メギド×ロボットアニメのパロディ物。
作者は初代ガンダムの影響を現状めっちゃ受けているのでそういう設定が多いかも。
※ザガオロ要素あり
ザガン×オロバス中心の内容が含まれます。
宇宙要塞メルクリウスの格納庫は、戦闘帰還したアバドンのエネルギーと損傷した際の細かい土埃や鉄屑、独特のオイルの匂いで満ちていた。整備班の隊員たちが忙しなく動き回る中、ザガンは自機No.61の隣に降り立ったばかりのNo.55を見つめていた。
黒鉄の機体はボロボロだった。特に右腕の部分が丸ごと吹き飛んでおり、焼け焦げた残骸が関節部から垂れ下がっている。だがそれは、彼が機体の右腕に付けていた自爆装置を発動させたからだろう。ただ、その他の部位も損傷が激しく、冷却剤が漏れ出し、白い蒸気がハッチの周囲に立ち上っていた。
「……またか」
ザガンは眉をひそめる。
ハッチが開くと、そこにはちゃんと人影が見える。
オロバスの黒いパイロットスーツの上に、血が滲んでいた。左手でメットを抑えながら、コックピットにもたれ掛かっている。肩で二、三回息をすると、そのままフッと彼は起き上がった。どうやらメットと仮面を破損したらしい。額から流れた血が表情を赤く染めていて、初めて見た素顔のはずなのに金色の目以外の情報がまるで頭に入ってこなかった。
胸の奥がひどく重くなる。
(……なぜ?)
オロバスが自爆戦法を取るのは、別に今に始まったことじゃない。合理的な判断で、必要な時に必要な犠牲を払うだけ——彼自身がそう言っていたし、ザガンもそう理解していた。
それなのに。
「……これで何度目の自爆?」
「まあ、三回目くらいかな?」
気づけば、眉を寄せていた。
「……おや、心配してくれたのかい?」
その飄々とした態度に、余計に胸がざわつく。
ザガンは、言葉に詰まった。
心配——した?
わからない。でも——
「……無茶はしてると思う」
静かにそう言った。
オロバスは、少しだけ驚いたように彼女を見た。
そして、緩く微笑む。眼球を這う血液が彼の目の下に涙のように通った。
「大丈夫、大丈夫。見ての通り、帰ってきたから」
「……。」
「ほら、この程度。ほとんどかすり傷だよ」
そう言って、ゆっくりと右腕を持ち上げようとして——神経接続をしていたそれを吹っ飛ばして爆発させたせいで、腕の感覚がイカれて動かなくなっていることに気付いて、オロバスは肩をすくめた。
「うーん、これは直すのが大変だなぁ……やれやれ」
彼は自らの腕ではなく、機体を見て言った。その呑気な声に、ザガンは思わず聞きたくなった。
まず気にするのは機体のこと?
「……」
胸の奥がざわつく。苛立ちとも、不安ともつかない感情が渦を巻く。
(なんでオロバスは……)
なんでそんなに簡単に。
なんでそれを当たり前みたいに。
もし——次もこうやって自爆して、次は帰ってこなかったら?
「……死なないでね」
思わずそう伝えた。
その言葉が何の意味もないとよくわかっていたはずなのに。
オロバスが、少しだけ目を見開く。
「……ああ。善処するよ」
その気の抜けた返事に、また腹が立った。
メルクリウスの格納庫には重力がない。人工重力の影響を抑えたエリアで、アバドンのハッチを開けて外に出るには、慣性をうまく使わなければならない。
ザガンはNo.61の機体から滑るように降り、無重力の中で軽く姿勢を制御しながら、出口に戻ろうとしたが、普段ならすぐに降りてくるオロバスの気配が無いことに気がついた。
……嫌な感じがした、No.55の機体のハッチに近づく。
そして案の定、彼はまだ開いたハッチの中にいた。出ようとしてはいるが、腕が使えないことがやはり堪えるらしかった。頭も打ったのかもしれない。どこか体幹がぐらついているように見える。体を機体に拘束するベルトを外せていない。しかしオロバスはザガンの視線に気がつくと、また大袈裟に肩をすくめてみせた。ザガンは眉をひそめた。
「……ほら、貸して」
ザガンはオロバスのシートベルトを外してやった。そしてそのまま彼に向けて手を差し出した。オロバスがわずかに顔を上げる。
「ん……悪いね」
素直に手を掴まれたのが、なんとなく意外だった。
彼の手を引き、ハッチからゆっくりと外へ出るのを手伝う。無重力の中では体重は関係ない——はずだったのに、ザガンはその腕を引いた瞬間、違和感を覚えた。
(……薄い)
オロバスの身体は長身だった。自分よりもずっと背が高いのに、引いた手の感触はあまりにも頼りなかった。骨の凹凸すら伝わるようだった。
肩を貸せばスーツ越しに伝わるのは、驚くほど肉のない肢体の感触。骨ばっていて、戦士らしい厚みがほとんどない。少女であるザガンと比較しても薄いくらいだ。
(……そっか)
ザガンは思い出していた。
オロバスは戦士じゃない。もともとただの研究者で、戦うことを望んでアバドンのパイロットになったわけじゃない。
『なんとなく気乗りしなかったけど……若い子や子供が乗るよりは、まぁ、順当だよね』
あるとき、彼はそう言っていた。
感情の見えない、あの淡々とした声で。
(……順当?)
