ひだまりカフェのレシピ[15]
「センス・オブ・ワンダー」
ひだまりカフェのレシピ[15]
「センス・オブ・ワンダー」
久しぶりのレシピです。梅雨だというのにしとしと雨は稀で、晴れて真夏のように暑いか大雨かという日ばかり。梅雨の風情は日本古来の伝統文化だったはずなのに、ここ2,30年ほどの間に自然が大きく変わってきてしまったことには心が痛みます。福岡伸一さんが書かれた新聞のコラムに、子どもの育ちにとってもっとも大切なのは感じること、レイチェル・カーソンが「センス・オブ・ワンダー」と呼ぶ、自然の精妙さ、繊細さ、美しさに対する感性なのだとありました。福岡さんは、もっとも身近な自然は自分自身の命であり、それはまわりの自然とつながっていて、それを一体として感じる心が大人になってもその人を支えつづけると書かれていました。そうなのでしょうね。地球温暖化を防ぐのに個人の力は微力だけれど、せめて自分の命やそのまわりの自然には敏感でいたいと思います。親が子に伝えられる一番の宝物はそうした大小の自然に対する畏敬なのかもしれないから…。
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ホームに入った少々認知っぽい母を連れ出してこの頃よく近所を散歩します。一人暮らしだった頃の母は鬱気味で不安げ、言うことも悲観的だったり不満そうだったりで、世話に通う私の方も腹を立てて思わず怒鳴り、後から自己嫌悪などということもよくありました。ホームに入って自分の衰えを常時支えてもらえることで安心したのでしょう。幸いなことに母は元のように明るくなりました。
近所の公園やお寺、神社などをゆっくりと二人で歩くと、母は毎回必ず、空が広いわぁとうれしそうに上を仰ぎ、あちこちの花をじっと見つめては綺麗ねと繰り返し、太い木の幹をみて何てすごいのと驚き…、昔からこの辺に住んでたのにちっとも気づかなかったわと嬉しそうに言います。この散歩に私は何だか幸せを感じます。昔は家に百科事典をだ~っと並べておくような似非教育ママだった母が、今は幼女のように無邪気に「センス・オブ・ワンダー」を私に教えてくれているような気がするのです。
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摂食障害が重症化すると、まるで外界に対して扉を閉じるかのようにあらゆることに対して喜びを感じる力がなくなってしまうようです。音やにおいなどある特定の感覚は異常に鋭敏になって却って本人を苦しめるばかり、本人がいるのは喜びの全くない真っ暗な井戸の底なのではと感じさせられることがあります。ひだまりでは、家族、本人を問わず大抵の参加者は、話したり笑ったりするうちにお顔の色がほんのりとピンクに変わって帰られるのだけれど、本人さんの中には時折まるで表情の動かない方がいらっしゃいます。律儀に何度も来てくださるのに、容易には心の身動きがとれないようなご様子を見ると、一体どうしたら深い井戸から這い上がる手懸りが見つかるだろうかとこちらも辛くなってきます。以前参加してくれていたある方の最初の手懸りはラジオ。夜聴くラジオから語り掛けてくる声がある日突然自分に届き、初めて少しだけ嬉しさを感じたとのこと。きっと彼女の心に触れたのはラジオを介したせいで身構えずに聴けた「人の声」という自然。その声を頼りに彼女は少しずつ生きる喜びの幅を広げていかれた、そんな風に記憶しています。
回復するうちに感動も戻ってくるというのが普通の流れかもしれません。元気になり始めたある日突然景色が輝いて見えたという経験をよく聞きます。そうだとすると意識的にまわりの‟感動の素”に気持ちを向けてみるのも回復の助けになるのかもしれません。本人会のある方が毎日「自分ほめ日記」を書いているとおっしゃっていましたが「小さな感動日記」もよいのでは。空の色が綺麗だった、自分の脈がドキドキと打っていた、雨粒が頬に冷たかった…身のまわりの小さな出来事も改めてじっと眺めてみると奇跡に満ちていますよ。
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MK/yy[20170707公開]
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