新しい仲間を迎えて, 今年もさまざまなところに行って参ります!!
小松巡検 (5/18)
今回の巡検は小松市内の「尾小屋」と「安宅」で巡検を行いました。
小松市、ひいては石川県の工業を支えたのは鉱業といっても過言ではありません。重機の大手、小松製作所も遊泉寺銅山という鉱山の開発するための掘削機械を生産するところからはじまりました。
尾小屋には尾小屋鉱山の廃坑や尾小屋鉄道の廃線跡などさまざまな遺構が残されています。
安宅は歌舞伎で有名な「勧進帳」の舞台となったところです。
行程:金沢駅から電車で2時間30分. 福井県敦賀市に訪れました.(交通費は往復2500円 金沢↔大聖寺 1000円, 大聖寺↔敦賀 1500円)第三日曜日に訪れたため, 敦賀市立博物館・つるがみなと山車会館に無料で入ることができました.
・気比神宮( "けひ" じんぐう)は北陸道総鎮守とも称され,朝廷から重視されてきた歴史をもつ神社です. 高さ11mを誇る大鳥居は重要文化財に指定されています.
・ソースカツ丼が有名な洋食屋さん, 敦賀ヨーロッパ軒で昼食をとりました. 大きなカツが非常に魅力的で量もありお腹いっぱい大満足. 休日だったこともありお客さんも大変多く,県外ナンバーの車も多く訪れていました.
・敦賀市立博物館は旧大和田銀行本店を博物館として利用した施設です. 立派な洋風建築であり,中には巨大な金庫や大和田銀行初代エレベーター, その他数々の歴史/民俗資料,絵画や俳諧が保存,展示されています.
・みなとつるが山車("やま")会館は気比神宮大例祭とその時に用いる巨大な山車についての展示が行われていました. 第二次世界大戦の戦火を逃れた3基の山車と後に復元された3基の計6基が現在でもつかわれています.山車は5 m~6 mという大きさで,各々の山車は有名な合戦に関する装飾が施されています.
・1905年アメリカの石油会社によってつくられた石油貯蔵用倉庫である赤レンガ倉庫. 中には近代の敦賀の鉄道網を再現したジオラマ館やレストラン館があります.
・ 脱亜国際連絡列車の発着点である旧敦賀港駅舎, いまでは敦賀港やその周辺の鉄道網に関する展示を行う資料館として活用されています.
・ 人道の港 敦賀ムゼウムは, 杉原千畝による命のビザにより敦賀港へと避難してきたユダヤ人難民と敦賀の人々に関する史実を紹介する施設です.日本人だけではなく,ユダヤ人をはじめとした多くの外国人がさまざまな国から来訪していました.
・金ヶ崎城は, 南北朝時代, 新田義貞率いる南朝(建武政権)と斯波高経率いる北朝(室町幕府)が衝突した金ヶ崎の戦いで有名です.
~Keyword~ 「 鉱山開発と石川県 」
引用: 尾小屋鉄道ホームページ http://ogoya.g2.xrea.com/
七尾・能登島巡検 (6/28)
今回の巡検は能登半島の中央部, 富山湾・七尾湾に面した七尾市および能登島の巡検を行いました。
下の地図を見てわかるように、七尾市は能登半島の東側、”内浦”と呼ばれるリアス海岸に面しています。内浦は比較的穏やかな気候であり、七尾市にかつては城が置かれていました。七尾湾は寒流と暖流がぶつかり合う良い漁場でもあるので漁師町としても栄えました。
日本で最大規模の山岳城「七尾城」が築かれていた城山に七つの尾根(松尾、竹尾、梅尾、鶴尾(菊尾)、亀尾、竜尾、虎尾)があったのが「七尾」の名の由来とされています。
行程:金沢市街地から車で1時間30分ほど、まず能登島に訪れました。その後七尾市街地を巡りました。
・能登半島と能登島を結ぶ橋は2つあります。島の南部とを結ぶ「能登島大橋」と島の西岸部とを結ぶ「中能登農道橋(ツインブリッジのと)」です。中能登農道橋は巡検の2週間前の6/16 (月)に復旧したばかりでした。昨年の能登半島地震 (2024) の復旧・復興が進んでいることを実感する機会になりました。
・能登島にはのとじま水族館やガラスの美術館などの有名な観光スポットがいくつかあります。私たちは今回、ガラス美術館を訪れたのですが、残念ながら地震のため休業中でした7月上旬には再開するようです。再開したらまた行ってみたいですね。