何が?
「あなたより若いことが駄目なら、それは私に対する侮辱?」
そう聞いたとき、彼は困ったような声色で「さあね」とだけ言った。でも今考えると、あの時聞くべき質問はこれではなかった気がする。
あれは、何だったんだろう。
「……」
ザガンは無言のまま、オロバスの体に腕を回した。
支えるように身体を寄せる。
すると、もっとはっきりわかった。
オロバスの身体には、本当に筋肉らしい筋肉がほとんどついていない。脆くさえ感じる肢体。しかし少年の細い体躯とは違う、どちらかというと、死の匂いのただよう形。
(なのに……)
彼は恐怖を感じていない。
こんな身体で、無茶な戦い方ばかりして、いつ死ぬかわからないのに。一切の震えも強張りも感じられない。時折傷が痛むようなそぶりは見せるが、それすらも当たり前のことのようにすぐに硬直が解ける。
アバドンの影響なのだろうか。機体ごとに受ける影響は違うようだから。私の精神面や闘争心が変化したように、彼もまた恐怖心に変化が起きたのだろうか。
そして……それは、幸福なのか、不幸なのか。
「……」
わからなかった。
わからなかったけれど——。
ザガンは、ふいに衝動に駆られた。
彼を抱きしめたくなった。
その細い身体を、自分の腕の中に閉じ込めたくなった。
恐怖心を抱いていない彼の心の奥底に何かの安心を与えたかったのかもしれないし、あるいはその不吉な死の形を描く身体の輪郭を変えてしまいたかったのかもしれない。
けれど、ザガンはしなかった。
代わりに、少しだけ強く、オロバスの体を抱え直す。
「ほら、さっさと行くよ」
そう言うと、オロバスは少し微笑んだように思われた。
「うん。頼りにしてるよ、ザガン」
その何気ない言葉が、胸の奥に不思議な熱を残した。
オロバスは、不思議な男だ。
「学者がパイロットなんて世も末だねぇ」
そんなふうに、まるで他人事のように愚痴をこぼすが、彼の撃墜数はすでに二桁に達していた。
そもそも、オロバスは通常の戦闘で敵機を仕留める腕をある程度持っている。自爆せずに帰還することも珍しくはない。
ではなぜ、彼は自らの命を危険に晒すような真似をするのか。
「明らかに格上の相手に、わずかでも優位を取るには、多少不意を突くような真似をしないと」
オロバスは淡々と、そう言った。
「アバドンを自爆させる、という発想自体がみんな無いみたいだからね。機体とパイロットの希少性に思考が囚われすぎている。それなりの設備とメカニックを準備すれば、修復は可能だし、シーケンス自体は比較的単純だ。緊急脱出も兼ねているから無駄もないだろう?」
確かに彼の乗るNo.55アバドンは、破損した部位を自己修復する機能を持っていた。理論上、自爆で失った部分も相応のコストを支払えば復元可能だ。
しかし、いざそう言われても、それを実行に移す人間はほぼいない。
なぜなら、アバドンは操縦者の神経を機体に接続し、操縦者の感覚を限りなく機体に近づけるシステムになっているからだ。すなわち、機体の損傷はそのまま操縦者の痛みとしてフィードバックされる。
腕を爆散させれば、まるで自分の腕が吹き飛んだかのような激痛が襲う。脚を失えば、同様に。
それを理解しながら、なおオロバスは「便利だから」と笑うのだった。
──そんな芸当ができるのは、アバドンを実用可能な兵器に作り変えた技術者であり、尚且つ強靭な精神を持つオロバスただ一人なのだ。
「それは過大評価しすぎだよ」
オロバスは苦笑いするような声でそう言った。
ザガンの冗談混じりの持論は、彼を多少楽しませたらしい。しかし実際ザガンにはいくら考えてもわからなかったのだ。彼がどうやって合理的にあの戦法を成立させているかが。
「別に、根性とか精神力とか、そういうので耐えてるわけじゃないさ」
気怠げに指を揉みながら、彼はは言う。
「アバドンを操って自爆をする時、私は命令を走らせた直後に強制終了している。そしてすぐに再起動させる、簡単な理屈さ」
