2023/03/11
一昨年、無事にコンクール新人部門(下級プロ試験的なやつ)に合格したと喜んでいる暇もなく来年は優秀部門(中級試験)がやってきますワァオ!!
ということで本日も観光業にあるまじき土曜休みをどうにかもぎ取り、朝から道場のトイレにハ○ターをぶちまけてピッカピカにし、ガキどもが食い散らかしたせんべいのカスが散乱する床を元気よく掃きまくっておりました。ところがっどこい、私が掃除を終えて着物に着替えても、一緒に稽古のお約束をしていたお姉さんが来ない。お姉さんは芸歴三年弱で今年の夏に下級試験の予定。が、いっこうに来ない。なんでやなんで私ひとりが掃除全部やってんねん今年コンクール受けるのあなたやn……おっとお姉さんが来たようだ……と思えば、開口一番、
「コンクール稽古も、舞踊も、やめます」
なんでやああああああああああああああ!!どうした!!先週コンクールに必要な着物やら小道具やらウン万円分お買い物しとったやんあんた!なんでや!!
先生をまじえて20分ほどお話をしたお姉さんはちょっと泣きながら帰っていき、先生はそれから2時間ほど「どうしてこうなった…」と頭を抱え悲しみをこぼし続けた。お昼をすぎ空腹と足のしびれの限界を迎えた私は嘆く先生を労るためス○ローにお連れし(めっちゃ空いてた)、ショックで寿司の味がもうわからんと言いつつ私の二倍ほどの皿を平らげた先生をスーパーまで送り届けた午後三時、ようやく帰途についた……って稽古してないじゃねぇか今日!!
せめてそういう話をするときは前日に連絡してくれ。稽古は出なくていいから、私の稽古終わったタイミングで道場来て話をはじめてくれ。
だって、稽古始める前に「やめます」って話されて、「じゃ、あれはやめるいうから、それはさておきアンタの稽古はじめようか」なんてそんな気分なれないでしょうがあああ!!私稽古のために今日の休み取ったのになんも稽古できなかったじゃないか。諸事情があるにせよ時間泥棒である。そこは解せぬ。お伺いは大事。
それはさておき、お姉さんが舞踊をやめるに至ったのは、新年度に向けての仕事の人事が厳しくなったのと生活苦で精神がキャパオーバーしてしまったことが原因のよう。
正社員でもクソみたいな手取りしかもらえないこの島は会計年度や契約だとおちんぎんはすずめの涙で財布は戸締りである。昔から物価は高いし(輸送費)アパート一人暮らしはきりつめなきゃなりたたぬ。貧乏だが親の土地・親の家で子ども部屋ギャルをしている私はマジで恵まれてるほう。そしてお姉さんはあまりメンタルが強いほうではなかった。
私も今よりド貧乏だった高校~大学時代はほぼほぼ舞踊をしていなくて家庭はまあまあ崩壊していたので、家計傾いてるときマジでメンタルやられるし、そんとき舞踊はやめようと決めていたのでお姉さんの気持ちは本当にわかりすぎて辛い。が、いっぽうでメンタルお化けが勢揃いしたこの道場に身を置いて早五年、クソブラック企業にムチ打たれること三年、レアメタルのような心臓と脳筋を手に入れてしまい、「泣くくらいなら私はやめないけどな…」と一瞬でも思った私はすっかりこの界隈に毒されていることをあらためて自覚させられてこれはまた悲しくなった。芸の道は人の心を食う。
巷では「伝統芸能を守ろう!」「もっと興味をもって」「実演家を育てよう」などとやたら宣うが、わが県の貧困率は内閣府によると29.9%、全国平均の二倍以上とグーグル先生がさっき教えてくれた。舞踊(立ち方)・三線・笛・箏・胡弓・太鼓……どれも極めれば極めるほど金はかかるが、そのなかでも舞踊はいっとう初期投資と諸経費が半端ない。演目に合わせた衣装に小道具、購入じゃなくても当然レンタル料が発生するし、道場の設備費・茶菓子代、コンクール稽古時の先生の食事の用意や当日のお手伝いさんたちへの駐車場代から昼食代、謝礼金……挙げればきりがなく、だいたい個人事業主であるお師匠さんが確定申告に弱いので経費が計上できずそのしわ寄せが門下生にいくのだ。生きていくだけで精一杯の県民がどうして伝統芸能だなんだといってられると?うちの道場に通っているちびっこたちは総じて実家が太いお嬢ばっか。当然だ。
