不思議な音色が人々を誘い、町は一風変わった装いで彩られていた。人々は物珍しさと興奮に沸き立ちながら街道を闊歩する。遠方の国のフェスティバルを模したらしいそれは、思ったより盛況なようだった。そして普段はただひたすら目立つ骨仮面を被った男も、今日ばかりはただのふざけたヴィータで済む。彼は橋の欄干に背を預けながら、河辺を行き来する船をいつもより平和的に眺めていた。
「いやーよかったよかった。折角のお祭りが台無しじゃつまらないもんね」
彼に、ザガンは普段通り躊躇なく話しかけた。男、オロバスが振り返ると、彼女は赤い欄干の上に座っていた。所在なさげに足を抱えてバランスを取っている彼女だが、危なさは感じられない。彼女の体幹は相当しっかりしている。
「……そうだね、遠くから伝来してきたヴィータ達の貴重な文化だ。興味深いよ」
「この服も良いよね、動きにくいのが少し面倒だけど」
彼女は嬉しそうに布を引っ張った。青、黄色、水色で彩られた浴衣という服は、派手好きで珍しいもの好きな彼女も気に入ったらしい。
「それは、どこで?」
「オロバスの見て、良いなって思ってたら丁度貸し着物屋っていうのが出ててね……こういう時の商人ってすごいよね」
「……その調子だと、かなり持っていかれたようだね」
「うん。そういう意味でも、かなりの商売上手だった……」
それなりに稼いでいるらしい闘牛士の彼女であっても、痛い出費であったらしい。フッと笑う彼女の横顔はいつも通り『華麗』だったが、どこか哀愁が漂っていた。その点オロバスは運が良かったと言える。お祭りを思う存分楽しめるようにとソロモンが浴衣を贈り物として渡してくれたわけだから。オロバスは別に普段のスタイルでも構わなかったのだが、ソロモンの好意は純粋に嬉しかった。
「……ね、少し歩かない?」
「いいけど、もうかなり出費したんじゃなかったかい?」
「だーいじょうぶ、まだ余裕あるって。私を誰だと思ってるの?」
挑発的に笑う彼女の右で、特徴的な髪飾りが揺れた。どうやら普段の衣装に付いているパーツの一部を改良したものらしい。いや、これは鏡の間で手に入れたものを加工したのか。……器用なものだ。
「……そうだね、私ももう少し見て回りたかったし」
普段の市場で出ているものとは違うあのマーケットは、元の場所では『縁日』と呼ぶらしい。オロバスにとっても大変興味深いものではあったのだが、食べもしないものを買ってもと思い、近くで菓子類の売り場を観察していたところ、冷やかしだと思われさっき追い払われてしまったばかりだった。だが彼女に頼めば、いつものように観察させてくれるだろうし、きっと自分の代わりに快く食べてもくれるだろう。
じゃ、決まりだね!と言って、彼女はオロバスの手を引いた。いきなり引っ張られたせいで、少しバランスを崩すと、彼女はケラケラと少女らしく笑った。
「これは……砂糖を熱して細い糸状に拡散させて、それを巻き取ることで綿のような質感を再現しているようだ。面白い」
「舐めたあと若干茶色いのは?」
「それはこれがカラメル化しているからだね。簡単にいうと、べっこう飴と同じなんだ。べっこう飴はわかるかい?」
「よく食べたよ。小さい時に」
ザガンの手には、既にいくつかの菓子や食べ物が握られていた。いくつかは本人が出したものだが、残りはオロバスが買ったものだ。恐らく、これらは全てザガンの胃に入ることになるだろう。体重が増えると動き辛くなるため、普段はあまり沢山食べたいと思わないザガンだったが、無邪気に喜んでいるオロバスを見ていると、たまには良いかと思ってしまう。明日の食べる量を減らせば良いだけだ。しかし、そろそろ良い加減にしないと胃が破れるなこりゃ……と思ったザガンは、食べ物屋ではない屋台を指差す。
「オロバス見て、お面売ってるよ。ほらあれ、ソロモン王一行だって」
ソロモンと最初に出会った7人は、王都でも顔が知られるようになったようで、こうしてグッズなども売られていることがあった。
「ふむ、よくできているね」
オロバスは骨の仮面の上からその一つを被ってみせる。仮面に仮面が重なって、ザガンは思わず吹き出した。
「っあははっ、仮面に仮面はおかしいって」
「おっと、それもそうだね」
そこで彼はサッと仮面を撫でる。するとそこには、今まで存在していなかったはずの「オロバスのメギド体」の面が現れた。これならどうだろう、と彼が言うと、彼女はさらに笑う。
