Blog: 会社を辞めて博士課程に進む
2025年5月12日
Blog: 会社を辞めて博士課程に進む
2025年5月12日
2年間勤めた会社を辞め、2025年4月から大学院博士課程に進学しました。以下は、私がどのような経緯で何をしたのかを書いたものです。似たようなことをしようと思っている人もいるかもしれないので、参考になったらいいなと思っています。
1. 起こったこと
2023年4月
入社。研究への未練はあるものの、ビジネスパーソンとして上手にやっていけるならばそれはそれで良いと思っていた。
2023年4–6月
新入社員向けの研修。
研修期間は一定の余裕があったため、朝と夜に時間をとって論文を書いていた。『フィルカル』に寄稿する論文の初稿を5月半ば、最終稿を6月下旬に完成させた。
2023年7–9月
業務に本配属され、徐々に忙しくなる。
合間を縫って内輪の研究会に参加するなどしていたが、そこでの交流がべらぼうに楽しかったことから、研究への未練も再燃する。
2023年10–12月
2024年3月で会社を辞め、次の4月から大学院に進むことを真剣に検討する。結果的に、ここでは進学を先送りにした。今思い出せる限りでは、次のような事情があった——ただし、これら全てをリアルタイムで細かく吟味できていたわけではなかったと思う。
資金の不足:進学に耐えうる貯金があるわけでもなく、何かフェローシップに通っているわけでもない。奨学金を受けとるには当該年度に給与をもらいすぎている。
JSTのフェローシップで生活費をもらえるプログラムがある大学を検討したが、結局申請・採択等のタイミングが不透明で、生活を維持できる保証が得られなかった。
不十分な研究計画:研究計画が十分に練られていなかった。修士論文の続き程度のことなら計画を立てることができてかもしれないが、そのまま博士課程に進んだとしてもしばらくは苦労するだろうと思った。
結果的に、〈日本学術振興会の特別研究員DC1(”学振DC1”)やJST等の経済的支援を受けられる見込みがたった場合に限り、その翌年度から大学院に進む〉という判断を下した。また、これまで全然していなかった貯金に取り組み始めた。
他方、この間仕事がそれなりに忙しくなり、自分の研究はほとんど進められなかった。
2024年1–3月
進学先候補の選定と学振DC1の申請書作成を並行して実施した。
進学先候補の選定:修士号を取得した研究室と、それとは別でJSTの経済的支援を受けられる見込みのある研究室の2つをリストアップし、それぞれの教員に進学の相談をさせてもらった。どちらも既に知り合いの先生だったので、連絡を取る上での困りごとは特になく、非常に丁寧に相談に乗っていただいた。結果的に、両方の入学試験を受けることにした。
学振DC1の申請書作成:会社員が博士課程に進学する場合、学振DC1の区分で申請資格を持つ——このことについて説明してくれている記事が複数ある*。そこで、学振DC1の採択を最優先の目標に定め、研究計画書の作成に取り組んだ。この過程で、会社員が学振申請をする際の2つの強みに気がついた。
計画の立てやすさ:既に修士論文としてまとまった量の研究成果があるため、それを踏まえた研究計画が立てやすい。
会社員スキル:必要なことのみを簡潔に分かりやすく書く、という会社員的なライティングスキルが申請書作成にやや活きる。
仕事については、心理的な負荷がかかる状況ではあったものの、労働時間をある程度コントロールできていたのが救いだった。
*:例えば、「社会人でも学振にチャレンジできる!DC1という名の文章構成の修行280時間の実録」「社会人だった私が学振特別研究員DC1に採択されるまで┃大学院博士後期課程進学に向けた準備」「研究に未練がある社会人へ 「学振」 という選択肢」など。
2024年4–6月
