「平井数馬伝」目次
第1章 支那語通訳官を目指す
第2章 学務部で会話書及び教科書の編纂
第3章 寝食を共に台湾人子弟の教育にあたる
第4章 悪環境の中で質素な生活
第5章 日本人掃討を叫ぶ土匪
第6章 死して余栄あり、実に死に甲斐あり
第7章 困難な捜査と軍事裁判
第8章 芝山厳精神
第9章 亡骸は何処の土となりぬとも
付録(年表、相関図、など)
(224ページ/オールカラー)
日清戦争直後の台湾統治開始にあたり「教育を最優先すべし」として全国から優秀な人材が選抜され、楫取道明、関口長太郎、中島長吉、桂金太郎、、井原順之助、平井数馬の6人の教育者(後に「六氏先生」と呼ばれる)が渡台した。
6人は台湾教育の近代化に心血を注いでいたが、明治29年の元日、匪賊に襲われ全員が非業の死を遂げる。世にいう「芝山巌事件」である。最年少であった平井数馬は、この時弱冠17歳であった。しかし、事件をもって台湾での教育が終息するどころか、多くの教育者が台湾を目指し、六氏先生の志を繋ぎ、台湾教育の近代化が成し遂げられたのである。
本書は、郷土史家の増田隆策氏が、日台の関係機関が保管する膨大な資料を渉猟し実地踏査を経て綿密かつ詳細に調査したもので、各所に資料が添付されている。あとがきに「台湾教化の大望を抱きながら、無念の最期を遂げられました先生の功績を後世の人に伝えるために作成した」とあるが、著者のこの思いが結実している。冒頭の「発刊にあたって」に「平井数馬を含む『六氏先生』に関する『定本』に位置づけられるのではないかと自負している」とあるが、まさに新たな「定本」と言える一冊である。
平井数馬顕彰会が令和7年2月1日に斎行した「平井数馬歿後130年祭」に合わせて刊行され参加者に配布されたものであるが、残部があることから希望者に頒布するものである。
入手をご希望の方は、申込フォームから、必要事項を記載のうえお申込みください。
※1冊2,000円(送料込み)が必要です。
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発刊にあたって
平井数馬顕彰会
会長 白濱 裕
近年、台湾積体電路製造(TSMC)の進出に伴って、県内の自治体と台湾諸都市との友好交流協定の締結が相次ぎ、熊本はまさに「台湾ブーム」の様相を呈しています。しかし、今日の台湾発展の淵源が、台湾領有直後、「教育を最優先すべし」と六人の優秀な志ある人材(「六氏先生」)を台湾に派遣し、台北市北郊の日本語を教授する最初の学校(芝山巌学堂)での教育にあることを知る人は多くありません。
私自身も、初めて「六氏先生」のことを知ったのは、半世紀前の学生時代です。恩師の小田村寅二郎先生(公益社団法人 国民文化研究会初代理事長)が、「六氏先生」のリーダー格だった楫取道明(吉田松陰の甥)の孫に当たる方であり、ことあるごとに芝山巌事件や「六氏先生」についてお聞きしたことがきっかけです。さらに、最年少の平井数馬は、郷土熊本の出身であり、私の母校濟々黌の大先輩であることが分かり益々関心を深めることになりました。
「台湾の松下村塾」を実現すべく、寝食を共にしながら台湾人子弟の教育に当った「六氏先生」は、土匪に襲われ全員非業の死を遂げます。しかし、悲報が内地に伝わるや、その遺志(「芝山巌精神」)を継承すべく陸続として有志の教師たちが渡台し、献身的に教育に従事しました。その結果、昭和19年には台湾人児童の就学率は先進国並みの71.17%に達し、台湾近代教育の基礎が築かれました。
さて、本書の作成に当たって、郷土史家の増田隆策氏には、関連書籍を渉猟しながら国内外のサイトにアクセスし、逐一裏付けを取りながら執筆に当たっていただきました。また、この間二人で数次にわたり訪台し、芝山巌学堂の遺跡や遭難現場の現地踏査を行いました。百数十年の歳月を経て、街並みも変貌していましたが、当時の地図を片手に炎天下ペットボトルを何本も空にして歩きながら、この辺りで平井数馬が落命したのかと感慨に浸ったことを思い出します。
