深田阿蘇神社
(ふかだあそじんじゃ)
(別名)深田大王神社 (法人登記名)阿蘇神社
熊本県球磨郡あさぎり町深田東
(ふかだあそじんじゃ)
(別名)深田大王神社 (法人登記名)阿蘇神社
熊本県球磨郡あさぎり町深田東
◆武磐龍命(タケイワタツノミコト)
降雨止雨を司り、稲作をはじめとする農業神。地区内の厄災を除きお守りされています。
◆大王太郎盛高公(平河盛高 : ヒラカワ モリタカ) 平安時代末期のご領主
氏子が鎮魂している神様で、災いを転じて福となす神様。
◆高田某夫婦(戦前までの相殿神で、鎌倉から室町時代の元ご領主)
氏子が鎮魂している神様で、災いを転じて福となす神様。
特に八災難(王難(支配者)、人難、非人難(人以外)、賊難(どろぼう)、病難、火難、水難、毒蟲難(まむし、むかで、毒虫類))を除くとされる石塔が境内の南西にある。
熊本県球磨郡あさぎり町深田東字下里七九一番地
例大祭 毎年の11月2日(前日、御夜祭あり)
恒例祭
新嘗祭 11月23日
歳旦祭 1月1日(前日、御夜祭あり)
祈年祭 旧暦の2月4日
紀元祭 2月11日 建国記念の日
大祓い 旧暦6月30日、旧暦12月30日
宮司単独でのお祭り(令和3年から実施)
東大王、池王祭 旧暦11月中午日
西大王祭 旧暦11月19日
八災難防除の石幢さん祭 春彼岸の中日
創立年月日は不詳。 旧社格は「村社」で、明治五年八月十五日に列格した。戦後、社格制廃止。
江戸時代まで公称は、「若宮大明神」と称していたが、明治元年に神祇省の御達にともない「深田村阿蘇神社」と改称した。昭和二十八年に宗教法人法により「阿蘇神社」と改称し設立登記した。
ご祭神は、阿蘇神社本社(熊本県阿蘇市)と同體で、「武磐龍命(タケイワタツノミコト)を主神としている。かつては、阿蘇十二神をお祭りしていたらしい。主神の「武」の字は「健」の当て字で、阿蘇神社本社は健磐龍命と記載するが、当社は、猛々しい「武」の字を使用している。
かつて境内には、本殿を挟んで、東脇に「東大王社」、西脇に「西大王社」の小社があり、また南部の球磨川沿いに「池王社」が摂社として存在したが、大正時代に整理されて当社本殿に合祀された。現在それらの小社は現存しない。
ちなみに東大王社(現存せず)のご祭神は、大王太郎盛高である。伝記によれば、平河盛高は平安時代末期の豪族平河右衛門三郎義高の嫡男で岩城(現:錦町木上)に住んでいた。だが当地は、義高の三男師高が深田の領主と記録もあるため、なぜ当社は盛高を祀るのか謎であった。『求麻外史』では、太郎盛高は深田の地頭、三郎師高は盛高のあと深田の地頭とあるので深田との関わりもうなづける。なお、ある平河家の系図は、義高-依高-盛高(岩城)、藤高(山田)、師高(深田)、高實(横瀬)の兄弟4人と記録している。また、深田高山城は、盛高が文治5年(1189)に構築したとも伝えている。
鎌倉時代初頭、平河氏は相良氏と戦い敗戦し没落したという。その後当地の地頭職は高田氏に代わり、その高田氏が盛高の鎮魂の目的で東大王社は創建したと伝え、盛高夫婦と子の三所の霊社であった。ちなみに師高の鎮魂社は、平川大王社(錦町木上、平川公民館内)で、当初は深田の高の原に社はあったという。
昭和二十八年四月の宗教法人法による登記の際、平河盛高の妻と子の2柱は祭神登録されず、阿蘇神の武磐龍命と平河盛高が当社のご祭神になっている。