そもそも、古典芸能の基礎になった古の御冠船芸能は士(士族・国家公務員)やその子弟の業務で外交上の国家プロジェクトだった。我々百姓には縁遠い大変高尚な宮廷芸能である。王国瓦解後は職にあぶれた士族が食っていくために大衆芸能化していったが、芸能で食っていけないのが現代なのだ。つらたん。
私の場合、一度やめようとした時期をやり過ごして以来はやめられねぇなと思っているので(先生には「アンタも信用できんよもう!」と言われたが)、月謝をツケにしてもあと払いで衣装借りまくってでも続けるような気がする。なぜ自分がここまで舞踊が好きなのかマジでわからん。けど舞踊やめよう思ってた時期が人生の暗黒期だったことは間違いない。舞踊がないと死ぬわけではないが舞踊をしていない私は死んでいるのかもしれない(支離滅裂)。
話を戻すが、お姉さんがやめるのはとても悲しい。
家計もメンタルも、みんなそれぞれキャパが違うのだ。
もちろんメンタルがオリハルコンになっても財布が重たくなるわけではないが、人の心が滅されてしまった私は気の持ちようでどうにかなったのではないかなどとふと思ってしまい、ますます失ったはずの心が痛い。それはまぼろし。
そして夕方、久しぶりに歩いて買い物に行った帰り、傘を持ってなかったかさは雨に降られる。
みんなこの島が悪いんや…
なんというサタデー。
おわり。
2021/11/16
たしか6月くらいにお稽古の愚痴をしたためて以来の日記かと思いますが、無事コンクールは合格しましたやったね我輩。
あれから中学生とはそこそこ上手くやっています。だってアタチ大人だもん。
それはさておき、コンクールが終わったら次なる試練は何かというと、それは仕事ゥ。
まあ、仕事はずっと試練だけど。
山のなかで働いているのでたまに自分でも忘れかけますが、我輩のお仕事ゥは営業である。
営業なのにアッポーな会社の体制のせいで残業代はつかないし平日に休みを取らされるので(取引先は大抵土日休みなのに)、休日の朝はメールとセールス〇ォースのチェックからはじまり、♡お出かけ♡のときは仕事用のモバイルフォォォンを持ち歩き、打ち合わせが入れば山まで出勤する。当然ながら休日出勤の手当とかそういうのは都市伝説だし、まだ会社の近くに化け猫が棲んでいたり追剥が出没するという話のほうが現実味がある。ちなみにセールス〇ォースとは世界的に悪名高い営業用クラウドツールのことである。たぶん。あれのせいで休日でもアフター5でも24時間365日トイレにいても仕事ができるようになってしまった。リモートとかオンラインとかね、あれは鬼の所業としか思えぬ。
とりあえず営業なので、それくらいはもうどうでもいい。仕事だし。
ただ、いくら勉強して仕事を頑張って努力してもどうにもできないことがあって、それはつまり、アタチの身体がどうあがいても1つだということ。
アタチの能力の低さを差し引いても仕事量が多すぎる。
我が社が昨年の夏に大量リストラを行ったせいでクッソ深刻な人手不足に陥り(90人くらい解雇した)、本来チームを組んで役割分担すれば回るはずの仕事も全部ひとりでせにゃならんので仕事量が鬼畜である。そしてなにより同僚がまったくもって信用ならんので一緒に組んで仕事ができんのだ。
先輩Aはアタチと一緒にオンライン事業の担当をしてるけど、仕事のテンションにムラがありすぎて出勤ししてもまったく仕事してなかったり、休みの日に取引先から電話かかってきたとき電話口でぶち切れて暴言を吐いたやべぇヤツ。
先輩Bはとにかく仕事ができない。完璧な社内ニートと化している。もしかしたらペッ〇ー君のほうがまだマシかもしれない。連絡なしの遅刻・早退、接客でも苦情が来るレベルなのに先輩なのでアタチより高い給料をもらっている。年功序列は撲滅させねばならぬ。
この会社で信頼できるのは上司と猫しかいないのだ。
脳筋と定評のある我輩でもさすがに最近疲れてきた。
だって給料上がんねぇんだもん。てか下がってるもん。
すげぇんだよ、給料の変動が。今年の1月比マイナス5万だぜ。
申し訳ねぇがやはりGoTo(かさの勤め先は観光業である)は神だったのだ。
神 は 地 に 葬 ら れ た
それはさておき、最近、出勤しながらすんごい目頭が熱くなるのだ。決して感動的な映画やドラマをワンセグで流しながら出勤しているわけではない。
