萩キリシタン殉教者記念公園は、信教の自由が認められた1891年(明治22年)パリ外国宣教会のビリオン神父が長州出身の伊藤博文や時の外務大臣・井上馨を通じ、浦上信徒の牢屋だった旧岩国藩屋敷跡をキリシタン墓地として受けたもので、1605年に殉教した「福者」熊谷元直、娘婿の天野元信ら徳川時代の殉教者の顕彰碑と、明治初年に、長崎浦上四番崩れによって萩へ長州毛利藩に流配され、棄教を迫られ殉教した浦上キリシタン信徒の墓石や福栄村に潜伏していたキリシタンの墓石が並べられています。
中央に「奉敬致死之信士於天主之尊前」と大書した石碑がある。これは萩教会初代ビリオン神父が津和野の信者に頼み刻まれたものである。「信仰のために亡くなった信者は神の前に貴い」。という意味である。
そして「殉教者を歴史のなかに埋もれさせたくない、信仰の自由という喜びは殉教者のお陰である」。とビリオン神父は萩にはじめて教会を建てられた。
その後、萩キリシタン殉教者記念公園は2回にわたり修復、整備をした。その際、殉教碑の下から約2メートルほどの丸い大きな石が6つでてきた、これを十字に並べ組み直し記念碑の下に安置している。
キリシタン殉教者と記念碑
明治元年(一八六八)に続いて明治三年、政府はキリスト教弾圧政策をとり、長崎の浦上村全信徒三千八百人を全国各地に流刑した。これがいわゆる「浦上崩れ」である。
このうち約三百人が萩の地に流された。
信仰篤い彼らを改宗させるために三年間続けられた苛酷な拷問と飢えのため、四十余名が英雄的な殉教を遂げた。
そのうち二十名がここに埋葬されていた。
在りし日の迫害、忍苦の跡を偲んで萩カトリック教会初代司祭ビリヨン神父は、明治二十四年(一八九一)に、信徒が幽閉されていたこの岩国屋敷跡に、寒天に裸体にされて責められたという庭石を集め、それを基礎として記念碑を造り、「奉教致死之信士於天主之尊前」の碑文を刻んだ。またここには、慶長十年(一六〇五)に棄教を拒んで殉教した毛利藩重臣熊谷豊前守元直の碑等がある。
萩カトリック教会
The Hagi Martyrs and their Monuments
Shortly before the Meiji Restorationmore than 3000 hidden
Christians were discovered in the Nagasaki village of Urakami.
The proscription against Christianity was still in force at thetime of theRestoration. So. following what is called "the Urak- ami Kuzure." the government decided to exile them throughtout the country to force them to give up their faith. Accordingly.
about 300 were exiled to Hagi. where about 40 of them died as martyrs from hunger and merciless treatment rather than give up their Christian faith.
Father Villion. the first French missionary in Hagi. set up a monument in memory of their loyalty and strong faith. The base of the monument was constructed with the stones of their prison.
Another monument commemorates Kumagai Motonao. a top- ranking minister of the Mori feudal clan who was martyred in
the Edo period. 1605.
日本殉教者列福記念
メルキオル熊谷豊守元直(一五五五~一六〇五)
毛利輝元の重臣。一五八七年黒田孝高の影響を受けてキリシタンとなり、メルキオルという洗礼名を名乗った。山口から全ての宣教師が追放された後、知行地に教会を建て、不安におののく信徒たちの保護者となった。
教会の崩壊を望んでいた輝元は、指月城築城の際の紛争「五郎太石事件」を口実に、元直とその一族の処刑を決め、一六〇五年八月十六日未明、萩の屋敷を包囲した。元直は自死を禁じるキリスト教の教えに従って、追手に討たれるべく、片手にロザリオ、片手に荒縄を持って死に向かったと言われる。
元直の殉教の様子は長らく毛利によって伏せられていたが、当時の日本司教セルケイラによってローマ教皇クレメンス八世に送られた殉教報告書で明らかになった。そのため元直の殉教は日本よりもヨーロッパでよく知られていた。
二〇〇七年教皇ベネディクト十六世により、一八八人日本殉教者の一人として福者の称号を与えられた。
二〇〇七年十一月十一日
萩カトリック教会