西大王社(現存せず)のご祭神は、平河氏に代わった地頭高田氏夫婦の鎮魂の霊社であった。室町時代の頃だろうか、高田氏に嫁いだ隣村の須恵地頭の娘が離縁により自死し、そして怨魂となって夫の高田氏を呪い殺し、その家族までも祟った事件があったという。残された家族は、高田氏夫婦の霊を祀って怨霊と化した魂を鎮めたという。これも昭和二十八年四月の宗教法人法による登記の際、西大王社のご祭神は登録されなかった。その理由も不明である。ちなみに、神社社務所の南西側に石幢があるが、鎮魂した聖霊を災難除けの神に転化して祀られている。その石幢の刻銘の一節には「八災難を除き無量の楽を得る」と刻む。八災難とは、王難、賊難、人難、非人難、火難、水難、病難、毒蟲難で、例えば「王」は支配者、「賊」は盗賊、「人」は人間関係、「非人」は人間以外の動植物、「火」は火事、「水」は水害、「病」は病気、「毒蟲」はマムシ、ムカデなどの八災難をいうのであろう。災難防除のありがたい石造物である。
池王社(現存せず)のご祭神は、南北朝時代の永和年間(1375~1379)の頃、流鏑馬(やぶさめ)神事の事故で亡くなった若殿様の霊を祀ったと記録にある。地頭の若殿様が馬に乗り弓を引いて的に当てる流鏑馬神事をおこなったところ、なんと馬は球磨川の崖で止まることなく川の淵に転落したという。その事故で、若殿の亡き骸は見つからず、そこで霊を祀って神としたといい、今、防災サイレン設備の有る岩山に宝篋印塔の石塔があるが、その射児の墓という。また、神社社務所の南西側にある(六地蔵)石幢の地中には、事故死した馬が葬られているといい、馬の墓といわれている。
2017年日本遺産追加認定 「深田大王神社」
(相良700年が生んだ保守と進取の文化~日本でもっとも豊かな隠れ里 人吉球磨~)
深田阿蘇神社の伝説(ストーリー)
◆相良氏入国以前の豪族平河氏 (大王として鎮魂されている)
◆伝説、流鏑馬の若殿 ~悲運の若殿のはなし~
◆伝説、須恵地頭の娘 ~怨霊となり祟る娘が、鎮魂のあと八災難を防ぐ聖霊に~
町指定有形文化財 深田阿蘇神社本殿 一棟
未指定文化財等
◆猿田彦大神石塔二基
◆若殿の墓宝篋印塔
◆八災難防除の石幢さん →資料参照のこと
◆深田村の戦没者を偲ぶ忠霊塔
◆明治天皇御製和歌碑
◆御正体(本地垂迹遺物 青銅製)
◆棟札(江戸時代)
列伝
◆昭和三十二年神社改築のはなし
神社の樹木
◆クスノキ、桜、ケヤキ、杉、ヒノキ、椿、イチョウ、榊、ツツジ、サザンカ、カエデ、南天、イヌツゲ
神社の草花
◆菜の花、カタバミ草、ホトケノザ、ゴゴョウ、つゆ草、クローバー、たんぽぽ
珍しい動物
◆シロマダラ蛇(令和3年目撃)
◆ハンミョウ(きれいな甲虫)
景観
◆日本三代急流の球磨川が東から西へ美しい景観で見渡せる
◆冬季に渡り鳥の水鳥が球磨川で越冬する
◆トビが空中を舞うのは壮観
◆市房山、白髪岳が雄大に見渡せる
神社名 深田阿蘇神社
所在地 熊本県球磨郡あさぎり町深田東字下里791番地 〒868-0442
宮 司 北川賢次郎
(携帯)090-7156-0992
※お急ぎの方は、携帯電話にご連絡ください。
E-mail : k.kitagawa1147@gmail.com
※当ホームページの管理者
https://sites.google.com/view/fukadaaso-shrine
深田阿蘇神社までのアクセス、駐車場、トイレ
◆人吉ICから車で30分
◆人吉球磨スマートICから車で25分
◆深田校区公民館駐車場から徒歩3分 280m
◆境内の駐車スペースはあるが、進入路がとくに狭い。普通車以下。神社の北西側が進入口。上里公民館と善正寺の間の道路を通行のこと。
◆水洗トイレは、男女兼用の1人用。社務所西側にある。
◆冬期は、水道管破裂防止のため、止水しているので注意。
24時間、参拝は自由。 通常、閉まっていることが多いので、御用がある方は、宮司に電話連絡をお願いします。 ←お問合せ先