研究内容

Overview

ナノバイオテクノロジーを応用した研究と疾患治療

当研究室では、臨床との関連や治療への展開を視野に入れた研究を、ナノバイオテクノロジーを応用した手法を軸にして進めます。ナノ粒子の送達の観点から臨床的に妥当性のある難治疾患の実験系の確立を通じて、治療法開拓に少しでも役立つ研究にしたい、と考えています。基礎的、臨床応用的両方の視点を持ちながら、研究展開を目指しています。


臨床現場で、まだ有効な治療の方法が見つかっていない病気と診断され、徐々に辛い症状がさまざまに出現して亡くなっていかれる方々を、医者とし てほとんど何もしてさしあげられずに見守るしかないのは、つらい体験でした。

しかし考えてみると人間も生き物であり、必ず何かで死ぬ、という運命からは免れないわけです。その際どんな命の終わりへのプロセスが、最も「まし」である か、ということが結局は鍵になるのではないでしょうか。

ここしばらく急激に「健康寿命の延伸」という言葉が使われるようになってきたのは、そうした気持ちが多くの 人に共有されてきたからかと思います。

病気は、もちろん、ならないように予防できるに越したことはありません。幸い、いくつかのがんではその方法がわかってきているものもあります。しかし、発症とさまざまな因子に因果関係がはっきりしない病気は多く、これらでは勢い、診断がついた時点でどういう対処ができるのか、という方 法論の開発は必要になり続けるでしょう。

すると、病気はいったいどのように進展していき、それを我々はどう「制御」できるのか、という考え方になるでしょう。治らないと考えられる病態が発生してしまった場合にも、いったいどう「質の高い時間」をできるだけ多く手に入れることができるか、ということです。

我々は、この課題に、ナノバイオテクノロジーを応用した手法を用いて、取り組んでいます。

腫瘍・がんについて

とりわけ、これまでは「がん」に重点を置いて研究を進めてきましたので、この病気について、もう少し考えてみます。


がんとは、どんな病気か

よく「がんと闘う」という言い方をしますが、もとはといえば、がん細胞は、その人自身の一部を構成していた細胞です。しかし、役割分担をしっかりこなして機能していた「味方の」細胞が、あるとき、何かのきっかけで、その役割分担を放り出し、周囲からは制御不能な増殖を始める方向に変化するところから、病が始まります。

もちろん、おおごとになる前に、免疫系などによって始末されているものもあるかもしれません。健康に見えてもどこかにがん細胞はいるが、免疫系 によってつぶされているうちは顕在化しない、という研究もあります。

ですが、臨床的にもがんの存在が明らかになる頃には、「本人」のシステムでは始末できないくらいに、このような反乱分子による病巣は大きくなっ てしまいます。


がん研究における、臨床医学と基礎科学の役割

このような疾患に対して、私たちは「病理」学的手法も応用してアプローチをしています。

病理学とはなんでしょうか。

まず病理の中で、臨床病理という範囲の仕事を考えてみます。臨床病理の仕事というのは、病院での診断が主な 業務です。手術などで切除されてきた標本を観察し、このような「反乱分子」がいるかもしれない、という疑いがもたれた場所や関連する検体をよく検 索して、本当に「反乱分子」がいるのかどうかを確認する仕事です。

また「反乱分子」の「顔つき」や、その住処=病巣=の構造までを観察し、経験を蓄積することによって、おぼろげながらも分かってきている、さまざまなパターンの「反乱分子への対処法」のうちでどれが最も効果的と考えられるかを、予言しようという仕事もあります。すなわち、病理標本の組織型分類から病名診断を行い、その診断名のもとに最も妥当な治療法を患者さんに提供しようというものです。さらに、がんで亡くなった方の病理解剖が あります。残念ながら「反乱分子」を撃退できず命を落とされた方と、そのご家族に、ご協力をいただいて、「いったいどんな反乱分子がどんな増殖の 仕方をしたから、そこまで至ってしまったのか」を解明して、後世に役立てさせていただきたいという仕事です。

けれども、これらの臨床病理の仕事だけでは、カバーしきれない視点もあります。これら「反乱」の発生過程や、拡大過程、そして対処法に対するメ カニズムを探るという視点です。それを実験病理学が担当します。

「なぜ反乱が発生するのか」「なぜ発生した反乱分子は増えるのか」「どういう方法で、道筋で、反乱分子は各地に飛び火していくのか」「飛び火し た先で反乱分子はどうやって居つくのか」「反乱分子はなぜ警察の目から逃れられるのか」「反乱分子をたたくためのもっと効果的な方法はないのか」 といった疑問に答えようとする、研究的な学問です。すなわち、臨床病理学で観察される病理像が、いかなるメカニズムを通じて形成されたかを探ろうという学問です。

腫瘍のメカニズムを長期的視野で知ろうとする研究的活動と、腫瘍の「目の前にある姿」を詳細に観察しようという臨床的活動とは、したがって、腫瘍に立ち向かうに当たり、表裏をなすべき存在というわけです。

付: 実験病理学の歴史と、臨床への還元

ここで少しわき道にそれて、日本におけるがんの実験病理学の歴史を振り返っておきます。

実は、科学研究では中心と考えられがちな欧米に比しても、日本の研究史は遜色ない歴史を持っています。実際、がん研究の成果発表を主眼とした研 究雑誌のうち、世界で最初に発刊されたのは、東京大学医学部病理学教室の教授をつとめた山極勝三郎(1863~1930)が1907年(明治40年)に創刊した研究誌「癌」であり、この研究誌はいくつかの変遷を経ながら脈々と受け継がれ、 現在は日本癌学会の発行する「Cancer Science」誌に至っています。ともあ れ、この山極の仕事として特筆されるのは、世界で初めて化学物質(コールタール)の反復塗布による発がんを証明したことでした(1915年)。前述の比喩で言い換えれ ば、「環境中に毒物が存在することが反乱発生の引き金になる」ことを証明した、とでもいうことができましょうか。これは「煙突掃除夫に皮膚癌の罹患が多い」という臨床的な 観察に基づいて、3年にわたり行われた実験の結果だったと言われます。当時はまだ癌の発生 原因そのものが確定されていなかったのです。

このような、がんに対する研究は、そして、臨床にもしっかり役立っています。

例えば近年臨床でもよく用いられる「イマチニブ(商品名グリベック)」という薬は、まさに分子メカニズムの研究から生まれてきました。この薬の 実用化には「慢性骨髄性白血病の原因にはBcr-Ablと いう遺伝子変異がある」「Bcr-Ablという遺伝子は、もとは細胞増殖ON/OFFの信号伝達をつかさどる受容体が、常にONになってしまう変異受容体を作り出し、細胞増殖が止まらなくなる」「グリベックは、この変異受 容体とそのほかいくつかの受容体の信号伝達状態をOFFにする薬剤である」という大きな3つの研究成果の融合・出会いが必要でした。そしてこの薬ができた結果、実際に慢性骨髄性白血病 を、なかなか治らない病気から、経口薬の服用でコントロールできてしまう病気へと、劇的に変えてしまったわけです。

すなわち、このように病態の解析研究は、徐々にではありますが、確実に臨床にも役に立っていくのです。