ひだまりカフェのレシピ[03]
「生きててくれて有難う!」
ひだまりカフェのレシピ[03]
「生きててくれて有難う!」
今回の一言は、あるお母様がため息まじりにおっしゃった「生きててくれて有難う!」。
もう長いこと摂食障害に悩み、命の瀬戸際というようなぎりぎりの体験もし、やっと辛い時期を乗り越えて、苦労しながらも仕事をしているという娘さんに対して抱く思いは、「生きててくれて有難う!」だとそのお母様はおっしゃっていました。
摂食障害真っ最中の本人は、精一杯の爪先立ちで毎日をやっとこさ生きているという状態のようです。だから、周りの家族にできるサポートは、食事や身体や将来の心配よりもまず、今の状態の本人の価値をそのまま認めてあげること。その意味で、「生きててくれて有難う!」という究極の存在肯定のこの言葉は、本人にとって力強い応援コール。「あなたがそこにいてくれることが私の幸せ!」と家族が思ってくれていたら、本人は無用な焦りや自己否定感を持たずに回復に向き合うことができるのではないでしょうか。
でも、毎日の生活の中でこんな風に思い続けることは、とても難しい。家族は、本人の状態が気になって眠れなくなったりする。本人の不調のためにいろいろ出来ていないことにやきもきもする。本人の気分の変調のとばっちりが家族に及ぶことが続いてイライラすることもある。家族も生身の人間ですから、もうこんな生活はたくさんと思うことだってあるでしょう。“あなたはあなたのままでいい”という姿勢を続けていたら、私はちっとも私のままじゃないわという笑い話のようなことだって結構あると思います。そこが、長期にわたる日常での、家族と本人とのかかわりの難しさなのだろうと思います。
また、危機を乗り越えた直後には、「生きててくれるだけで!」と子どもに対してうんと要求のハードルを下げて謙虚な感謝の気持ちだったのに、元気になるにつれ、出来ることが増えるにつれ、「もうちょっと出来るんじゃないの」とハードルはするすると上昇。気づいてみると、せめて世間並みに、あるいはそれ以上にと親の欲は無限!(それに対応して本人も、もう少し病気でいた方が楽だなあと無意識に思うかも知れないのにね。)あぁあ、ちっとも悟ってないなと私はいつも苦笑い。親業って本当に難しいと思います。
出来ることなら、わが子を初めて腕に抱いたときの感激そのままに、「生きててくれてありがとう」という気持ちを持ち続けたい。でも、親の欲目や子どもへのコントロールの快感やそんなものをひっくるめて、初めて子育てという大変な事業を無償で毎日毎日続けることが出来るのも確か。さて、どうしたらよいのかな。
私が経験から学んだのは、必要な距離をとること。家の中で空間的な距離をとるのは難しいかもしれないけれど、せめて心の距離をとること。冷たくする、無視するなどというのではなく、摂食障害を本人の問題として本人に返すこと(“治す”、“治る”の主人公は本人!親が私が治さなきゃと力むのは逆効果!)。いろいろ起こってくる問題に巻き込まれないこと。自分は自分の生活を楽しむ余裕を持つこと。そうやって取り戻した心の余裕で、本人の価値を認めてあげようと努力すること。本当のことをいうと、これは理想、“絵”に描いたもち。でも心のどこかに飾っておいてよい“絵”だと私は思うのです。
昨年の大地震で、日本全体が毎日の生活の足元の不安を実感させられました。今もそれは続いています。でも、だからこそ、今生きてここにあることの有り難さをしみじみと感じます。まず、手元にある状態への感謝から一日を始めてみようと思っている私です。最後に皆様にも「生きててくれて、ご縁があって本当に有難う!」
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MK/yy[201204ひだまりカフェbooklet No.6掲載]
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