ご出演者のご紹介です。

舞台芸能師【加藤木 朗】さんです。


昨夜は丁度、加藤木さんの舞台を拝見してきたところです。

見事な扇の舞とキレッキレの狐の舞は胸に迫るものがあり

思わず涙が出ました。


《扇》というものを

単なる小道具ではなく”神の依代”であり

知らないと恥ずかしい作法や持ち方

その意味が沢山あることを知ってから

憧れが芽生えたと同時に

みだりに持つものではないと思ってきました。


先月末、加藤木さんの脚本・演出で

寸劇「とくさ太夫」というお芝居に出演いたしました。

普段演舞は全部自分で振りを付けることが多いのですが

「とくさ〜」では加藤木さんがナント!

扇を持っての舞の振り付けを考案してくださり

しっかりとしたご指導のもと

扇の舞を人形に(私に)やらせてくださいました。


型を叩き込むだけではなく

短い演舞の中でも一つ一つ振りに心を落とし込めることが出来て

さすがに扇の使い方はもたつきながらでしたが、、

「最低これだけは押さえておいてください」というのを守りながら

自由に楽しく演舞させていただきました。


もちろん昨夜の加藤木さん率いる「和力」さんの公演は

全編素晴らしかったですが

ちょっと嗜んだくらいでは到底真似ごとすら及ばない

美しい扇の舞にただただ感嘆したのでした。


心を洗うように涙が出ましたが

それが”美しい”ということだと思います。


そんな加藤木さんの私側からの

超個人的なエピソードがもう一つございます。

加藤木さんの一言が無ければ

今頃私は生涯取り返しのつかない後悔をしていたことでしょう。

というお話を次回させていただきたいと思います。



飯田美千香 拝

2023年 10月7日


続 舞台芸能師【加藤木朗】さん


加藤木さんの一言が無ければ、今頃私は

生涯取り返しのつかない後悔をしていたことでしょう。

というお話。


「舞台を取るか家族を取るか」


2019年の2月中旬「父が危ない」と郷里鹿児島の母から朝電話が入り

公演先の島根から車で帰り着いた朝、寝ようかとして布団に入るや否や飛び起き

最速で鹿児島に帰郷しました。

そのまま家族揃って父の看病の日々が2週間ほど続きました。

そうしているうちに気がかりなことが重くのしかかってきました。

信州の地元のとある地区の敬老会で演舞の仕事が入っていたのです。

父は「今行かないで欲しい」と懇願するのだけど、私はこれまで

演舞の仕事を断った経験がないから「行けない」と返答する回路がない。

そうだ!もしかしてどなたかに代わっていただけないだろうかと

咄嗟に思い浮かんだのは、大先輩の加藤木朗さんでした。

しかし残念ながら加藤木さんは既にご予定があり

代わりに行っていただくことは叶わなかったけれど

返信のメールにこのようにありました。


「病は気からとも申しますので、飯田さんがインフルエンザに罹患して、鹿児島から信州への帰宅が困難になってしまうことも考えられます。その場合でもきっと敬老会は滞りなく開催され“インフルエンザじゃしょーがねーら”ということになると思います。次の敬老会で今回の分をじっくり返すということもありではないでしょうか」と。


最初仰っている意味がよく分からずに何度も読み返しましたが

「あゝそうか」と、ようやく敬老会のご担当の方に電話をすることができました。

「こっちなんかより、そっちの方が大事だら!」と逆に心配してくださり

代わりを務めてくださる方も見つかり、私は鹿児島に留まることが出来ました。


もし敬老会で演舞することにしていたなら

出発したであろう日に父は亡くなりました。


もし加藤木さんの、その私の呪いを解いてくださる一言が無ければ

もしかしたら「すぐ帰ってくるから!」と父の側を離れていたかもしれません。


「舞台をとるか、家族(人の命)を取るか」

有名芸能人でなくても

話題作の舞台出演とか大舞台でなくても

直面したなら白黒つけ難いとても苦しい選択と思います。


どんどろ時代、打ち上げの席でその話題になり

激しい討論になったことがあります(時代でしょうか)。


「舞台一番、家族は二の次」とはやはり言い難い。

それを弱さというなら、加藤木さんは、その弱さを

”かけがいのないもの”とおっしゃっていたのが

とても心に残っています。


飯田美千香 拝


2023年10月8日