それぞれのエッセー[09]
2020への楽観
それぞれのエッセー[09]
2020への楽観
2020年という近未来を、想像してみましたか?
その頃自分は?とか、この子も○歳かぁとか、スマホってどんなに進化してるんだろ?とか、地球環境は?とか、色々な事を何となく想像した方も多いのではないでしょうか?今から7年後、漠然とした近未来が、急にリアルに感じられます。
私自身はといえば、さすがにもう過食嘔吐は卒業してるかな?と先ずは思ったりしました。(→続いてたらそれはそれですごい!笑) 症状に浸かり、つかず離れず手放さず、数十年。よく生きのびたものだと、ふと思います。そして、今まで生きていて本当に良かった、と思います。
2013年春、この日のために今日までの人生があったのだ!と思える出来事がありました。
「全ては今日へ繋がっていたのだ」と。
大げさですが、きっと自分は、自分なりに一生懸命生きてきたのだな、と初めて心の底から自分を褒めたくなりました。これまでの“往き方”を静かに肯定できました。
物心ついた頃からずっとずっと、迷い落ち込み自己嫌悪の固まりでいやらしいほど謙遜して、そのくせ他人や運命のせいにして嫉妬してイライラして、そして、食べては吐いて。症状を消せない限り何をやっても自分はダメ。そのくせ消えない症状のせいにして、仕事も家事も育児も、生き様は全て中途半端。
ところが私はその日、独り京都七条通の喫茶店で休みつつ、ふと、「あぁ、これで良かったのだ。」という気持ちにストンと思い至りました。症状も含めムダなことなど何一つなかった。誰にもまねできない、自分だけの“往き方”をしてきたのだ。症状を抱えたままの自分でも、胸をはって「これが私なのだ」と。
改めて書いてみると、ナンだか意味深長に独りで悦に入ってる風ですが、それもこれも含め、「なんか、私、イイかも。」って思います。症状はさておき。症状のことはもういいんです。ともあれ、食べる事に不自由さ(こだわり)や恐怖を抱えていてもそれはそれで、良いのです。
そして2020年東京五輪開催の頃、私はより一層お気楽に愉快に生きてる気がします。世の中の流れにぷかぷか乗って。でもちょっぴりマジメに深刻じゃなく誠実に。同時に生きている人たちと一緒に生きてることを嬉しく感じて暮らしてる。
そんな自分の未来をふわっと予感しています。
●profil●201310
ついつい見たりするもの⇒歩道橋からの富士山、古美術の展覧会、映画のネタばれサイト、子ども服のバーゲンセール、ふなっしーの動画、新幹線が走る姿、夕方の空
聴いてて好きなもの⇒Pet Shop Boysのアルバム、電車の通る音、幼なじみのマリンバ演奏(ロンドンデリーの歌泣ける)、関西弁、同僚のロックミュージック