出勤して、猫のウンバボを片付けながら猫を撫でていてもすんごい目頭が熱くなるのだ。猫のモフモフ具合に感動した可能性も考えたが、奴らの毛並みが良いのはいまさらなのできっと違う。
ちょっと恥ずかしいので自家用車通勤でよかったと思っている。
(カサヨイ、アナタツカレテルノヨ・・・・・・・)
我輩の心の中のスカリー捜査官がしきりに囁く。
365日会社にいる上司は言った。
「この会社は変えねばならぬ。ウチみたいな働き方を受け継がせてはダメ」
「ウチみたいになりたいと思えんでしょ」
「なりたいと思わせる上司でないとだめなのよ」
上司はバイトもしていた。
先日、ようつべを観ていたら、なんだかギラギラしたメンズが歌っておった。
「めっさ無理して死にそうになりながらやり遂げても、本当にそれでいいんかい?」(※意訳)
思わず「いいともー-----!」とホールドアップしそうになった社畜なアタチを理性で抑えつけるので精一杯だったゆえ、目頭は決壊した。
とりあえずメインボーカルのオールバックのお兄さんが治安悪そうでイケてたので、なんとなくこの曲が入っているアルバムをご購入。
音楽ってすんげぇなぁ。
年明けにセカンドアルバムを出すらしいのでそれもついさっき予約してしまった。お金を貯めねばならぬ。
カサヨイ、アタチツカレテルノヨ……
明日からまた仕事ゥである。
猫のウンバボを片付けながら、きっとまた我輩の目頭はアツい仕事をしてくれるのだ。
陽炎をみた気がした。
それは、一瞬視界が柔らかいうねりをみせたからだ。
そう、猫の尻尾のような動きを。
「お冷でいいかい?」
三日月の笑みが張り付いたような顔の食堂の主人は、涼を貪りに来た私に気前よく対応してくれた。外では日差しが照りつけ、真っ白に反射して風景を打ち消している。薄暗い店のなかは、扇風機がなくとも充分に涼しい。ただで店に居座るのは申し訳ないと注文したみぞれは、瞬く間に喉を落ちていった。
からだが満足に冷えたころ、主人に礼を払って外に出る。すっかり屋内の暗がりになれた目に容赦なく午後の日差しが突き刺し、視界を真っ白く染めた。少しずつ景色が色を取り戻しはじめたことを確認して、前へ進む。
ふと、うしろを振り返ると、私を見送ったばかりのはずの食堂の表は象牙色のシャッターが下ろされ、年季の入った「休業中」の札が貼られていた。
「にゃあ」
シャッターの下では、あの食堂の主人に似た笑みを浮かべた猫が涼んでいた。ゆらゆらと地面を擦る尻尾から目を逸らし、私はふたたび炎天下のもと汗ばむ足を動かす。
誰ともすれ違わない真昼の街角。
胃には冷えたみぞれの感覚がまだ残っている。
つぎに陽炎をみたときは、ブルーハワイで涼をとるのだ。
-------------------------------------------------------------------------------
6年ほど前、家の近くのかき氷屋さんの側を通りかかったときに思いついたお話です。
とても暑かったのに、かき氷屋さんはおいていませんでした。
以下、昨年Tumblrに上げたときのあとがきです。
暑くなってきたので、過去に下書きしてた夏っぽい文章を消化します。
この写真撮ったとき、暑すぎて暑すぎて、それなのにお店開いてなかったので暑すぎて死ぬかと思って、得体のしれない現象でも起こって私にかき氷を食べさせてくれないかと心のなかで叫びました。
残念ながら私は何事もなく家に着きました。
2021/06/06
お稽古事をしています。
はじめたのはもう2X年くらい前。
けど、子どもの頃かなり怠けていたのに加えて、4年前に一度お師匠さんを変えて芸歴がリセットされたので、傍からみたらめっさ習いたて初心者マークビギナー。
よってお稽古場でのヒエラルキーは言うまでもなく最下層でございまし。
するとどういうことが起きるかというと、どこの組織でもよく目にする、年下パイセンにこき使われるおっさん、みたいな現象。
このお稽古事は、毎年夏にアタチの地元でコンクールが開催されます。
コンクールと言っても、優勝やら準優勝やら順位がつけられるんじゃなくて、部門が3ランク(新人・優秀・最高)に分けられていて、下の階級から3年ごとに受験していく形式。どちらかというと検定とか学位に近い。
