光輝の魔術師の過去等。
一部グロテスクな描写があります。
かつて一人の男がいました。他にも特徴は色々とあったはずですが、男であったということ以外、彼のことは誰も何も覚えていない、そんな偉大な魔術師でした。
ある小さな村の辺境で生まれた彼は、16歳の時に自らの家族含む一族郎党を皆殺しにし、その全神経を使った強力な杖を得て魔術師となりました。彼がそうなることは、生まれた時から決められていました。
神々の横暴に耐えきれぬ人々が、最も才能がある子供を魔術師とし、村の全てをかけて偉大な存在に成長させること。それがこの村の悲願だったからです。
彼には才能がありました。感情より理性と知性に基づいた結論を導き出すこと、多数のために少数の犠牲を厭わないこと、それが例えどんなに近しい人間であったとしても。彼は全ての試練を乗り越えた先で、母も父も共に育った弟も友人も同じように魔術師候補として育てられたライバル達も、全てを道具に変えることを求められました。彼はその通りにできました。こうして、人類史上最も偉大と呼ばれた魔術師が誕生したのです。
魔術師はその知性と理性によって、感情を殺したような振る舞いをしましたが、実際に感情が死んでいたわけではありませんでした。ただ正しいと判断したことを実行するのに、感情が動く前に杖を振ることができただけでした。彼は生まれつき、精神がひどく丈夫だったのです。それこそ、突然変異して生まれた奇形児のように。
光り輝くという異名で呼ばれるようになった彼は、常に孤独でした。彼は人の中で生きるには強すぎました。さらに不幸だったことは、彼が責任感も強い人間であったことです。
母の、父の、自分を産んだ村の悲願を想い、それを殺して魔術師となった自分が勝手な振る舞いをすることを、彼は許せなかったのです。
そんなある日、光輝の魔術師は運命的な出会いをします。
行商人の一座の娘と、恋に堕ちました。それは二千年の孤独の中で初めてのことでした。黒髪の美しい女は、頭の一部に障害があり、杖の素材には決してなり得ませんでした。彼女は、魔術師の素性など一切気にしませんでした。戦災孤児で、ジプシーの一団に拾われたのはたまたまであり、当時の村に残っていた金品と身を売りながら強く生きていました。魔術師はその全てに酷く惹かれました。そして同時に、強い疑念を抱きました。
魔術師は娘と結婚しました。魔術師の人生の中で一番、晴れやかで美しい結婚式でした。背丈に合わない結婚衣装も、下世話な会話と野次混じりの客達も、ただ一人で生きてきた魔術師にとっては眩しくてたまりませんでした。
そしてその日の夜、魔術師は娘を殺します。生きたまま神経を引き裂かれ、半狂乱になる娘をいつも通りの真顔で眺めながら、彼は目当てのものを見つけました。それは魔術師にしかわからないほど微細な違いでした。彼女は、光輝の魔術師である彼を陥れるため、神が送り込んだゴーレムでした。
光輝の魔術師は知っていました。はじめから何もかもうまくいく人間関係など存在しないことを。それがもしあったとすれば……特に自分のような魔術師である場合、それが罠であることを。ゴーレムは特定の人間専用に神が作る人形なので、その魅力に人は逆らえません。それは二千年生きた魔術師にとっても同じことでした。
自分の感情に追いつかれる前に、指が震えて動けなくなる前に、魔術師は素早く作業を行います。監視装置を取り払い、人と同じになるよう加工を行いました。彼女の絶叫が頭の中で反響する前に、自分の全身に指示を与えます。転生できるように、転生した先で自分と同性になるように、二度と結婚と男女の交わりなどという真似ができないように。そして……彼女が自分に縛られず、今後自由に生きていけるように。
作業は、なんとか彼女の魂が肉体を離れる前に終えることができました。物体と化した彼女の体の前で杖を置くと、置き去りにした悲鳴が魔術師の中で響き始めます。それは抑えられた分増幅し、父や母の末路と重なって、魔術師の頭に酷い頭痛を引き起こしました。それを彼はただ平常の呼吸を行うことで制御していきます。いつものように……。
彼は別に、何も感じない人間というわけではありませんでした。
ただ我慢する才能が人一倍ありました。
悲しみを声に立てず、自らの中に押し込んでも決して心臓が破裂しない、たったそれだけの才能を持った男でした。
夜明けを待たず、彼は一人旅立ちます。死んだ彼女の遺骸を置き去りにして。その顔に悲しみは映らず、ただこの行商人の一団に加わった時のように真顔のままでした。ただ、その時初めて思いついたことがありました。
「ああ、そうか、自分は死なねばならない」
魔術師はその考えを合理的なものと捉え、その理由理屈をもっともらしく構築しました。そして、自らを殺し、来世に知識を継承する方法を考え始めます。それが二千年に及ぶ負荷のかかった脳細胞の軋みによって生まれた歪みだとは気がつかないままに。