オロバスは最初、彼女が慣れない魔術に手を染めたのかと疑った。
「ザガン、君は、君には、魔術は向いていない。何を混ぜたんだいそれは」
すると彼女は気まずそうに振り向く。
「……あー、魔術、では、ないんだ」
「じゃあそれは一体……?」
「……料理」
「なんだって?」
言ってしまってからオロバスは少し「しまった」と思った。非難するつもりはなかったのだが……。
彼女は少し唇を尖らせて鍋を見つめている。
「……まぁ、うん、言いたいことはわかるよ。これは料理には見えないもんね」
オロバスが恐る恐る鍋を覗き込むと、真っ黒な突起物が粘性の液体の中を浮いたり沈んだりしている。
「何を作ろうとしたんだい?」
「さぁ……」
「さぁって」
「そんな目で見ないでよ。最初は、炒め物でも作ろうと思ったの。ポテトと肉と、残っていた野菜を使ってさ。でも芋や肉がいくら焼いても生焼けで、段々黒くなってきちゃって……なのに、まだ火の通りが悪いみたいで、しょうがないから水を入れて鍋にしようとして……」
なるほど、この黒い突起物はカリカリに焦げてしまった肉や芋であったらしい。幻獣の触手じみたそのシルエットに、辛うじてその面影が見えた。
「そしたら、前パイモンが料理に失敗したときにはスパイスを入れてカレー?っていうのにすると良いって言っていたのを思い出したから、それでいくつか試しに入れてみたら……はぁ……」
最早彼女の鍋を回す動きは惰性なのだろう。回したところでこの素材が美味しくなるとも思えないし、しかしかといって手を離して放置するのも憚られる、そういった状況に思われた。
「あーあ……食材が、無駄になっちゃった。ごめんオロバス」
「わざとやったわけではないのだろう?しょうがないよ。人生というものは大概、失敗の方が多いものだしね」
「……はぁ」
元気のない彼女というのは、それだけで珍しい。珍しいが、あまり見ていて心地の良いものではない。
「……私さ、料理、習ったことないんだよね」
ザガンは言いにくそうに、チラと赤い瞳で一瞬オロバスのことを捉えてから、鍋に視線を戻した。
「ふぅん」
「……驚かないの?」
「いや、私も習ったことがないから……」
そう言うと、彼女は少し笑った。
「あはは、そっか……いや、なら良いんだけどね。ただ私は周りの同年代の子達より、明らかに料理とか、裁縫とか、苦手だからさ」
「そりゃあ、君はその分、別のことをしていたのだから、当然だろう」
「まぁ、ね……そうなんだけどね」
彼女はコンロの火を止めた。台所の淵に両手をついて、ふうとついた溜息は重い。きっと、焦げ付いた鍋を洗うときにも何度か同じような重い息を吐くのだろうなと、簡単に想像がついた。
「……ザガン」
「ん?」
「これ、ちょっと私がもらっても良いかな」
オロバスの言葉に、ザガンは片眉を上げて反応する。
「良いけど、何に使うの?」
「……折角、君が作ったのだから……なんとか、食べれるようにしてみようかと」
「えっ?!できるの?!」
「私は魔術師だよ?これくらいのことであれば……」
「で、二人してお腹を壊したわけだ。馬鹿なのか?」
後日見たアンドラスの目はあまりにも冷ややかだった。
あの後出来た料理は、端的に表すならば「炭素の煮汁」といった塩梅に近く、正直全ての工程を省いて生のまま素材を丸齧りしていた方がマシ、といった代物だった。
オロバスは、己の料理スキルがそこまで高くないことを知っていた。だから、この失敗はする前から簡単に想定できたはずだった。なのに、その時彼は手を出さずにはいられなかった。
歯が砕けそうなほど黒くて硬い肉を食べ、舌が痺れるような味のスープを飲んで、地の色がわからなくなるほど変色した鍋を洗っているとき、オロバスはああよかったと思っていた。いつもみたいに彼女がケラケラ笑っていたから。重くため息をつきながら自嘲気味に笑ってみせたりはしなかったから。
ただその後の、アンドラスがバティンに指示した『普段より痛めの治療』は流石に堪えた。意識が飛び、飛んだ意識が再度痛みで戻ってきて、再び飛んでいくほどの苦痛を味わった二人はもう二度と、無理に失敗した料理を食べることはしないと誓わされたのだった。