「……再起動?」
「そう。これなら、指示の実行後、痛覚がフィードバックされる前に強制遮断できるだろう?痛みはこない」
つまり、痛みが出たとアバドンが操縦者に信号を送る前に、電源自体を引っこ抜いてしまう、という算段だ。確かにいざ聞いてみれば単純な理屈である。そう、側から聞けばだ。
だが、操縦のテクニックに自信のあるザガンを持ってしても、そんなやり方は荒唐無稽に聞こえた。
「でなければ、同じ戦場で何度も腕やら足やら無くしてられないだろう?」
オロバスは当たり前のことのように笑った。それはどこか信じたくなるような真実味を帯びていたが、ザガンのパイロットとしての感覚は、その違和感を追求せずにはいられなかった。
「……そういうの、間に合わない時あるよね?」
目配せするように、ザガンはオロバスを見た。彼はさっきまで饒舌だったくせに、途端に口を噤む。
ザガンはさらに追撃した。
「戦場って理論通りに進むもんじゃないでしょ。アクシデントなんて日常茶飯事だし……例えば時間差で二方向から狙われたら、そんな操作してる暇はないと思うんだけど」
実際に、オロバスが強制終了を挟まずに立て続けに自爆を行ったのを、ザガンは見たことがある。あの、メットから血を流してふらついていた時。彼は明らかに、通常のものではないダメージを負い、仮面越しでもわかるほどの冷や汗を滲ませていた。
「……まぁ、それは色々な小細工でどうにかしているから」
オロバスは困ったように笑っていた。仮面の奥にある表情は見えなかったが、きっと、そういう顔をしていたのだろうとザガンは思った。
彼は決して、痛みを感じないわけじゃない。
感じた上で、なぜかそれを誤魔化し、押し込め、それでも自分を戦わせ続ける道を選んでいる。
ザガンには、その理由がわからない。
そんなことをする道理も、その無理を通せる感覚も、わからない。
なぜならザガンにとって、モビルスーツに乗った宇宙はどこまでも自由で、美しい世界だからだ。それに搭乗し戦うことに、まるで窮屈な別種族から元の生き物に戻れたような喜びを感じる。
ザガンは命の奪い合いという恐怖はあれど、大なり小なりアバドンのパイロットはそういう喜びを持っているものだと思っていた。だから、オロバスの存在は彼女にとってイレギュラーだった。彼を、知りたいと思った。それは多分、純粋な好奇心だった。
かつて、オロバスは自分のような年齢が上の者が戦場に立つことを、若い者が立つより順当なことだと言った。
──それは、本当に順当なことなのだろうか。
彼は、ただの研究者だったはずなのに。
不本意に戦いの中に身を投じているのであれば、ザガンは己がもっと強くなりたいと思う。誰かさんが好きでもない戦場に身を投じなくて済むくらいの戦果を上げれば、その人はきっと好きなことに打ち込むことができる。
時々懐かしむように難しい単語を交えて話すオロバスは、自分がモビルスーツに乗る時のような弾む気持ちを隠せない状態によく似ていた。ザガンは彼ができるだけ長くそういう状態であるべきだと、ただ純粋に思った。自分のように。むしろ、それは願いに近かった。
恐怖が無いから戦えと言うのは、死体は痛みを感じないから蹴り捨てていい、というような暴論だから。
ザガンは、オロバスに生きていて欲しいと思っていた。
個室の中は静寂に包まれていた。
白い天井を見つめながら、オロバスは息を整えている。
戦闘が終わり、医務室に運ばれてから数時間。治療はすでに終わっていた。だから自室に戻っている。実際、負傷の内容は大したものじゃない。頭部の負傷は出血過多に見えがちなため、共に出撃していたザガンを妙に心配させてしまった。メットがあるため頭は守られていたし、割れた仮面の破片が目に入ったりもしていない。
……問題はそこではない。
「……う……ぐ」
思わず呻き声が漏れた。
じくじくとした痛みが、神経を伝って脳へと届く。
