**** 仰山、先に性空(しょうくう)禅師に参じたことがある。その時のこと、
僧有り、性空に問う、「如何なるか是れ祖師西来意」。
空云く、「人が千尺井中(せんじゃくせいちゅう)に在るとする。
一寸の縄も使わずに此の人を助け出せば、即ち汝に西来意を答えてやろう」。
僧云く、「このごろある和尚に問うと、私の為に東語西話(とうごさいわ、親切に話す)す。
(あなたからは親切な説法はいただけないのでしょうか)」。
空、仰山を呼び、「這(こ)の死屍(しし、死人)を拽(ひ)きずり出せ」。
山(仰山)、後にこの話を耽源(たんげん)に問う、「如何(いかん)が井中の人を出せるでしょう」。
耽源曰く、「咄(とつ、馬鹿めッ)、痴漢(ちかん、愚か者)、誰(たれ)か井中に在るのか」と。
山、契(かな)わず(はっきりしなかった)。
後、潙山に問う。潙山乃ち、「慧寂(えじゃく、仰山の名)」と呼ぶ。
山、応諾す(「ハイッ」)。
潙山云く、「出だし了(お)われり(出ているではないか)」と。
山、此れに因(よ)って大悟す。
云く、「我れ耽源の処に在って体(たい)を得、潙山の処に用(ゆう)を得たり」と。 ****
仰山慧寂は18歳で耽源のもとで出家し、後に潙山霊祐の法嗣となった人です。
六祖慧能-石霜性空
-南陽慧忠-耽源応真
-南嶽懐譲-馬祖道一-百丈懐海-潙山霊祐-仰山慧寂(きょうざんえじゃく、807-883)
千尺は303mですが、当時はきわめて深いという意味で使われていました。千尺井中は、きわめて深い井戸の意味。この則は、いったい何を言いたいのでしょうか。よく考えてください。
【ポイント】
「人が千尺井中に在るが如し」というのが重要です。この言葉は、あり得ない状況を意味しています。
あり得ないにもかかわらず、深い井戸に人がいるかのように考える、すなわち言葉にとらわれることが問題なのです。
祖師西来の意(達磨が中国に来た意味、仏法の大意)は、言葉では説明できないのです。だから、性空禅師はありえない状況でたとえて、「言葉では説明できないのだ」と言いたかったのです。
だから耽源も仰山に対して、「馬鹿ッ、おろか者、千尺の井戸の底に誰が落ちているというのだ(勝手に落ちていると思っているだけではないか)」と言っているのです。
それでも分からなかった仰山は潙山に問うと、潙山は仰山の名前を呼び、現在の自分自身を観よと檄を飛ばしたのです。そこで仰山、ようやく大悟徹底したのです。
仰山は、耽源のところで仏心というものがあるのだと気づき(体を得て)、潙山のところで仏心が自然に返事する(はたらく)力を得ることができたと言っているのです。
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