熊本と台湾の懸け橋となった人物を紹介いたします。
熊本県益城町出身の志賀哲太郎は、明治法律学校で学ぶも父の死去により帰郷し、新聞記者として活躍しながら政治活動を展開しました。しかし、突如政界を離れて教育界に転身、31歳のとき台湾に渡り大甲(現台中市大甲区)にある台湾人小学校の代用教員になりました。志賀は、26年間代用教員として大甲に住み台湾の人々と対等に接し、貧しい家庭の子には学資や文房具を援助し、病気の子を欠かさず見舞ったと伝えられています。教え子に慕われ尊敬されたことから「大甲の聖人」と呼ばれています。
大正時代に入り台湾の独立運動が激化していく中で、台湾人と親密な関係にある志賀を快く思わなかった校長は、志賀を農園の管理人に異動させ教育の仕事を取り上げました。志賀は、悩み抜いた挙句、入水自決を選びました。
大甲の人々は街を挙げて志賀の死を惜しみ、街外れにある志賀の墓の周囲には「死んだら先生の傍に葬るように」と言い遺した教え子達の墓が点在しています。1966(昭和41)年には、世界中から教え子100余名が参集し生誕100年記念墓前祭が行われ、国民党の戒厳令下で日本人の顕彰など考えられない時代に「志賀先生の碑」が墓石の隣に建立されました。
台中市大甲区では、今でも冊子を作り墓前祭を行い、「大甲の聖人」の遺徳を語り継いでいます。益城町では「志賀哲太郎顕彰会」が活動しています。
湯は日本人の父(坂井徳三:熊本県宇土市に縁り)と台湾人の母との間に生まれ、中央大学法科を卒業後台南市で弁護士として活躍し、次期台南市長と目されていましたが、終戦直後の国民党による「二・二八事件」で市中引き回しの上処刑されました。その際、同志の名を最後まで明かさず、多くの台南の同志の命が救われました。頼清德台南市長(当時/現総統)は、湯を台南の英雄として顕彰し、命日を「正義と勇気の日」と制定しました。湯が亡くなった場所は、現在では「湯徳章紀念公園」となっています。
湯徳章に関しては、「汝、ふたつの故国に殉ずー台湾で英雄となったある日本人の物語ー」(門田隆将 著)が出版されており、台湾では映画「尋找湯徳章」(黄銘正監督)が制作・上映されています。