傷はない。
ただ、これは自分の体が覚えてしまった痛みだった。
神経は、痛みを記憶する。痛みを覚えるほど、脳は次の痛みを想像するようになる。それは誤作動となって体に残り、例え傷が治っても痛みだけが残ってしまう。そういう仕組みが、人体にはあるのだ。
──まあ、よくある話だ。年寄りの神経痛と大して作用は変わらない。
そう思って、これまでもやり過ごしてきた。これからも、そうだ。
オロバスが行う「小細工」の仕組みは単純なものだ。痛みを軽減するための神経への注射と、薬の服用。
この手の薬や処置はすべて正式な認可を得ている。処方を頼んでいるのはアンドラスだ。彼は薬の管理には厳しく、時には「使用頻度を抑えろ」と忠告してくるが、オロバス自身にも医療の知識はある。
──この程度なら問題ない。
用法・容量は守っているし、過剰摂取はしていない。
しかし、それでも最近、薬の効きが悪くなっているように感じていた。
特に夜になると、消え損なった痛みはより酷くなった。
オロバスは予感を誤魔化すように起き上がり、ゆっくりと時計を確認する。ちょうど次の薬が飲めるタイミングだった。
深く息を吸う。意識を別のことに向けようとするが、夜の静寂は、痛みにばかり集中させた。鎮痛剤を手に取る。
神経に作用する薬を服用すると、自分の場合悪夢を引き起こすことを、錠剤のアルミカバーに触れるたびに思い出すが、痛みと比較すれば些細な苦痛だった。
そばに置いていた水とともに薬を飲み込み、オロバスは目を閉じた。
薬が効き始める頃には、また夢の世界へ落ちていくのだろう。
それが安らぎとは言い難いが、休息にはなり得ることを自分はよく理解していた。
*****
──無茶をするのは、君だって同じだ。
夢の中で、オロバスは歯噛みした。
警告音が耳をつんざくように響いている。視界の端には、赤いエラー表示が幾重にも重なり、点滅していた。打ちどころが悪かったせいで一時停止してしまったアバドンの問題を、オロバスはどうにか解消しようとしていた。が、その前に敵機の強烈な一撃が来ている。恐らく間に合わないだろうと、そう思いかけた時だった。
──脱出すらできない状態で、敵機のブレードがコックピットに迫る。
そこに、飛び出してきた何かが、視界を覆った。
No.61だ。
そして彼女が太陽を隠した瞬間。
暗転する景色、光の中で、急速に視界が揺らぎ、宇宙がひっくり返る。
姿勢を崩したのかと思った。しかしそこで転じた景色は一切の見覚えがない。身体の感覚すら曖昧だ。
浮遊感が失われたかと思うと、オロバスは大地の上に、立っていた。
辺りに響くのは金属の軋む音、そしてむせかえるような血の匂い。
そこは先ほどまでの宇宙の戦場ではなかった。
荒れ果てた大地。焼け焦げた瓦礫と、黒く焦げた土の匂い。夕焼けのような赤い空の下で、巨大な生き物に対峙している自分。
そして、彼女がいた。
──ザガン。
彼女は戦っていた。機体などない。ただ、剣を一振り。
赤い布をはためかせ、その場に見合わぬ青と金の絢爛な衣装を身に纏い、鮮やかに美しく、一切の乱れなく立っていた。
いや、違う。
はためく軍旗のようなムレータの下に、赤黒く染まった脇腹を隠している。相手は、機械のような生命のような異形の存在。全身を黒く硬質な殻で覆い、血のような赤い目が、じっとザガンを睨んでいた。不気味な光を反射しているのは、武器なのか爪なのか、それが、振り下ろされる。
彼女はただの布一枚で立ち向かう。
……赤い布が、広がる。いや、吹き出した鮮血が、地面に飛び散った。
自分はただ、彼女の姿を見ていることしかできなかった。何もできずに。
景色が戻る。腹の所で真っ二つになったNo.61アバドンが、逆光の中で宇宙に浮かんでいた。
*****
腕に鈍い痛みが走った。
広がる違和感。指先が痺れ、焼けつくような感覚がじわじわと神経を這い上がる。
──これは、一体何に対する痛みだ?
