貝形虫類について

貝形虫類は,二枚貝のような左右2枚の殻(背甲)に付属肢など軟体部が包まれた体制をもつ甲殻類である。体(殻)長の範囲は0.1~30 mmと幅広いが,多くのものが1 mm以下と非常に小さい。比較的知名度のあるものとしては,発光生物のウミホタル,水田などに生息するカイミジンコ類,深海生物のギガントキプリスなどがいる。

貝形虫類の種多様性は極めて高く,既知種として現在生きている現生種は約8,000種,化石種を含めると約33,000種が認められるとされている(Horne 2002)。

その生息環境はとても広く,潮上帯から深海に至る海水域,河口干潟などの汽水域,湖沼や湧水,水田などの淡水域のほか,滝しぶきによって湿ったコケ・土壌などの半陸環境にも生息している。さらに,一部のグループではウニ,ヒトデ,ザリガニといった他の動物に片利共生するものも知られている。これらのなかで,海浜や河川の間隙環境に生息するものを間隙性貝形虫類とよんでいる。

多くの海生貝形虫類の背甲は,軟体動物の貝類と同じように,主に炭酸カルシウムから構成される硬組織である。そのため,貝形虫類は化石として保存されやすく,遅くとも古生代オルドビス紀から連綿と続く化石記録を有している。また,ごく稀であるが軟体部を残した化石が発見されることもあり,それらの中には動物界最古級のオスの証拠となっているものもある。さらに,体長の数倍にもなる長さの巨大精子が約1億年前から存在していたことや,外部寄生の最古の記録を残すなど,貝形虫類を対象とした研究は生物進化史の解明に大きく寄与している。

研究対象としての貝形虫類

1)節足動物かつメイオベントス(微小底生生物)の中で例外的に豊富な化石記録を持つ.

貝形虫類は,二枚貝様の背甲に軟体部が包まれた体制をとる微小甲殻類で,結晶質の炭酸カルシウムからなる背甲が化石として良く保存される.生物が化石として大量に保存されるには,貝類・サンゴ類・腕足動物などのように結晶質の炭酸カルシウムやリン酸カルシウムなどで構成される硬組織を持っていることが必須条件である.このような特徴を持っているメイオベントスは貝形虫のほかには有孔虫などがいる.

現生の節足動物門は,既知種だけで約110万種 (Brusca and Brusca, 2003) が知られる種多様性の非常に高い分類群であり,現生の全動物の約85%を占めるとされている(宮崎,2008).その多様な形態,生態,生理,発生,生活史などの特徴から,生物学のあらゆる分野で研究材料として幅広く扱われ,研究者に注目され続けてきた.節足動物において,硬組織から成る強固な外骨格をもち,多数の化石記録を有する分類群は,三葉虫類,蔓脚類(主にフジツボ類),そして貝形虫類だけである.三葉虫類は形態的にも生態的にも大繁栄した海生節足動物であるが,古生代末のペルム紀に絶滅しており現生種は存在しない.蔓脚類は,一部の汽水生種を除きすべて海生種であるため,淡水環境における進化の歴史は推測することができない.また,最古の化石とされるものはカンブリア紀中期から報告されている (Collins and Rudkin, 1981) が,多くの化石情報が記録され始めるのはシルル紀以降である.その一方で,貝形虫類は海水・汽水・淡水環境に生息場を持ち,オルドビス紀から現世に至るまでの膨大な化石記録を有する.

すなわち,節足動物かつメイオベントスの中で貝形虫類だけが,その出現から現在に至るまでの約5億年にわたる綿密な地史的情報を有するのである.この化石情報を,現在の地理的分布や分子系統関係に加味することで,メイオベントスの時空間的な分散・移入過程を他の動物よりも高い精度で明らかにできる.

2)雌雄異体のグループにおいて大きな雄の交尾器を持つ.

貝形虫類は,二枚貝様の背甲に軟体部が包まれた体制をとるという特徴を持つため,歩行や遊泳を行う際には,付属肢を背甲の外へ出す必要がある.交尾を行う際も同様であるため,有性生殖を行う貝形虫類の多くの分類群では,背甲から外部へ出すことのできる大きな雄交尾器を備える.ときに雄の交尾器は体全体に対して1/3ほどの大きさに達し,その形態が複雑で多様かつ種ごとに特徴的であることから,種分類の際に最も重要な形質の一つとされている。動物の雄の交尾器には,精子の運搬という主要機能のほかに,体内求愛装置として雌に物理的刺激を与えるという機能があることが知られている.貝形虫類においても,雄の交尾器の多様な形態は,雌に対する種特異的な接触刺激を生み出すことに関連していると考えられている( ).生物学的種概念に基づけば,生殖隔離の有無は種を判別する基準となることから,多くの場合貝形虫類では大きな雄交尾器の形態を比較するだけで,比較的容易に種レベルでの分類を行うことができるのである.分類形質に乏しい他のメイオファウナでは種レベルまで詳細に分析することは非常に難しく,これは貝形虫類を研究対象とするメリットの一つである.

ミオドコーパ亜綱貝形虫の解剖図(左殻除去).Sars, 1928加筆.