・次にのと里山里海ミュージアムに訪れました。能登の里山里海は佐渡の里山とともに日本ではじめて世界農業遺産に指定されました。 能登の里山里海での自然と結びついた農林水産業、祭礼や伝統技術、美しい景観と生物多様性などなどの 自然と共生する人々の暮らしが守り伝えていくべき「地域システム」だと世界的に評価されたことを意味します。この博物館は雄大で豊かな能登半島の自然や文化をわかりやすく紹介しています。カラフルな展示が多く子どもから大人まで楽しめる内容でした。
・ランチは大きく2班に分かれました。「道の駅 能登食祭市場」と七尾市に本社をおくスーパーマーケット「どんたく」の2班です。食祭市場では「洋食屋 遊庵」さんの能登豚のロースカツを食べました。ボリューム満点で最高に美味しかったそうです。 どんたくでは海産物がふんだんに使われたサラダやお弁当を食べました。
~Keyword~ 「 珪藻土の産地 能登半島 」
食祭市場には”日本一の七輪”と書かれた巨大な七輪(高さ1.5 m, 直径1.75 m, 普通の七輪100個分)が置かれていました。そしてこの七輪は珪藻土で作られています。実は能登半島は全国有数の珪藻土の産地なのです。太古、能登半島がまだ海の底にあったとき珪藻と呼ばれる水草が群生していました。能登半島ができると同時に隆起したといいます。珪藻土は高調湿性、消臭効果、耐火性に優れています。輪島塗にも用いられており、珪藻土七輪と呼ばれる伝統工芸品もあります。
・次は花嫁のれん館へ。ここでは石川県や富山県の一部で見られる婚礼時にのれんを使う風習についての展示をしています。のれんはお嫁さんの実家が娘へ贈る嫁入り道具で、婚礼時には仏間に飾られます。用いられるのれんは時代と共に色や柄が変化してきたといいます。明治・大正時代は落ち着いた青や紫で巾数も三巾や四巾でした。昭和から現代にかけては華やかな赤が好まれ巾数も五巾に変化したと言います。
・その後、昭和博物館・おもちゃ館へ 1階はレトロな乗用車や商店街の再現、2階はおもちゃや雑誌の宝庫で懐かしさ満点の展示内容でした。 特に印象に残ったのは、金沢大学生ご用達の北鉄バスのミニカー, Twitter などで話題になった特徴的なカルピスの広告, 当時の週刊誌(田中角栄らの時代の記事)です。
・おやつの時間には 能登ミルク という有名な喫茶店に行きました。会員たちはソフトクリームを堪能しました。
・巡検の締めくくりは和倉温泉へ。和倉」の由来は「(湯が)涌く浦(入り江)」と言われています。その後、涌浦だとややこしいので江戸時代ごろに「和倉」へ改められたんだとか。お湯は塩辛くちょっとピリピリする強塩泉温泉で心身ともにリフレッシュできました!
敦賀巡検 (5/18)
今回の巡検は北陸新幹線の終着点 福井県敦賀市に行ってきました. 敦賀市は古くから天然の港として使われ, 地理的・歴史的に重要な外国との玄関口・交通の要衝としての役目を果たしてきました. 敦賀港周辺施設は,物流を支え,さまざまな国と交流してきた国際都市としての敦賀を紹介しています. また, 気比神宮や敦賀市の祭りなどの文化を紹介する博物館・資料館にも赴きました.
現在では北陸新幹線が開通したことにより比較的アクセスしやすくなりました.
大陸と日本を結んだ重要拠点に皆さんもぜひ訪れてみてください.
行程:金沢駅から電車で2時間30分. 福井県敦賀市に訪れました.(交通費は往復2500円 金沢↔大聖寺 1000円, 大聖寺↔敦賀 1500円)第三日曜日に訪れたため, 敦賀市立博物館・つるがみなと山車会館に無料で入ることができました.
・気比神宮( "けひ" じんぐう)は北陸道総鎮守とも称され,朝廷から重視されてきた歴史をもつ神社です. 高さ11mを誇る大鳥居は重要文化財に指定されています.
・ソースカツ丼が有名な洋食屋さん, 敦賀ヨーロッパ軒で昼食をとりました. 大きなカツが非常に魅力的で量もありお腹いっぱい大満足. 休日だったこともありお客さんも大変多く,県外ナンバーの車も多く訪れていました.
・敦賀市立博物館は旧大和田銀行本店を博物館として利用した施設です. 立派な洋風建築であり,中には巨大な金庫や大和田銀行初代エレベーター, その他数々の歴史/民俗資料,絵画や俳諧が保存,展示されています.
・みなとつるが山車("やま")会館は気比神宮大例祭とその時に用いる巨大な山車についての展示が行われていました. 第二次世界大戦の戦火を逃れた3基の山車と後に復元された3基の計6基が現在でもつかわれています.山車は5 m~6 mという大きさで,各々の山車は有名な合戦に関する装飾が施されています.