意識が急速に覚醒し、痛みが一気に鋭くなる。オロバスは息を詰まらせた。激痛が腕を貫き、まるでその部位だけが異物になったかのような錯覚を覚える。
「ぁあ……ぐ、ぅ……」
眉間に皺を寄せ、無意識に手を握ってしまった。力を込めれば、痛みが増した。息を吐く。少しずつ、体の強張りを解く。
目眩で視界がぼやける。それはまた自分の意識をどこか遠くに追いやりそうだったが、これはただ耐えるしかないものだ。オロバスは、腕を押さえたまま。ただ時間が過ぎ去るのを待った。まだ鎮痛剤は使えない。
だが、どこかで痛みが自分を叩き起こしてくれたことに安堵する。
アバドンの記録と自分の記憶が混ざり合った副産物は、ここ数ヶ月の夢見の中で一番ひどい内容だった。
痛みが引いて、頭を上げる。見慣れた天井が視界に映る。静寂の中、ゆっくりと深呼吸した。オロバスは、庇うように腕を抱えながら、再びベッドに沈み込んだ。
ああ、夢か。ひどい夢だ。よりにもよって、一番見たくないものを見せられた。
脳の都合で見ているものとはいえ、もっと気の利いた内容にしてくれればいいのに、と自分の神経に不満を抱く。
いや、誤作動が起きるような使い方をしているのが悪い。それでも、この道を選んだのは自分だ。
……こういう時ほど、思考が、過去へと引きずられる。
研究者だった頃の記憶。
アバドンのシステムは、当時まだ完全に解明されておらず、それでも外敵に対抗するため、早急にパイロットの選出が優先された。
アバドンは残酷な兵器だ。兵士、せめて成人以降の人間を選んでくれればいいものを、そんな理屈は知らないとばかりに、搭乗者を好き勝手に選んだ。
我々ができたのは、全人類の遺伝子を解析し、特定の配列を持つ者たちを一人ずつアバドンに乗せていくことだけだった。
ただ、試乗の順番は可能な限り若い年齢から乗せるような指示はあった。それに何の意味があるわけでもないと、理論理屈のみを考えて許諾したのは、私だ。
5歳児程度のクラス。
あの時の、黒髪の少女。
戦場に立つべきではなかった子供。
好戦的でもなく、戦うことを望んでいたわけでもない、ただの女の子だった。アバドンに乗ることすら嫌がっていた。
当然だ、大きな鉄の塊そのものに怯えたりする年頃なのだから。
それに、あれはただ暗がりに怯えただけではなかったように、思う。
幼子は眠る時、自分が消えてしまう不安を覚えて泣くらしい。
アバドンによる人格の上書き。
これが世間でまことしやかに囁かれるようになったのは、しばらくしてからのことだった。
もちろん、この件への追求はこの非常事態宣言下では禁じられているため、何かが公になったことはない。
ただ、あの時、彼女は何かを予感したのではないか。
そして、あの機体に乗せられて……本当に消えてしまったのではないか。
そんなことを、考えて。
以降、周囲の反対を押し切って、私は無理にアバドンの試乗に参加するようになった。それが幸と出たのか不幸と出たのか、私はNo.55のパイロットに選ばれた。
私がアバドンに乗ることで、あの黒髪の少女のような誰かが一人、パイロットになることを防げたのだろうか。
それとも、ただ元からあったパイロットになる運命をなぞっただけなのだろうか。
何によってアバドンに選ばれるのかわからない以上、これらは全てただの仮説にすぎない。それに、痛みは痛みであり、そこにどんな理由を貼り付けた所で変わりはしない。それでも理由を考えてしまうのは、夜遅いせいだろう。
オロバスは義務的に目を閉じた。才能のない自分が、パイロットとしての責務を果たすためには休息は重要だ。そう思いながら、少し収まった痛みを刺激しないように浅く息をしていた。
──宇宙は、良い。
無重力の中で自由に動き回れる。自分の小さな体以上に。これが戦場でさえなければ、こんなにも気楽な環境はない。
ザガンはアバドンのコクピットに身を沈めながら、機体の外を眺めた。
彼女にとって、この機体を操ることは最高の娯楽だった。
敵を撃墜するのも、味方を援護するのも、時には味方すら翻弄するのも……すべてが楽しい。
