ひきこもりとは
わたしたちの考え方
わたしたちの考え方
よくある「ひきこもり」のイメージに、「ひきこもりって自分の部屋から一歩も出られない人のことでしょう?」というものがありますが、実際の「ひきこもり」とされる人のほとんどは、外出自体はできるようです。また、「病気や障害の人のことでしょう?」というイメージもあるようで、もちろんそういう人も含まれていますが、病気や障害のない人もいます。つまり、何らかの事情で、学校や会社などに通ったり家族以外の他者との交流をしたりすることが難しくなってしまった人たちが、「ひきこもり」と呼ばれているに過ぎません。
以前は、不登校といった若者のことだと思われていた「ひきこもり」。最新の調査(内閣府,2023)では、およそ半数が40~50代と推計されており、世代を超えた社会的な現象になっています。
「ひきこもり」それ自体が「問題」なわけではありません。なぜなら自ら「ひきこもり」気味な生活を選択している人もいるでしょうから。
ただし、自ら「望む・望まない」などを考えるゆとりもなく、気づいたら「孤独・孤立」の状態になっていたとしたら・・?
「ひきこもり」状態にある人の多くは「家族に申し訳ない」「自分は健康ではないと思う」などと思っているようで、現状を肯定しているわけではないようです。不本意ながら「ひきこもり」の状態に置かれているとも言えるでしょう。つまり、「本当は自分だって何らかの社会参加をしたい・していたかった、けれど・・」という気持ちなのかもしれません。
「ひきこもり」のきっかけ、および、その状態が続いてしまう背景には、社会による「排除のしくみ」があります。排除というと厳しい言葉ですが、要は社会の側が参加するための条件をつけてそれを満たさない人は仲間外れにしてしまおう、というしくみのことです。
たとえば、「学校に通うなら白い靴を履いてきなさい」「”~らしく”振舞ってください」「"空気を読めない"人はいりません」など・・。
条件を満たさない(満たせない)原因は、多くの場合、本人や家族のせいにされてしまいます。それを正直に受け取った人たちは、自らの価値を否定したり、家族内で責めあったりしてしまいます。つらい気持ちを抱えたまま、気づけば「ひきこもり」の状態が続いてしまう、というわけです。
「ひきこもり」の状態が続くと、「本当は自分だって・・」といった気持ちを言えなくなってしまいます。なぜなら「ひきこもり」の自分にはそんなことを言える条件を満たしていない、と思う(思わされている)からです。
そういった現状に置かれてしまっていたとしても、もし「ひきこもり」の状態の人の周りに、とりあえず「いまの状態のまま」で話せる相手がいたらどうでしょうか。
理不尽な条件を突き付けられず、安心して関われる人がいたとしたら・・?
または、もし安心して過ごせる時間があったら? そういう時間がいまよりも長くなったら・・?
もし身近に安心して参加できる「機会」があったら・・?
もし身近に安心して通える「場所」があったら・・?
ちょっとした誰かとの関わり・ちょっとした「ほっとした時間」。
それらが積み重ねられることで、いつか「本当は自分だって・・」という気持ちを思い出すことができるかもしれません。または、新しい自分を発見するかもしれません。
わたしたちは、そのように考えて「不登校・ひきこもりのコミュニティ支援」をテーマに活動を続けています。
「ひきこもり」にはいろいろな人が含まれますので、「この方法がよかったよ!」という情報が、残念ながら他の人には役に立たないことがあります。場合によっては逆効果のことさえあります。
その人がほっとできる「時間」は何なのか? 安心して話せる「人」 安心して関われる「つながり」は何なのか・・?
「正答」は誰も知りません。ご本人・ご家族にすらわかりません。
それを見つけていくにはどうしても時間がかかります。また、誰か一人ではなく、複数人で考えていくことが大切です。「もしかしたら、これはどうかな?」と、誰かが誰かとあれこれと思いついたことを伝え合い、アイデアを教え合うプロセスが必要です。
その時間には、「してあげる側/してもらう側」という決まった役割はありません。ときに教えたり支えたり、ときに教えられたり支えられたりしながら、「お互い様」の関係をほどよく続けていくことになります。
そのような「お付き合い」に時間をかけていくことで、「きっとこういうことだったのかもしれない・・」「きっとこういうことなら・・」と「正答」に近いアイデアが生まれていくものだからです。
とはいえ、誰しも個人的な事情を他者に話すのは勇気がいります。相手が専門家であったとしても知らない人ですし、話してみたらどんな感じになるのかイメージしにくいですからね。困っているけれど「まだいいかな・・」という気持ちの人は、実はとても多いのです。
あるいは、残念ながら「以前、そういうところに行ったことがあるけれど、あまりよくなかった・・」という人もいらっしゃるかもしれません。
そのような気持ちがあるにもかかわらず、この文章を読んでくれている方は、とても勇気と行動力のある人だと思います。このようなサイトを見つけてくださったわけですから。
あなたがこのサイトにアクセスして、このページを読んでくれたことで、このサイトはより多くの人に見つけやすくなりました(インターネットはそういうしくみだからです)。
もしあなたが何かしらの行動をしてくれたら、それは誰かのためになります。同じような状態に置かれている人があなたの存在を知って(感じて)、「自分だけじゃなかったのだ」と実感できるからです。ちなみにそうした実感は、専門家が言葉でいくら説明しても与えることはできないものなのです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました! (文責:岩田光宏)
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