・1905年アメリカの石油会社によってつくられた石油貯蔵用倉庫である赤レンガ倉庫. 中には近代の敦賀の鉄道網を再現したジオラマ館やレストラン館があります.
・ 脱亜国際連絡列車の発着点である旧敦賀港駅舎, いまでは敦賀港やその周辺の鉄道網に関する展示を行う資料館として活用されています.
・ 人道の港 敦賀ムゼウムは, 杉原千畝による命のビザにより敦賀港へと避難してきたユダヤ人難民と敦賀の人々に関する史実を紹介する施設です.日本人だけではなく,ユダヤ人をはじめとした多くの外国人がさまざまな国から来訪していました.
・金ヶ崎城は, 南北朝時代, 新田義貞率いる南朝(建武政権)と斯波高経率いる北朝(室町幕府)が衝突した金ヶ崎の戦いで有名です.
~Keyword~ 「 脱亜国際連絡列車 」
『 明治35年にシベリア鉄道が開通し、それに伴い敦賀-ウラジオストクの定期航路が開設されると、敦賀港は日本海側屈指の国際港としての地位を確立していった。そして明治45年には東京の新橋-金ヶ崎(敦賀港)間に、ウラジオストクを経由してヨーロッパまで1枚の切符で渡航できる直通列車「欧亜国際連絡列車」が開業した。 』
この列車は最短で欧州に行けることも相まってさまざまな有名人に使われた. 歌人 与謝野晶子や人類史上初 北極/南極の両極点へ到達した冒険家 ロアール・アムンセン, 金栗四三らオリンピック選手団がストックホルムへ赴く際も用いられたという. 先も述べたように杉原千畝が第二次世界大戦中,発行したビザにより避難してきたユダヤ人はこの航路の終着点 敦賀港に上陸した.近代日本の国際交流において重要な役目を果たしていた脱亜国際連絡列車, それに関する史跡は敦賀の至るところで散見されている.
引用: 日本遺産 ポータルサイト https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story090/
新歓巡検 in 高岡 (4/29)
富山県高岡市は県内2番目の都市です. 加賀前田家第2代当主・ 前田利長が築いた高岡城の城下町として発展しました. 市内には万葉線(路面電車)が走っています. 鋳物の生産で知られ, それに関連した伝統的な建物や文化・祭典.がいまなお保存・継承されています. また, ドラえもんやパーマンなどの作品の作者 藤子・F・不二雄先生のふるさとでもあり, まちなかにはさまざまなキャラクターの銅像がありました.
行程:金沢駅から電車で40分. 富山県高岡市に訪れました.
・土蔵造りの家が立ち並ぶ山町筋 / 千本格子づくりの家と石畳が特徴的な金屋町 は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています.
・鋳物資料館では鋳造の過程や高岡がいかにして鋳物製造が盛んになったのかを詳細に紹介しています.
・地上からの高さ16 m, 1.3トンもの青銅を使って作られた高岡大仏. その大きさは圧倒的. 集合写真をここで撮影しました.
・高岡城跡は国指定史跡に指定されています. 前田利長が隠居城として築城. 小矢部川と庄川に挟まれた台地上に立地しています.
・高岡の歴史や高岡にゆかりのある偉人に関する展示を行っています. 会員は仮装や旧市区町村パズルをして楽しんでいました.
・藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーでは先生の青年期の生き方と彼の作品とのかかわりについての展示がなされています.
新歓説明会 (4月)
今年は会長さんが 「北陸ネプリーグ」というゲームを考えてくれ, 会員さんと新入生でグループ対抗のレクを行いました.
ファイブリーグの6人(答えが6字)バージョンです.
ex) Q. 石川県のほぼ半分を占める、日本海側につき出たこの部分をなんという?
A. のとはんとう (6字)
レクで使われた問題の一部をここに書こうと思います. 皆さんもぜひやってみてください.
クイズの答えは折り畳みを開く( 右の 〉を押す )と出てきます.
Q1. 金沢市の東山にある、江戸時代から保存されている家屋が多数残る重要伝統的建造物群保存地区は?
Q2. 「石川県のソウルフード」とも言われる、「野菜らーめん」などが有名なチェーン店はどこ?
Q3. 地名の由来はここから突き落とされてなく亡くなった僧の名前であるとされる、福井県坂井市にある崖を何という?
Q4. 富山県砺波市には名を冠する公園もある、砺波市の市花、富山県の県花は何でしょう?
Q5. 北陸地方に名を冠した史料館や財を成した商人の旧家が多く残るなど多くの影響を与えた、主として江戸時代から明治時代にかけて、米や昆布などを日本海経由で運搬した廻船のことをなんという?
A1. ひがし茶屋街
A2. 8番らーめん
A3. とうじんぼう
A4. チューリップ
A5. きたまえぶね
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