機体の操縦技術を磨くことは、彼女にとって「遊び」そのものだった。
何度も繰り返される訓練。模擬戦。時には無理な操縦をして、限界を探る。彼女の技術は、その積み重ねの上に成り立っていた。
だが今日は、単なる訓練では終わらせないつもりだった。
──オロバスの技術を真似る。
普段から彼の操縦を観察していれば、なんとなくコツは掴める。それに、やり方だって本人の口から聞いたのだ。私にできないはずはない。
そう思っていた。
目標を確認して、二回転、三回転半、逆噴射してほんの少し速度を落とし、惑星の重力に軽く乗って回転の力を別にかけると、大きくアバドンの軌道が変わる。相手はただの岩の塊だから、ここまでする必要はないのだけれど、手を抜いた動きでは楽しくない。完璧なアクロバット飛行を行ってから、小型爆弾を用いてすれ違いざまに爆破するのが今回の目標。
問題はタイミングだ。
成功すれば、回避と攻撃を同時に行える。
相手に命中し勢いがおさまった所で爆発が行えれば、その推力で後ろに飛ぶはずだ。最もオロバスが使用する爆弾より小型のものを使用しているから、今回はほんのちょっぴり後ろに動くだけだろうけど。
失敗すれば……痛い思いをする。
「さて、やるか!」
ザガンは操作桿を握りしめた。
彼女は一気に加速し、宙を舞うように機体を回転させた。
曲芸飛行。
彼女の得意技の一つ。
想定通りぐるりと大きく弧を描き、デコイに向かって走る。
そして、爆弾のスイッチを押した。
──その瞬間。
「いったぁーーー!!!」
コクピット内に響き渡る悲鳴。
爆破のタイミングはちょうど良かった。しかしシャットダウンが遅かった。しかし早過ぎれば爆弾は中途半端に着火するだけにとどまってしまう。思ったよりも間隔がシビアだ。
そして何より、めちゃくちゃ痛かった。びっくりした。小指だけだったのに。強制終了の操作が一瞬遅れただけで、この有様とは。
ザガンは痛みで離した操縦桿を握り直す。いくら休暇でも、ずっと無重力空間で大の字のアバドンを回転させていたくはない。そもそもカッコよくない。恥ずかしい。慣れた手つきで機体を制御し直した。
──ダメだ、こんなの何度もやるもんじゃない。
訓練を終え、格納庫に戻る頃には、彼女はすっかりやる気をなくしていた。だって痛いんだもん。練習していてほとほと嫌気がさしたのは初めてだった。オロバスのテクニックは、真似できない。いや、そもそも真似するべきじゃない。
たかが小指一つ、タイミングを誤るだけで二度とやりたくなくなるほど痛い。
もしこれを戦場で使いこなせと言われたら、ザガンだってすぐにアバドンを嫌いになるだろう。
だからあの人パイロットしたがらないんじゃないか?
いや納得だけど、そこまでしなくていいでしょ。
──なのに、彼はやる。
危険を承知で、無理を承知で、やる。
そんな無茶な技術を使い続ける。
私にはできないのに。
……あー悔しい。
「……続きは、明日やるかあ」
彼にできるのなら、自分にだってできるはず。そう思い直して、自分の頬を叩いた。
普段と違ってやる気はでないが、それでも自分を突き動かす何かが心の中で燻っている。だって、勝ちたいじゃないか。
これは多分、ライバル意識。
……いや、ちょっと違うか。
だってどちらかというと、悔しがるところよりも、彼にはちょっと喜んでほしくてやってる節がある。彼はきっと、私が思った以上に「できる」ことがわかったら、きっと喜ぶはずなのだ。彼は顔がほとんど仮面で見えないようで、結構感情表現が豊かだから、何を考えているかはだいたいわかる。
にしても、いくら私が年下で女の子だからってさ。すごいパイロットであることを、もうちょっと認めてくれたっていいじゃないか。
私って、天才なんだよ?天才。
演習での成績だって、実戦の撃墜数だって、ずっとトップだし。もっと大手を振って、褒めてくれたって……。
ここまで考えて、自分の思考があまりにもお子ちゃまであることに気がつく。
なんだよ褒めてくれたってって。
別にそんな道理も義理もオロバスには無いじゃん。
いや認めてもらいたいだけで、それは別に普通の感覚かな……?