これまで、「六氏先生」の事績や芝山巌事件については『芝山巌誌』や『芝山巌事件の真相』など、当時の関係者の証言等を収めて執筆された書籍はありますが、本書は、日台の関係機関が保管する資料を駆使し、実地踏査を経て作成したという点で、平井数馬を含む「六氏先生」に関する「定本」に位置づけられるのではないかと自負しているところです。
平井数馬については、17歳と若くして散華し、時代を遠く遡ることもあり、書き残したものも少なく史料を基にした研究もこれからです。しかし、その教育に対する純粋な情熱と進取の気性は、教師を目指す人々のみならず、今日ともすれば志を見失いがちな同世代の若者にとって勇気を与え人生の道しるべとなると確信しています。
最後に、末尾に記しましたが、本書の作成に当たってご協力頂きました機関や団体、協力者の皆様に厚く御礼を申し上げ発刊のことばといたします。
あとがき
台湾における近代教育のはじまりは、台北市郊外にあった芝山厳学堂(小学校)と云われています。明治28(1895)年、日清戦争後、日本が領有することとなった台湾に日本から6名の優秀な教師(山口県楫取道明38歳、愛知県関口長太郎37歳、東京府桂金太郎27歳、群馬県中島長吉25歳、山口県井原順之助23歳、熊本県平井数馬17歳)が派遣され、彼らは台湾人子弟と寝食を共にして教育にあたるとともに、国語学校(師範学校)、国語伝習所(小学校)等の設立準備をすすめました。ところが、明治29年元旦、彼らは約100名の匪徒(抗日ゲリラ)に取り囲まれ、全員が惨殺されました。
彼らは「六氏先生」と呼ばれ、「身に寸鉄を帯びていては、教育はできぬ」と身命を賭して教育に従事したことにより、台湾における教育は、その後、劇的な発展を遂げ、今日の台湾を築く基となりました。この中で最も若かったのが松橋町出身の平井数馬先生です。先生は通訳官として渡台し、台湾子弟の教育のほか「日台会話集」の編纂に大きく貢献しました。
「六氏先生」については、芝山厳史等の多くの書物に残されていますが、平井先生に関する記述は少なく、記載があっても裏付けがとれないものばかりでした。今回、芝山厳学堂及び遭難事件に関する台湾総督府の記録が「國史館臺灣文献館」等に保管してあることが分かり、令和元(2019)年より鋭意調査を進めました。
新たな発見として
① 先生の戸籍謄本や履歴書から生年月日、熊本の住居、渡台経路等
② 採用記録から採用月日、俸給、九州学院支那語科卒の文書等
③ 学務部の記録から先生直筆の文書数通、「新日本語言集甲号」の軍隊及警察用単語・話言の部の製作、芝山厳での生活実態等
④ 台北県庁の記録から遭難事件の捜査状況
等が明らかになりました。
また、事件当日の先生らの行動について「芝山厳誌」等の文献、士林國民小學「校史館」の資料をもとに令和5(2023)年5月に芝山厳惠濟宮から剣潭の渡し場までと土匪の襲撃で斃れた場所を実査しました。現在は、基隆河や雙渓河の流れは変わり、平井先生の遺体があったとされる小川は道路になっていましたが、芝山厳から士林街に通じる道路は一部を除いて残っており、特定することができました。
没後130年を経過し、平井先生の功績を知らない人も多くなっています。今般、台湾企業の熊本進出に伴い、台湾ブームが起き、日台交流が盛んになっていますが、その原点となったのが平井先生らです。本書は台湾教化の大望を抱きながら、無念の最期を遂げられました先生の功績を後世の人に伝えるために作成したもので、日台交流発展の一助になれば幸いです。
最後に本編集にあたっては國史館臺灣文献館、士林國民小學をはじめとする関係機関団体並びに多くの方々にご協力をいただいたことに衷心より感謝の意を表したいと思います。
令和7(2025)年2月 増田隆策