……寝れない。
いや原因は分かってる。さっきの戦闘のせいだ。
夜中、奇襲されたソロモンが何人かのメギドを野営地で召喚した。そして、その召喚された数名にザガンも含まれていた。
奇襲されたと言っても幻獣で、数が多いから補助のために喚ばれただけだった。しかしだからこそとも言える。寝る前に無駄に高揚させられてしまった精神は、寝巻きに着替えて布団の中に潜り込んだとしてもそう簡単に治るものではなかったのだ。身体の中で発泡酒のように血が弾けているのを感じて、どうして寝ていられるだろう。彼女は諦めて起きてしまうことにした。
それぞれの寝床は、布団から這い出してしまうと大分寒い。動くなり、冷たい水を飲むなりするためにも、ザガンは用意された部屋を出て、アジトの談話室に向かった。暖炉の火は完全に消してはいないだろうから、本当に眠れないならそこで時間を潰してもいい。あまりじっとしているのは性に合わないけど、眠れないからと縮こまっているよりはずっとよかった。
予想に反して、談話室は赤々とした光に包まれていた。火かき棒で薪を弄っているのは、ザガンの知らない後ろ姿だ。
……敵だろうか。前の高揚もあって自然と身体が身構える。興奮で滾った血液が全身をぐるりと回った。
しかしその人物の足元に、見慣れた物体が転がっているのを見て、思わず声が出てしまう。
「…………オロバス?」
「ん?あぁ、ザガン、どうかしたのかい?」
……そこにあったのは見慣れたオロバスの仮面だった。そう、見慣れすぎて、一瞬絨毯に彼の生首がゴロリと転がっているように見えた。聞き慣れた声がローブの中から聞こえなければ、迷わず斬りかかっていただろう。
「びっくりした〜、何その、ローブ?見たことないから誰かと」
「……そういえばこの格好で人前に立ったことは無かったか」
「骨の奴以外見たことないよ……何してたの?」
「恐らく、君と似たような理由だよ」
彼にも寝付けないことはあるのか。
意外だ、と思ってしまう。オロバスはザガンと同じく今回の戦闘に参加した。しかし朝の凪いだ湖のような彼が、どんな感情に揺さぶられたら眠れなくなるというのだろう。想像がつかなかった。
揺らめく炎は、見慣れぬ彼の寝巻きや装飾品をオレンジ色に染めている。
「……不思議な服だね」
「西で伝わる民族衣装らしい。私にはぴったりだろう」
たしかに顔を見せようとしない彼に、この衣類はちょうど良いだろう。普段来ている服より布も柔らかく、ずっとゆったりしていて、楽そうだなぁ、という感じがする。ただ。
「……寝巻き、の割には色々ついてるね」
彼の服には石を散りばめたような装飾品がいくつもついていた。その石から意匠まで一つとして同じものはなく、ケバケバしさも感じたが、不思議とローブと合っていた。さらにどうやら服の下にもいくつか身につけているものがあるらしい。不自然な影が暖炉の光を遮っている。
「いや、寝巻きで合っているよ。……この辺にあるのは、全部防具のようなものでね」
「寝る間に?」
「人を呪わば穴二つって言葉は、知ってるかな?」
火かき棒が薪を崩した。空気の入らなくなった炎か一回り小さくなる。光に照らされた装飾品の石は、よく見ると所々ひび割れていた。
「私は魔術師だ。見ての通り、呪術や魔術の類を扱う……呪う分、呪われやすいということだね。特に寝ている間は無防備だから、こうして身代わりになるものをつけてるんだ」
「うぇ、大変だね」
「基本大したことない術だから、大丈夫だよ」
薪がまた一つ崩れて、火が更に小さくなる。火殻竜の舌のようなチラチラとした火はもう上がらない。ただ、炭だけが煌々と熱を保っている。
「日中はこの頭蓋骨を被っていれば良いんだが、寝るときは流石にねぇ……うっかり折ったりしたら、後が怖いし……」
「……そういう類のものなの?」