……それで構ってもらいたくて相手の技術の練習してると。
うわ。ダッサ。
「バカみたい……」
宇宙の闇の中、ザガンは小指をさすりながら、ひとり呟いた。
青い空の下、風に吹かれる男が立っていた。もはや見ること自体が贅沢となった大自然。金色の稲穂は風が吹くたびに大海原のように揺れていた。
そしてそこに、骨の仮面をかぶり、青いローブをまとった見知らぬ人が、どこまでも続く地平線を眺めている。
――なぜか、ザガンにはそれがオロバスだとわかった。理由はない。ただ、わかったのだ。
彼はゆっくりとこちらを振り返る。仮面の奥の表情は見えない。それでも、なぜかどうしようもなく眩しく感じた。胸が熱くなる。言葉にできない感情が溢れそうになる。
「……待って」
気づけばザガンは駆け出していた。無我夢中で。
――そして、目が覚めた。
薄暗い天井が視界に入る。何かを夢見ていたはずなのに、思い出せない。
「……なんだろ、今の」
ぼんやりと呟き、ザガンは身体を起こした。
ここは宇宙。地球とは違い、朝日はない。それでも、この戦艦の中では、決められた時間が「朝」として扱われる。
少し遅くまで起きていたせいで、まだ体が重い。オロバスの自爆戦法に固執して悩んだせいだ。まだなんだか嫌な感じが残っている気がする。
「……お腹すいた」
とりあえずザガンは、朝食を取るため、食堂へ向かうことにした。
食堂には既に数名のパイロットや整備員がいた。宇宙空間での戦いは体力を消耗する。食事は常にしっかり摂る必要がある。
トレイを手にして配給された食料を受け取る、ふと視線を巡らせると――オロバスがいた。いつものようにヘルメットを被り、食事には手を付けず、パッドを読んでいる。
彼は食事をしているところを人に見られたくないらしい。だから、こうして食堂にいる間は何かを読んでいることが多かった。なぜ食べもしないのにここにいるのか、詳しい事情は知らないけど……。
ザガンはオロバスの向かいの席に座った。
オロバスはパッドから顔を上げることなく、ゆるく声を発した。
「おはよう、ザガン」
「ん、おはよ。何読んでるの?」
パッドの画面を覗き込むと、そこには細かい文字が並んでいた。
オロバスはちらりと私を見て、少し考えた後、パッドを傾けて見せた。
「機体の神経負荷と感応度の相関についての論文だよ」
「へぇ」
正直、私にはさっぱりわからない。
でも、オロバスはこういうのを読んでいるときが、一番楽しそうだった。
「小さい文字って、読んでて疲れない?」
「……好きで読んでいるからね。むしろ、こうしている方が落ち着くよ」
オロバスはなんでもないことのように返した。
ザガンは論文に興味はないので、ふうん、とだけ返してそのまま席に戻り、フォークを手に取って食事を口に運ぶ。
「……昨日の訓練、どうだった?」
オロバスの質問に、う、と言葉と食べ物が詰まった。
「……ま、まだうまくいかないけど……いずれできるようになるから……」
「ふ、珍しいね君が、無理をすると体を痛めるからほどほどにね」
まるで私がもう嫌気がさしているのを見抜いてるかのような口ぶりに、寝不足の原因であるイラつきが戻ってきた。悔しい、オロバスにはできるのに、私にはできないなんて! 私だってもうちょっと練習すれば!