以下、なんとなく勝手に学位論文に変換してみたの図。
新人部門:卒論
優秀部門:修論
最高部門:博論
んで、だいたい優秀部門まで合格したら教師免許、最高部門通過したあとは師範免許が下ります(自動的にじゃなくていろいろ献金とかあるんですけどね)。
もちのろん、下っ端門下生の私が受けるのは新人部門。実は一昨年受けたけど落ちた(去年はコロナでコンクール自体が中止された)。
今年は私以外にも、あとふたり、最高部門受ける私よりちょっと年下のお姉さんと新人部門受ける中2の子がいます。
そう、最近アタチは、この中学生にバリこき使われている。
夏も近づく今日この頃、とくに土日、朝から夕方までお稽古。
朝8:00前にはマック〇バリューへ行き、本日のお昼ご飯の材料を調達して道場へ行き、8:30までにモップ掛けとトイレ掃除。
そのあとお着物に着替えて15分ほど自主練をしながらお姉さんと中学生と先生を待つ。
なんか稽古はじまるまでのルーティーンの負担バリ半端ない。
ちなみにアタチ、土日は午後出勤なのでお昼前までにはお師匠さんに稽古つけてもらって、お師匠さんとあとふたりの分のご飯用意して出勤する。
会社、クソ遠い。だって山のなかだもん。
タイムカード押す頃にはもうクタクタよ。
まあ、出勤は私の都合だし頑張るしかないんけど、朝のルーティーンクッッッソ激しい。
基本、買い物と掃除はアタチがやると決まってるわけじゃない。
ただ、お姉さんはお子様が絶賛イヤイヤ期でお買い物が大変そうなのでどうしても私ができないときだけ頼んでる。なんなら子どもちゃんの調子が良かったら私が買い物してるあいだに道場の掃除してくれてる。中学生は車持ってないので基本買い物は頼めない(田舎なのでスーパーが遠い)。
お師匠さんは中学生に言った。
アンタもお掃除をしなさい、と。
お稽古のたびに、30分くらいお説教をされてる。
そして、中学生が早く道場来てアタチが来る前に掃除を済ませてたのはこの半年のうち、片手で数え切れるほどごくわずか。
せやね。
この子、芸歴12年、歩き始めた瞬間入門してきたって感じ。
門下の同世代のなかでもこの子が芸歴一番長いし、技の上手い。
一見、物静かそうだけど、その辺でかなりプライド高い子。
4年前、謎に現れた初心者アラサーなぞ、気を遣って掃除やら買い物やらを手伝う相手なんかじゃあないのだ。
私の年齢だと、普通はもう教師免許下りてるくらいの段階。
雑用は後輩に任せられる歳のはずだった。さすれば、社会人しながらでも、悠々とお稽古に行けたはずである。
社会人しながら道場の雑用はきつい。きついけどそれやんないと道場回んないし、引き受けてる分お師匠さんとの関係も保たれるわけだから結局やるんだけど。
しかし時間と体力的にきつい。
今になって新人部門受けるということは、子どもの頃よほど怠けてたか、特段の事情があったかのどちらかである。
(私は怠けてたのもあるけどそもそも稽古にかけるお金作れなくてコンクール受けれなかったのけど。着物代とか諸経費含めて1回の受験で30万は使うのだ)
どうしようもないことなんだけど、昔からコンクールちゃんちゃんと受けて教師免許まで辿り着いていたら、今頃もう少し余裕のある生活をしていたんだろうなと思うと、ちょっとコンビニ行ってハーゲンダッツ5個くらい買ってきたくなる。
これでは完全にどっかの職場によくいる年下の上司と万年平社員おっさんのくだりじゃあないか。
声かけて一緒に掃除させればいいじゃないかともふと思ったが、どうも癪だ。
以前、塾講をしていたときは子どもに言うことを聞かすのが仕事だった。それで金貰ってたから、生徒を注意したり叱ったり喧嘩したりしてた。
けど、これは仕事じゃないし、ヒエラルキー的にアタチは注意する立場じゃない。なによりお師匠さんが散々お説教してこの調子なら、アタチが言ったところでまともに掃除するようになるわけねぇだ。
ということで、クッソこき使われてんじゃねって一人で思いながらも、あえて注意をしないという自分の選択により、土日のたびになんとなく愚痴りたくなってしまっているだす。
自業自得やんけ!!
