にできず、マナーの悪さを放任されてきてそのまま大きくなっちゃったタイプの奴だ。
だからまあ、こう、割とタブーに足を突っ込んでくるというか、自分より下だと考えたやつはとことん嫌がらせをして憂さを晴らすだとかそういうバカで、幾度となくトラブルを引き起こしてきた。
というか単純に嫌いだ。この間急に「こいつと俺はマブだからさあ〜!」って言って肩を叩いてきた時には本当に引いた。お前汚ねえ孤児は話しかけんなって前言ってたよな。
まあ大方、僕が本格的に神殿入りしたら何か融通を利かせてもらえると勘違いしているんだろう。残念ながらそんな権力はない。
そういう愚痴は心の中に留めておくつもりだった。
…のだが、口にしてしまっていたらしい。僕も酔っていたからか、無意識だったのでよくわからない。
ただ覚えているのは、急にシビュラが立ち上がったこと。
そしておもむろにこう口にした。
「わかった、そいつ、ころしてくるわ」
……冗談だと思った。
いや普通、冗談だと思うだろう。だって酒の席だし、戯言じゃないか。
しかし彼女は流れるような動作で皿とナイフを持ち出し立ち上がり、不思議とご機嫌な様子で歩き出す。その足取りが思ったより揺らめいているのを見て、ようやくここで僕は嫌な予感がした。
そして奴のいる机に立つ。
「……おぉ?なんだお前も俺にお酌したいってのか?」
……うわ開口一番が下劣すぎる。シビュラ戻ってきなさい、品性が移るぞ。僕がそう言おうと立ち上がった頃に彼女はふらつきながら声を張った。
「……そのぉ、お料理があ…」
「あん?」
「欲しいのでくださぁい!」
彼女はその瞬間ナイフを振り下ろし。
——結論から言えば、流血沙汰にはならなかった。
大体持っているナイフだった食事用の先が丸い奴だし。
そして僕は気づいていなかったのだが、彼女は顔に出ていない割にものすごーーく酔っ払っていたようだ。彼女はあのままアイツと子豚の丸焼きの中間地点、つまり机にナイフを突き立て……力が足りなくて刺さらず、そのまま倒れてしまった。直後夢の世界に飛び立ってしまった彼女は運が良いのか悪いのか。
例のアイツも流石に面食らっていたが、まあ名目上「料理を取りにきた」わけだし、問題にはならな……いや、しない。
ともかく、何事も無くて本当によかった。
そして僕は宴もそこそこに、彼女を部屋に連れていくことになった。
外気が遮断しきれず少々冷える廊下を、彼女を背負って歩く。
ただ僕はあまり寒さは感じていなくて、どちらかというとそわそわとして落ち着かず、体から熱がひとりでに発生するのを抑えたいようなそうでないような心地であった。
……僕は孤児だ。
父親や母親代わりになってくれた人は何人もいるわけだが、彼らは僕のために命を張るだろうか、とふと考えたとき、それは絶対に無いなと思ってきた。
もちろんその分、身の守り方も生きていく方法も教えてもらったわけだから、文句があるわけではない。
ただ、もし無条件に信じられたり認められたりしたらどんな心地だろうとつい考えてしまうことがあった。
あったわけだ。
……今僕は、顔が緩んでいることだろう。
正直今気持ちとしてはこの冷たい床で転げ回ってわあわあ叫びたい気持ちだ。
ただ、完全に深い眠りについてしまっていて僕の背中でだらだら涎を垂らしているらしい(なんか肩が濡れているのでほぼ間違いない)彼女を、ちゃんと送り届ける義務があるので、ひとまず自分を押さえている。
だって、だってこんな、なんて贅沢な。
シビュラは今日成人したばかりだが、少なくとも10年来見てきて、こういう無謀な事をする性質じゃないのはよく知っている。
世間様の噂を聞いても、その場では静かに聞いている素振りを見せるが、後々「二次情報を鵜呑みにするほどバカじゃないわよ」「双方の意見はどうしたの双方の意見は」と普通に一蹴しているのを知っている。何度も見た。
……その彼女が、僕が言った愚痴を裏どりもなしにするっと信じて、人を殺しにかかるまでやった。
酔った勢いかもしれないけど、というか酔った勢いだろうけど。でも本当に前後不覚になったら……彼女は僕が言う事なら真だと簡単に思ってしまうのだ。
……これを無償の愛に思ってしまう僕は愚かなんだと思う。
親が子に持つ感情は、そんなに暴力的ではないような気がする。おそらくこれは代用品だ、代用品で満足しているに過ぎない。そう自分に言い聞かせ続けているのに。
僕は多分、君がそういう感情を持ってくれた事で、何か今まで抱えていた不安げな何かをすっかり無くしてしまったように思う。
どこか自分の中で燻っていた、形にならない恨みつらみのようなものが、どうでもよくなってしまった。結果としてそれが良いことなのか、悪い事なのかは正直わからない。それは彼女の殺意を前提にしているわけだし、よーく考えてみるとダメなことのような気もする。
……でも仕方ない。だって、好きになっちゃったんだから。うん、これがいい理由な気がする。それでひっくるめておけば、うまいこと収まるだろう、事実だし。じゃあこれからどうしようかな。とりあえず……熱烈なラブコールはいただいたわけだから、うまいこと関係を築いていこう。そう心に決めて、僕はどうでも良い成人の儀なんて忘れ軽やかに夜道を帰った。