インド学と仏教学

1. インド学、仏教学とは

 インド学(Indology, Indian Studies)とは、もともとイギリスを中心にして18世紀後半にヨーロッパで興ったインドの文物、文化全般に関するさまざまな学問研究の総称を意味します。その内容は哲学、宗教、言語、文学、美術、歴史、考古学などといった種々の学問分野を含み、インド学という語の地理的範囲としてはインド亜大陸とその周辺までに及んでいます。しかし、時代的には古代インド及び中世が主な範囲でした。これをもう少し具体的にいいますと、サンスクリット語で記されたインドの古典類、バラモン教の聖典ヴェーダや、またジャイナ教文献、パーリ語で記され た仏教文献、さらには詩や物語文学などの種々の文献を研究の対象として、それらが記された言語や思想内容そのものを研究しようとするものです。その際に用いられたのはヨーロッパのギリシャ・ラテンの古典研究、キリスト教の聖典解釈学などの方法で、それらの伝統的手法を利用しつつ、客観性と合理性とを目指した文献学的な実証研究が中心でした。 現在もその基本的性格は残っていますが、コンピュータを用いた新しい方法論が試みられたり、また研究対象の時代的範囲も古代・中世が中心だったのが、第二次大戦後は近現代にも拡がってきています。

 仏教学(Buddhology, Buddhist Studies)とは、文字通り仏教を研究の対象とする学問をいいますが、周知のように仏教はインドで興起しましたから、広義にはインドの哲学宗教の範疇に入り、したがってインド学の内に含まれるということになります。ですからここでいう仏教学とは、広義のインド学の中で扱われる客観的実証研究が中心の近代的仏教学を意味します。この近代的仏教学は、明治になって南条文雄、高楠順次郎などといったヨーロッパに留学して近代的インド学を学んだ人たちによって日本にもたらされました。それでは仏教学はインド仏教のみを研究対象とする学問かといえば、そうではありません。周知のように仏教はインドだけでなく、アジア地域へ広く伝播し、東南アジアやチベット、また中央アジアを経て中国、朝鮮半島、日本などに伝わりましたが、これら仏教が伝播した各地域にはそれぞれに特色ある仏教が発達しました。これらの地域で発達した仏教を研究対象とする時には、すでに地域的な意味ではインド学の枠内からはみ出していることになりますが、方法論的特色としてイン ド学と同じく客観的で実証的な研究方法を採用しているという点で共通しています。以上のことをまとめると、仏教学とはインド仏教から日本仏教までを研究対象領域とし、インド学の方法論を用いた客観的な実証研究を中心とする近代的学問であるといえましょう。

2. インド学と仏教学の具体的な内容

 インド学も仏教学もそれぞれ研究の分野と対象は多岐にわたるのですが、かいつまんで大枠を説明しましょう。

 インド学には上に述べたように哲学、宗教、言語、文学、美術、歴史、考古学などのさまざまな学問のジャンルがあるのですが、本学会でこれまで多く扱われてきた学問分野は、インド哲学という言葉で総称される内容、すなわちインドの哲学、宗教の諸体系と、それに加うるに言語、文学などの分野です。インドは正確な年代を記した歴史書が極めて少ない国ですから正確な時代区分はなかなか困難ですが、古代、中世、近現代という時代ごとに分けますと、古代ではまず『リグ・ヴェーダ』を始めとする『サーマ・ヴェーダ』『ヤジュル・ヴェーダ』『アタルヴァ・ヴェーダ』などのヴェーダに対する研究(ヴェーダ学)が挙げられます。 ヴェーダは、サンヒター、ブラーフマナ、アーラニャカ、ウパニシャッドなどの諸部分から成っていますが、以上のヴェーダ文献に基づいて成立している宗教がバラモン教です。

 これは古代インドの正統宗教ですが、紀元前6世紀ころからヴェーダ聖典の権威に拠らない新しい自由な思想が興ってきます。 唯物論、懐疑論、運命論などさまざまですが、この中に仏教やジャイナ教があります。また、古代インドでは哲学は宗教と不可分の関係にあり、ダルシャナと呼ばれています。 主要な哲学学派に六派哲学と総称されるサーンキヤ、ヨーガ、ニヤーヤ、ヴァイシェーシカ、ミーマーンサー、ヴェーダーンタなどがあって、それらの思想研究も大きなテーマです。またバラモン教の後に発達したヒンドゥー教と総称される宗教にはヴィシュヌ教、シヴァ教などの区別があり、中世以後さらにそれぞれに多くの派が成立し、またタントリズムも興起してきます。これらがすべてインド哲学と総称され、広くインド学とも称されて、研究対象とされています。

 仏教学で扱う内容は、先に述べましたようにインド仏教、チベット仏教、中国仏教、朝鮮仏教、日本仏教と、まず大きく地域によって分けることができます。 その中でインド仏教について見ると、その発展を時系列で言えば、大きく初期仏教、部派仏教、大乗仏教となりますが、それぞれをまた細分化することも可能で、大乗仏教も初期、中期、後期などと分けられます。また時系列でなくその内容による分類では、大きく顕教と密教に分けられますし、同じくインド大乗仏教を例に取れば、中観や唯識などの各派に分かれます。そしてこれらそれぞれがすべて研究の対象となります。

 日本仏教にあっては、朝鮮半島経由で大陸から渡来した古くからの仏教と、主に鎌倉期に興起した祖師仏教とがあり、今日、それぞれ各宗派として現存しています。 そしてそれらの宗派では、近代的な仏教学が日本に紹介される以前に漢訳文献を基盤とした仏教研究があり、それを土台として宗学と呼ばれるそれぞれの宗派としての教学研究がなされ、膨大な蓄積がありました。この蓄積が日本の仏教学の一つの強みとなっているといえましょう。