そしてなにより、稽古は土日だけじゃなくて週6なので、最近疲れるよ!
平日は夕方から夜まで!!当然買い出しは仕事終わりのアタチ!!!
そうするって決めたのは誰???はい!!!アタチ!!!!
おわり。
2021/04/03
幼馴染がいます。
家も近所で、幼稚園から中学まで一緒、家族ぐるみでかれこれもう20年くらいの付き合い。
同じクラスになったことは中学1年のときだけだけど、ずっと一緒に登校してたしよく遊んでた。
なにかと不精な私に対して、正月・誕生日・お盆、マメに連絡をくれる彼女はたぶん良い人。
今年も相変わらず、年始の挨拶をいただいた。
長年、根暗で引きこもり気質でコミュ障だった私に対して、彼女はいつでも大声でよく笑っていて、運動部のエースで、誰にでもよく話しかける人。
真面目ぶって顔もいじらず、もっさり感ありありであか抜けない私にとって、細くした眉に、カレシから貰ったシルバーの華奢なネックレスを襟元に隠した彼女はとても眩しくみえていた。
本当は、そんな彼女をずっと妬んでいたし、どっかのクラスの誰かと一緒になって悪口だって言った。同じ学校にいたときから付き合いを邪険にしていたことだってある。
高校に上がった頃、違う学校に進学した彼女から毎日のように届くメールを適当にあしらうことも多かったし、毎年貰うプレゼントは趣味が合わないとすら思っていた。
(ただ、実用的なものも多かったので、今でも大切に使わせてもらっているし、最近は高級菓子をくれるのでありがたく完食させていただいている。決して彼女のセンスが悪いわけではないし、贈答品選びのセンスの悪さなら私のほうが壊滅的だ。)
ちなみに私も彼女の好みが未だ持ってよくわからない。
年末にかかってきた彼女からの電話をたったの2時間で無理やり切って寝たうえに、後半はほぼほぼ生返事だった。
せめてもの救いがあるとしたら、この20年間、彼女を「おまえ」とか「あんた」と呼んだことがないこと。相手の名前を呼ぶことは大切。
そんなこんなで、普通の友人ならとっくに縁を切られているであろう私に付き合ってくれている彼女はすごい人だと思う。
対して、私が彼女に応えている根底には、常に何かしらの罪の意識がある。
それは、部活で賞をもらった彼女に対して「こんなの運だよ」と言い放った最低極まりない幼心への猛省かもしれないし、クラスメイトに流されて陰で彼女をせせら笑った良心の呵責から来るものかもしれない。
あと、これはまったく私の驕りなのだけれど、彼女がいちばん辛かった時期に、なにもしてあげられなかったどころか、それを察する機会すら与えられなかった苦い記憶、罪悪感。
高校に上がった秋、彼女の母親が亡くなった。
母親が身体を患っていることなんて彼女は一言も話さなかったし、それを知っていた周りの知り合いづてに私の耳にその話が届くことはなかった。
強いて言えば、その頃、彼女は毎晩毎晩、やけに、異常なほど、私にメールをよこしていたし、彼女自身の誕生日を忘れていた。これらが彼女からの心のSOSだったのかどうかはわからない。
とにかく、彼女の母親の病気について知らなかったのが悔しくて、いつもと少し違った様子の彼女を労われなかった私自身にはひたすら憤り、当時、彼女の母親の死よりもそちらのほうへのショックが大きかったことをよく覚えている。あのときに渦巻いた感情たちはずっと私の心を巣くっていて、それゆえ、彼女の母親にはとてもお世話になっていたにも関わらず、未だに彼女の自宅の仏間にある遺影とは目を合わせられないし、葬儀のあとも頻繁にお邪魔していたけれど、仏壇に手を合わせた回数は極々僅かである。
(そのうえ、昨年、彼女は一戸建ての生家を売り払ってアパートへ引っ越してしまったので、私はとうとう仏壇に手を合わせる機会すら失ってしまった。仏壇は造り付けだったから。)
葬儀からしばらくたった秋の中頃、彼女が制服でプリクラを撮りに行きたいと言った。
秋といってもまだまだ蒸し暑さが残る雨の日、学校終わりに待ち合わせをして、家の近くのゲーセンでたくさんのプリクラを撮った。今ほどじゃないけれど、充分美顔効果のあるすんげぇ機械で、日頃から仏頂面の私も1mmくらいはマシに写っていたはずだ。ガラケーに画像を送ってくれる機能も付いていた。私と幼馴染はしこたまプリクラを撮った。
雨で冷やされたアスファルトから吹き上がる生温い夜風に吹かれた帰り道、真新しいはずの彼女の制服からは、咽るような、焦げた樹皮のにおいがした。