「あっはっは、いや、それはそれでおかしいって、はははっ、仮面なのに本性が隠せてないし」
「なるほど」
しかしどうやら気に入ったようで、オロバスは持っていたお金を店主に渡して、そのお面を買っていった。店主は見覚えのない面にしばしムッとした顔をしたが、その後客の対応に追われ、幸いにもそれ以上の追求はしてこなかった。
「……いずれ他のみんなのお面も売られたりするのかなぁ」
「可能性は、高いだろうねぇ。仮面自体、変身的な要素があるものだし、ソロモンの活躍によって、メギドの存在そのものの知名度も上がりつつあるからね。それこそ英雄譚として人気が出れば、お面が売られることもあるだろう」
オロバスが爪でお面を叩くと、思ったよりも音がした。材質は木なのかと思っていたが、どうやら紙製だったようだ。元の姿に戻ったソロモン王の面は、あまり造りは精巧でなかった。糊で紙を固めたもののようなので、細かい細工はできなかったのだろう。艶のある丸みを帯びた表面になっているのは、きっと上から透明の防水膜のようなものをかけて強度を上げているようだ。なかなかに面白い。オロバスはお面の作りに夢中になっていた。少しザガンとの会話に集中できなくなるくらいには。
「……じゃあ私は、オロバスのお面が欲しいな!」
「ほう」
「前から思ってたけど、やっぱその仮面っていいよねー、目立つし。それでショーに出たら絶対盛り上がると思うんだよ。あ、その時には……私のお面を、オロバスにあげる」
だが、彼は上の空で返す。
「うーん……私のお面は、作られないんじゃないかなぁ」
「え、なんで?」
「作りが細かいからね、手間の割に人気は出ないだろうし」
ザガンにはオロバスの言うことがよくわからない。
「ほら、この仮面は子供からすれば『悪役』寄りじゃないか。彼らはきっと、自分のヒーローを見つけて、それを欲しがると思うよ」
オロバスは馬鹿ではない。子供どころか、ヴィータにとってこの仮面が相当に異質に見えることは理解していた。それでも彼は、これを被り続けている。そう決めたから。
彼らから見れば、オロバスの見た目は明らかに悪役のそれだろう。むしろ、メギドはヴィータたちにとっては『悪魔』なわけだから、ヴィータの皮を被るよりも、正確に己を表現していると言えるかもしれない。異質なものを排除しようとするのは、ヴィータの本能だ。そうして生きてきた彼らを否定するつもりもなければ、自分がそのためにかわろうとも思えなかった。だから端的に言えば、諦めていたのだ。
なのに彼女はこう言った。
「オロバスが悪役ぅ?ありえないでしょ」
仮面の上に仮面をかぶるのはおかしい、と言った時と同じ調子で彼女は笑っていた。
「……なぜ?」
と聞くと、彼女が振り返る。
「だってまともすぎるもん」
「……はい?」
「まぁ、普通の人よりちょっと好奇心は強いと思うけど、そんなこと言ったらアンドラスとかだって大概だし、なのにその好奇心の前に世の中のルールをかなり守ろうとしてるわけでしょ」
「ここはヴィータの世界だからね」
「ほら。まとももまとも、大まともだよ」
「おおまとも……」
言葉を反芻すると、彼女は呆れたように肩を竦める。
「大体ね、そんだけ特徴的なんだから、むしろ一番インパクトのある正義の味方として大盛り上がりするでしょ」
「そういうものだろうか」
「目立つもん。ステージの上で大事なのは目を引くこと、そのあとの印象は、観客がしたいよーに想像するものじゃん」
ザガンにとって、女であること、目を引くことは武器だった。むしろ、観客が自分の姿を見て、勝手な想像をすればするほど、ザガンのショーは輝く。圧倒的な技術と才能が、彼女のマイナスの側面をプラスに転じさせていたから。
ニヤッと笑った彼女の歯からは、鋭い犬歯が覗いている。果実のように赤いそれは、オロバスの仮面よりずっと強烈に見えた。それが妙に眩く見えて、オロバスは目を細める。
「……それで、ぼんやりした正義の味方さん、この後の予定はある?」
「?、今こうして、縁日を回っているが」
「あはは、そうじゃなくて、その後。また泊まらせてよ。買ったものも持っていかないとでしょ」
「構わないが……知っての通り、ウチには何もないよ?」
「オロバスがいるじゃん」
「そういうものかい?」
「そういうものだよ」
悪魔達は笑う。微笑みは提灯の明かりに照らされ、暖かく柔らかい。救国の英雄になるべき二人は、今はまだ、ただ二人のヴィータであった。