「落ちてるのを踏んだりしたら痛いじゃないか」
あぁ、そういう……彼も、骨の破片を踏みつけて「いてて」なんて言うのだろうか。
「何回かやったんだけど、血が出たからね」
やったんかい。
「ザガンは、寝なくて良いのかい。私は今晩はここで過ごす予定なのだけれども」
「そうなの?」
「うん。薪でもいじりながら、日の出を待つことにするよ」
彼の表情は、いつも以上に窺い知れない。普段は骨のマスクが能面のように彼の表情を(ザガンにはそれなりに)わかりやすく伝えてくれるのだが。
「……その、呪い?って、まずいもののこともあるの?」
「…………やれやれ、君に隠しても無駄か」
二人はこのアジト内では最古参に近い上、ほぼ毎回と言っていいほど同じパーティで戦っている。お互い人嫌いでもないし、少しの会話で、自然と何か含みがある程度のことは察せるようになってしまっていた。
「タイミングが良くなかったんだよね、前々から探知をかけられていたのが、今回の戦闘で見つかってしまったようなんだ」
「……それは、メギドラルによるもの?」
「違うよ、強いて言うならば、身から出た錆かな」
彼のプライベートは謎に包まれている。それこそ素顔どころか、肌の色さえわからない。ただメギドの力の有る無しを抜きにしても、彼がすごい魔術師であることは肌で感じていた。
そういえば、かつて彼が魔術を戦いに使うことに不平を漏らしていたな、と思い出す。それで言い争いになったこともあると。あの時はみんなお酒を飲んでいて、オロバスも骨の仮面や服にこぼさないよう、器用に葡萄酒を飲んでいたっけ。それから、ソロモン王相手には本来好きじゃない魔術での戦闘にも自ら協力してしまうと、いつもの口癖で締めていて。あの時の彼は、楽しそうというか、どことなく幸せそうだった。
「……まぁ、そういうわけで、多少面倒なだけなんだ。私のことはいいから、君も明日に備えて寝るといい」
「……ショーが消化不良の時、例えばピカドールが牛を刺しすぎて簡単に倒せてしまったときなんかの夜は、いつも眠れないんだ」
「……ピカドール?」
「槍方っていう、ようは補助係みたいなの」
暖炉の炎は失せ、代わりに炭になった薪が熱だけをこちらに向けてくる。オロバスが、どこからか蝋燭を取り出して火をつけた。さっきと比べると随分落ち着いてしまった炎だが、会話をする分にはこれくらいがいい。
「ともかく、今日の戦闘、中途半端に終わっちゃったからさ」
「そうかい?」
「うん、だからこういう時には、起きちゃってた方が楽なんだ」
「それは……体力あるねぇ」
ほんとは、朝からショーがあるときには無理矢理寝てしまうし、どんなに遅くても日が白む前には眠気が戻ってきてくれるのだけれど。
「だから、さ、一緒に起きてても良い?」
「そういうことなら、構わないが……」
「あ、あと私が何か手伝えることある?眠りそうになったら起こすとか、それに本当に何かあったら誰か叩き起こして連れてきたりもできるよ」
「……優しいね、君は」
誰が言うんだか。それに……私は、彼と一度、ゆっくり話してみたかった。一緒にいることは多くても、何だかんだ腰を落ち着けてこうして会話、なんてできなかったし。
「そうだな、それじゃあ何かこんな夜に相応しい話でもしようか。私の話が終わったら次はザガン、君の番だ」
「……え"っ、う、うーん。面白い話、あったかなぁ」
「ふふ、私が話してる間、ゆっくり考えるといい。では、遠い昔、まだ三つの世界がお互いを知らなかった頃のヴァイガルドでの話……」
夜の帳が払われるまで、二人は何度も話をした。不思議な話、くだらない話、過去に経験したことなどなど……。早起きのメンバーが、二つの見慣れない人影に昨晩のザガンと同じく驚き、他のメンバーを叩き起こしに走ってしまうまで、話が尽きることはなかった。