……でも正直、道のりが遠い……。
ふと、ザガンとオロバスの間に、しばしの沈黙が流れた。
違和感にザガンが食事から視線を外し、オロバスの方を見る。
気のせいだろうか、ザガンは今食事中で話題が提供できないせいかもしれない。
だが、彼が視線を逸らしたように思われた。ヘルメットに隠された顔は見えない。だが、その仕草には少しのよそよそしさがあった。
「……ザガン」
「ん?」
「無理に私に付き合う必要はないんだよ」
「は?」
言われた意味がわからず、ザガンはフォークを持ったままオロバスを見つめた。
オロバスはさも年長者のような落ち着きで、ゆるりと続ける。
「君と同世代の子たちも、この戦艦には多いだろう? せっかくの食事の時間なんだから、もっと気の合う仲間と過ごしたらいい。私の戦い方について何かあったら、いつでも聞いてくれて構わないから」
その言い方は、どこからどう見ても年下を気遣う大人のもので、当たり前のように当たり前のことを言いました、という雰囲気だった。
……だが、ザガンにはそれに強烈に違和感を覚えた。
(なんで今、オロバスがらしくないことするなと、思ったんだろ?)
その思い込みは、根拠があるわけじゃない、ただの勘。
でも、なんとなくそう感じる。
なんで? わかんないけどさ……。
ただ、こちらの答えは変わらないので、あっさりと返答した。
「……そういう気を使うタイプじゃないから、私。基本、好きな人と付き合うし」
オロバスはしばらく黙った。思案するように首を傾げ、それから、ぽつりと呟いた。
「……そう?」
「そうじゃないと思ってたの? 心外なんだけど」
「年上に気を遣うくらいはするでしょ?」
「しないよ?」
弱い奴に先輩面されるの、嫌だし。そもそも軍隊出身で上下関係にうるさいタイプのパイロットは、意味のない練習を強要したり嫌味っぽかったり面倒なのだ。ある程度は仕方のないこともあるが、食事の時間くらい好きに座れるのだから、それで何かを我慢する必要もないだろう。ただ居心地がいいからここにいるだけだ。
そういった調子のことを話すと、オロバスはしばらく黙り込んだ。
そして、表情の見えない仮面とヘルメットを少し傾げて言った。
「……これまで私、そんなに君に気に入られるようなこと、したかなぁ?」
ザガンは目を瞬かせた。
オロバスの方を怪訝な顔つきでじっと見つめたが、彼の反応は鈍い。
――あ、天然で言ったんだ、今の。
オロバスは、私の不躾な質問にもきちんと答えてくれるし、基本的に親切な人だ。時々奇妙なことを言うことはあるが、それは誰に対してもそうで、基本関係性については、フラットな人だ。だから私だけじゃなく、大体の人から一定の好感は持たれている。
だけど、彼はどことなく人と距離を取る――それは、仮面という物理的に心の壁を可視化する道具が理由だったり、一人で研究の為に篭りがちな彼の習慣が理由だったりするんだけど――とにかく、周囲はオロバスのことを「人付き合いが苦手なタイプ」として捉えて、何かと気を遣っている節がある。何者かわからないが地位は高いらしい、という噂が流れているのも、それに拍車をかけているんだろう。
だが、私は知っている。
オロバスは案外、人を嫌がらないことを。
むしろ、賑やかな方が好きだよね、と思う。
多分、ここで私が「じゃあ他の人と話してくるね」と言って席を立ったら、顔には出さないけど、結構嫌がるよね、と思う。案外それに自覚がなかったりする節があるけど。
普段はやたらと大人びてるくせに、自分の事には割と頓着しないようなので、そういう部分の一つなのかもなぁと思う。
実際私が行かないって言ったら拗ねたりするくせにね。危うく思い出し笑いしそうになったのを、必死でこらえた。
……あれ?
どこでそんなことがあったんだっけ?
考えてみても、はっきりとは思い出せない。
ま、いいか。
「好きに理由を聞くなんて、野暮だよ」
考えるのをやめて、私はそう言った。
オロバスから返事はなかった。
こちらが顔を上げる前に、彼はパッドの画面を閉じて立ち上がる。
「そろそろブリーフィングの時間だ。行こうか」
その声が、いつもの余裕のある調子と少し違うような気がした。
不思議な面白さを感じて、でも何でそんなことを思うのかやっぱりよくわからなくて、私はともかく食事を片付けることを優先した。