作成した学振DC1の申請書を何人かの知り合いに読んでもらい、いただいたコメントを踏まえて書き振りを修正した上で提出した。同時期に、進学先候補の片方で申請できるJSTの予約採用にも申し込んだ。学振申請書の内容を応用できたため、さほど労力は大きくなかった。なお、進学にあたって大きな引越しが必要ないことなどを考慮して、学振の受け入れは修士課程の指導教員に依頼した。
会社では、新年度になって所属チームが変わり、新しい業務に慣れるのに苦労した。
2024年7–9月
まとまった額のボーナスが支給され、会社へのロイヤリティが向上した。(素晴らしい会社だ!)と思った。仕事用の椅子とおしゃれなメガネを買い、残りを貯金に回した。
8月に研究会で報告をした。仕事と並行して研究を行う場合、新しい論文を読む量に限界が生まれる。そのため、既存のネタをベースに、いくつかの文献を追加で読む程度で報告を準備することになった。納得できる水準の報告になったとは言えないものの、ディスカッションはすごく楽しかったし有意義だった。準備の過程で、プレゼン資料の作成スピード・クオリティがかなり向上していることを感じたが、これは仕事でよくスライドを作っていたことが効いたのだと思う。9月には大学院の入学試験を受けた。学振の申請段階で研究計画を立てていたため、これもまたあまり苦労はしなかった。
9月の上旬にJST、9月の終わりに学振DC1の採択通知を受けた。非常に幸運だと思うが、これで無事に翌年度(=2025年度)以降の収入が確保できたので、退職に向けて本格的に動き出すことにした。
2024年10–12月
会社を円満に辞めるため、関係者との調整に着手した。実のところ私は会社勤めをそれなりに楽しんでいたし、周りの人々に感謝もしていたので、可能な限り円満に退社したかった。取り急ぎチームの上司に相談し、プロジェクト上都合が付けやすかった2025年2月上旬を最終出社日として有休消化に入ることを決めた。
年末に向けてプロジェクトが佳境を迎えつつあった——そのため、あまり仕事以外のことをする余裕はなかった。 とはいえ、年末年始はちゃんと休暇を取れたので滋賀に遊びに行った。琵琶湖が大きかった。
2025年1–3月
それなりに大変な時期を越え、後任者への引き継ぎも(おそらく)無事に終えて退社する。私の認識では円満だったと思う。お世話になった方々に挨拶をしたところ、多くの方から私の選択を応援するメッセージをいただいて嬉しかった。
最終出社からすぐに、院試があった。進学先は院試が2月にしか開催されないので、最後まで不確定な状況が続いて非常にストレスフルだった(院試に落ちて進学できない可能性も存在した)。
とはいえ、準備自体は研究計画を改めて確認しておくくらいで、工数はあまりかからなかった。
面接では久しぶりに学術的なディスカッションができたので楽しかった。
無事に院試に合格し、各種手続きを経て進学が確定した。
以上のような経緯で、会社を辞めて博士課程に進んだことになる。
2. 考えた/考えていること
お金のこと
私はお金を貯めるのが得意な方ではないので、退職・進学を現実的に考え始めたタイミングでは全然貯金がなかった。学振DC1やJSTの採択を退職・進学の条件にした背景には、そうした事情もある。
さいわい学振DC1によって支援を受けられることになったものの、2024年度に会社員として働いていたことが理由で(私の理解では)当面は学費免除の見込みがなかったり、保険や税金が高額だったりと、しばらくは苦労しそうな感じがしている。
とはいえ、自分の状況はアカデミア内で相対的に見れば恵まれていると思う。
将来の不確定性のこと
今のところはアカデミアでの就職を希望しているが、将来がどうなるのかという見通しはなかなかつかない。
特に、会社勤めのときは“テニュア”ではあったが、次にいつ終身雇用の身になるのかは全く定かでない。
学位取得がいつになるのかとか、海外に行ったりするのかとか、そういった点も不透明。
自分にとって重要なことをすること
こんな状況ではあるものの、いまの私にとって重要なことであるところの研究に打ち込むべく、仕事を辞めて進学した。
自分にとって重要なことをするのが重要だからです。