春近神社には八柱の神さまがお祀りされています。一度に八柱が祀られたものではなく、時代が下るとともにご祭神が加えられてきました。創立年代は明らかではありませんが、かつて御射山の神事が行われたこと、「御射山明神」または「諏訪社」と称された時代があったことから、草創の頃には建御名方命(たてみなかたのみこと)(諏訪)を祀ったものと思われます。史料からは元禄3年(1690)以前に、諏訪、八幡、筒持、天神が祀られていたこと、その後、宝暦10年(1760)までの間に神明宮が加祀され、「五社宮」「五社大明神」などと称されていたことが分かります。さらに明治43年(1910)、上殿島、中殿島、下殿島の各集落内の神社を合祀したことで、ご祭神は八柱となり、「春近神社」と改めました 。
神像画(天保14年 春近神社所蔵)。
五社宮と称された当時のご祭神が描かれている。
「五社宮」当時の神号額
(春近神社所蔵)
明治43年4月24日 合祀の棟礼
平成22年4月 「合祀百周年」を迎えた
■本殿~伊那市有形文化財~
現在の本殿の特徴は、間口柱間5.2mという大きな規模の五間社であることです。大きな規模の五間社は、長野県内では希少なものです。当時は五社の神々を祀っていたことから、五つの御扉を備えた本殿が建立されました。平成期に実施された吉澤正己氏(工学博士)らの調査により、縁板の裏側に「宝暦拾年 信濃国伊那 月日」の墨書が発見されましたが、これは棟札の下書きと思われます。また、建築様式からもこの宝暦10年(1760)が、現在の本殿の造営年代と考えられます。県内に現存する入母屋造の本殿としては、最も古いものの一つとされています。
五間社の大きな本殿。県内に現存する入母屋造の本殿としては最も古い
■欅(けやき)の巨樹
天文年間(1535~1555)、武田信玄が伊那に侵攻するまで当地を領した殿島城の殿島大和守重国は、春近神社を厚く崇拝し、社殿を建立し境内に欅(けやき)、榊(さかき)を植樹したと口碑に伝わります。榊は土地に適さず枯れたが、欅は育ち大樹となったと。今日、境内には6本の欅の巨樹が存しています。風雪に耐えいくつものコブを抱えた貫禄のある欅は、この時、植樹されたものとされています。
境内の大ケヤキ