ザガンは、自分にできうる最大限のことをしたつもりだった。
一日中二人きりで出歩き、夕日の見える丘の上で、彼を呼び止めて。彼の仮面の中で揺れる瞳を見つめながら、はっきりと聞こえるように伝えたのだ。
「私、オロバスが好き」
彼の返事はこうだった。
「そう」
以上である。
それ以外に彼は何も言わない、むしろこちらが何も返さないことに訝しむような素振りだった。
ただ、ザガンが何かを待っていることはさすがの彼でも察したらしい。1分ほど経過してから、さらに彼はこう発した。
「それで、それがどうかしたのかい?」
メギドという生き物はそもそもヴィータとは精神構造が異なる。ひとりひとりが唯一無二の生命体であり、生殖も行わない彼らにとっては、共通の言葉を得たことすら大きな革新だったのだ。そんなメギドがヴィータに生まれ変わり、大なり小なりヴィータの要素を持つようになったわけだが、オロバスはその中でも殊更の変わり種だった。
彼は基本的に情緒や感性、芸術といったものを理解できない。絵や詩を見ても彼にとっては情報の塊に過ぎず、時にフィクションの話すら信じてしまう。ただその情報を収集し観察し、考察することに生きがいを持つ個を持っていたために彼の思考能力は高く、抽象的な考えができることだけが幸い、といった塩梅であった。更に彼はヴィータとして生を受けてから長いこと世捨て人として生きてきていた。つまり、恋愛経験は皆無である。
ザガンはそれを全て承知のつもりではいた。しかし、いかんせんオロバスがどこまで理解できていてどこまで理解できていないのかはオロバス本人にしかわからないのだ。そしてこれはザガンが想定しうる最悪のパターンだった。ザガンは暮れなずむ夕焼けの中で頭を抱える。
「……どう、っていうのは?」
「君は、自分の感情を口にしたわけだが、この状況下でそれを言うことには何らかの意図があるように思う。しかしそれが私にはわからない」
「まあ、うん、そうだよね……そう、うん」
「?」
惚れた弱みというものは恐ろしいもので、バカにしているのかという質問を真面目にしているオロバスが非常に可愛らしく見えるので困る。彼はいつもどおりの穏やかで優しい口調で言った。
「話の主旨はなんだろうか」
可愛さと優しさに見合わず切れ味は抜群だった。ザガンは何らかの学者になったことはないが、かつてアンドラスが言っていた「素人質問ほど怖いものはない」という言葉の意味がようやく分かったような気がした。これはつまり恋愛の素人質問なのだ。
「ええと、だから……その、つまり」
ザガンは言いよどむ。もちろん、こういう事態になることを全く想定していなかったわけではなかったのだが、照れのような焦りのような何かでうまく言葉が紡げない。
「つまり、好きだから……付き合ってほしい」
「どこに?」
「With you的な意味ではなくて、あなたと恋愛関係になりたい、って意味……」
「ふむ……それは現在の私達の関係性とどういった相違点があるのかな?」
「え……と、一緒に、二人きりで出掛けたりとか?」
「今、私たちは一緒に出掛けているわけだが」
「頻度高く、いや今でもそれなりに頻度は高いか、そうじゃなくて……ええと、他の例にしよう。スキンシップをするとか」
「互いの肌を触れ合わせることでヴィータが信頼関係を築く行為のことかな」
「んーと、そうだね」
「しかしスキンシップの度合いはヴィータにとってかなりデリケートな話題だから、私の方ではなんとも」
「あーーー、えっと、だからそう、もう少しそのデリケートな部分で触れ合いたいというか」
「……目は触られたくないな」
「いや違くて、ええーっとつまり」
ザガンは混乱と焦燥の中で可能な限り的確な表現を探そうとした。そして天才肌の彼女の脳が弾き出した答えは確かに的確だった。
問題は的確すぎたこと。
「つまり、オロバスと肉体関係を持ちたいんだけど」
最悪である。
「君、未成年じゃないか」
その発言も最もである。
ザガンは言い終わってから再度頭を抱えた。
静かに息を整え、考える。考えて、日が落ちて、冷たい風がヒュウゥと二人の間に通った頃、ようやく彼女は口を開いた。
「……一旦この話題、持ち帰っても良い?」