「絆・天下無敵」「ずっとずっとずっとずっとずっとずーっとFRIEND」
この日のプリクラのらくがき。
受け取り口から出てた、親友のように肩を並べた私たちが写ったプリクラを、友達のようにハサミで切って分け合った。
あれから10年、私はというと、濃かった眉は跡形もなく消え去り、太く縁取った目元を半月型に薄めて接客し、休日には重たいイヤリングを両耳に引っ提げ、先のとがったエナメルのヒールを鳴らして街に出る。
そして、一年の節目ごとに彼女が会いに来て、私は彼女の話を聞く。
変わらない彼女は、大きな声でよく笑い、仕事の愚痴を言う。
認知症の父親を抱え、パワハラが横行する職場で働く彼女は、この頃、体調が悪くて病院に行ったのだと、中学生の頃のようにとめどなくしゃべり続けるなかで、私に告げた。
最近、食欲不振で休みの日は一日中ひとりで寝ているのだと。眉だけが整えられた化粧っ気のない顔は、少し血色が悪くみえて、少し細くなった両手の指に嵌められた高価な宝石は、なんだか居心地が悪そうに鈍く光っていた。
彼女は変わらない。
学生時代、クラスの女子グループからいじめられ、通ったスポーツクラブでは才能がないと切られ、母親を亡くし、カレシからは一途な感情を拒絶された彼女。
それでも、彼女はずっと正直で頑固でとてもおしゃべりで、そしてずっとしんどそうに生きている。
私は平気で嘘をつくし意志も薄弱なのだけれど、それを除けば、あの頃の私と彼女はとても似た者同士だった。
けれども、なぜか、彼女は私にとって羨むべき対象で、今もどこか彼女のなにかに勝ちたいと思っている。
私がずっと隣でみてきた彼女は、私の思い込みでつくられた幻想。これは確実。彼女とは、一緒にいるようで、きっと、なにひとつ共有していなかった。今だってそう。20年もたてば、人は否応なしに変わらざるを得ない。その変化に、私が気づけないだけ。私がみている彼女が、変わっていないだけで、そして私自身がつくり上げた彼女に、私はずっと嫉妬してる。変わっていないのはきっと私のほう。
近頃、思う。
彼女はいったい何者で、結局私にとっての彼女はどういう人で、彼女にとっての私はなんなのだろう。
ふとした瞬間に思い浮かぶ彼女は、煙った狭い仏間に座るうしろ姿。
そんな彼女なんて、みたことないのに。
多分それは、私のなかで燻る彼女への罪の表象、意地汚く歪な性格をした幼い私が犯した数々の過ちの結果。
だから、彼女と私の関係は、今でも幼馴染でしかない。
いつか私の隣にいる彼女の幻影がいなくなるまで、彼女と私は、たぶん、ずっと幼馴染。
それでも、いつの日か、親友として、彼女とプリクラを切り分けるような間柄になりたいと、さもしくも願ってしまう。
そろそろお互いの誕生日。
私たちは、今年も変わらず、祝い合うことができるのでしょうか。
おわり。
2021/03/26
久しぶりにオレンジレンジを聴きました。
私、オレンジレンジはよく知らないけど、わりと10曲くらいは題名と曲が一致する(楽曲数考えたら極々一部だろうが)。
今でこそインターネットでいろんな曲がすぐに探せてたくさん聴ける。けど、私の周りでオレンジレンジが流行っていたころはまったくそうではなくて、
なので、あらためてオレンジレンジってなんかすごかったんやろうなと実感する。
とりあえず私が子どもの頃、流行りといえばオレンジレンジだった。D-51とかケツメイシもいたけど。
オレンジレンジがバリクソ流行ってた2000年一桁代、私の家にはテレビも新聞もなかった。
パソコンは物心つく前からあったけど、ネットはさせてもらえなかったし、だとしても今ほど音楽配信サービスが発達していたわけでもなかろう。
ドラマだって週に一度、祖父の家でみせてもらう大河ドラマくらいしか知らない。
すんごいたまに、うたばん観てたけど、あんま覚えてない。
なので、私が日常で耳にする音楽といえば、音楽の授業で習う文部省唱歌やお稽古事で使う古典音楽、それか母が好きな佐野元春とかオフコースとかブルーハーツとか、父が聴くサイモン&ガーファンクルとか、エトセトラエトセトラ……
まあ、家でオレンジレンジの楽曲に触れる機会なぞありえなかったことだけは確か。
けど、今思い返せば、私はいちばん流行っている時期にオレンジレンジを聴いた記憶があって、たぶんそれは学校の校内放送とか、クラスの子たちが歌ってたとか、そういうので。
子どもって、休み時間とかに突然カラオケしだすじゃん?
校内放送で流れるってことはCD持ってる子が多かったってことだろうし、あんな難易度高そうな歌を子どもが頑張ってカラオケしちゃうんはメディアではそりゃあもう耳タコのように取り上げられてたに違いない。最近でいえば鬼滅のアレみたいな感じ。スーパーの店内BGMに合わせて小さなお客様たちが紅蓮華カラオケ大会しちゃってるあの感じ。
もしかしてオレンジレンジも店内BGMで流れてたのかもしれん。
給食時間に以心電信流れてテンション爆上がりしてる隣の席の男子や放課後に突然花について語りだした近所の女の子、よくわからんうちに体育祭で踊らされたチャンピオーネとか、謎によく覚えてる。近所のコンビニでオレンジレンジを見たやら(さすがにそれはないやろ)、オレンジレンジの母校に進学するとオレンジレンジが歌った校歌を聴くことができるやら、若干都市伝説めいた話もあった気がする。そういえばオレンジレンジの母校に通いたいから引っ越したいとか言ってる子もいた。
そんくらいよく覚えてるんけど、結局のところ私はオレンジレンジが何者なのかよくわからなかった。
だから、私のなかで、どこまでいってもオレンジレンジは隣の芝生なコンテンツだったのだ。
オレンジレンジのオすら話題に上がらない家での生活が、なんだか世間とズレてるのではと感じはじめていた私にとって、オレンジレンジはすんげぇキラキラした「普通の子」がハマるコンテンツの象徴で、その流行にノれる子たちが羨ましかった。
なんだかアニメとかあの辺のコンテンツもそうだけど、いつの時代もどのジャンルも、詳しくないとハマってるとか知ってる、好きっていっちゃいかんみたいな空気あるよね。当時の子どもたちがどれほどオレンジレンジに詳しかったかは知らんが。
(ちなみに、ネットを触らせてもらえるようになって以来、私はニコ動や支部を余すことなく巡回し、胸を張ってコンテンツにハマっていると言える虚しい自信を得たのであった。)
なにはともあれ、世間知らずで音楽にそこまで興味がなかった私にこれほどに濃い思い出を植え付けたオレンジレンジって、すごかったんだろうし、まさしく「流行り」だったのだ。
彼らをよう知らん思っとった私だってこれほどよく覚えているくらいなんだから、私だってその流行りの渦中にいたんだろうし、オレンジレンジ世代だったんだろう。
すぽてぃふぁいもスマホもなかった時代だけど、流行るもんは流行ったのだ。
家にテレビなくても耳タコになっちまってたんだから。
すごいよね。
先日、某体操アニメのOPを観て、母に「この曲、私が子どもの頃めちゃくちゃ流行ってたんよ」言ったら、「あなたがこういう曲知ってるの意外だった」と言われました。
そらそうよね。ニコ動出て以来、アニソンとボカロばっか聴いてたもんね。
私も意外だった。
おわり。
2020/10/14
日記というページを作りましたが、最近日記を書く暇がないので、書く暇がないことを報告しておきます…
いつか有効活用されます。