年が明けてだいぶ経ちましたが、あけましておめでとうございます。
年賀状を交換したフォロワー様にはうえの泡雪さん&飴子ちゃんの自撮り年賀状が届いたことと思います。
卒業論文の提出まであと二週間を切りました。進学と奨学金の採用も決まっているので何としてでも卒業したい次第です・・・。あまり創作ができなかった昨年、一昨年で描きたい書きたいお話が脳内にたくさんストックされました。春休みが楽しみです。
卒論はそろそろ40000字に達するのですが一向にまとまる気配がありません。
もう意味が分かりません。
がんばる。
Gepostet am Januar 18, 2018
1952年4月30日―このやけくそを、どこにいるのかわからない貴女に…
つい先日、日本は諸連合国と“おおむね”戦争状態を解消する―昨年締結された昭和27年条約第5号が発効された。北の大国とアジアに、ちょっとした、大きなわだかまりを残して―。
ときを同じくして、戦争末期から箱根にとどまっていたディートリヒは、富士屋治人として日本に帰化した。しかし、その隣に、ドイツを出たときから行動をともにしていたはずの少女の姿はなかった。というのも、いつか父の故郷である日本に行きたいと願っていた少女はその土を踏むことなく、機雷により海の上に消えてしまったからだ。1945年―もう七年も前のことである。勿論、ディートリヒは、エーディットが海の底に沈んだなどと一寸たりとも思っていないだろうけれど。
終戦後、ディートリヒが真っ先に求めたのは財だった。この日本で、富士屋画廊を再興させるだけの財。日本にとどまらず、大東亜共栄圏・欧米諸国にまで商いを展開させ、ついにはドイツ国内でも名を知らしめたエーディットの父親・富士屋治一郎。このあいだの大戦で潰えた彼の画廊を建て直すためのそれは、齢十五の少年が求めるには途方もない額だ。けれども、身寄りのない少年だった自身を引き取り育ててくれたにもかかわらず、それを娘を機雷の犠牲にするという仇で返してしまったディートリヒは、画廊をよみがえらせ、海の底からエーディットを見つけ出すことで、恩義に報いようとしていた。かの独裁者による 黄貨の排斥から逃れ、欧州での戦火を切り抜けた彼は、ハの字になった眉をごまかすかのように唇を一文字に引き締め、財を成すために手段は選ばないと言った。
「推参な話です。今や貴方は国籍も持たず、何の後ろ盾もない一人の少年、一丁の銃すらこの手にないのですよ」
彼の計を生意気だと言い切ったショウへあてつけるかのように、この後、ディートリヒは順調に富を増やしていった。戦に乗じて欧米諸国に行方をくらました富士屋画廊所蔵の美術品も、ディートリヒが成人してニ、三年も経てば、リストの三分の一が彼の手元に戻っていた。その頃、彼はもう、闇雲に力を求める弱々しい少年ではなくなっていた。けれども、彼の眉間には、エーディットを見つけられずに過ごした月日の数だけ筋が刻まれていった。富士屋氏への恩だけではない、エーディットへの感情は、彼の眉間の筋の本数を増やし、その溝をさらに深くした。
「本物の銃はこの手になくとも、私の心には一斤一分の鋼がある」
乾いた笑みを浮かべながら、その鋼をゆっくりと構えるディートリヒの隣で、ショウは静かに煙草の煙を吐き出した。
Gepostet am Mai 21, 2018
Gepostet am April25, 2018
―“異国”の地にいた彼らにとっても、それは特別な日だったのです―
Gepostet am Februar 6, 2018
1996年4月2日―少し早めの初夏、酷く、愛しい貴女へ
この“街”はひまわりの季節が早い。
年が明けて桜が満開になったと思えば、翌月にはそれがもう散り散りになり、道の路肩は立派なひまわり畑に変わるのだ。次々と季節を先取りしていくような風景の移り変わりは、この“街”が、“なにか”に追いつきたくて、無駄に生き急いでいるかのようだった。梅雨入り前の束の間の晴天に眩しく映えるひまわりは、その原動力を象徴しているかのように思えた。
そしてそれらは、まるで十年ものあいだ、彼女の背中を必死で追いかけ続けた僕を思い起こさせた。
一昨年、たった一人の肉親であった母を伴って“故郷”へ戻った綿子さんからは、今でもきまぐれに便りが届く。生来、物事に対して不精な彼女にしてはよく続いているものだ。しかし、その中身は彼女らしく、話題が散逸しており、ヤマなしオチなしの文章がとめどなく綴られている。昨年などは『貴方なら、自分の娘になんて名前を付けたいかしら?』なんて突拍子もない問いを振られたので、このとき、リコラのハーブキャンディーを口に入れていたことを思い出して、適当に『飴子』と返事に書いておいた。もしかして、あちらで意中の相手でも見つけて結婚の予定でもあるのかもしれない。別れ際に「離れても貴方への愛は忘れないわ」と言っていたくせに酷い人だ。
出会ってから別れるまで丸十年、どんなに頑張っても追いつけない歳の差と、気が付いたら目の前にいなくて、ずっと先を歩いている広い歩幅を埋めるため、僕はひたすら綿子さんを追いかけた。ふとした瞬間に見失わないように。太陽に向かうひまわりのように、思いっ切り首を前に出して。そうだ、昔、大きなひまわり畑が出てくる映画を観たことがある。あの映画では、行方知れずになった夫を探す妻をひまわりにたとえていたそうだが、僕と綿子さんでは僕がひまわりで、綿子さんが太陽だった。
けれども、太陽を見失ってしまったひまわりは求めるものもなく、長く伸びて重力に逆らえなくなった茎をただただうな垂れさせるだけとなった。下を向く茎は、そのうち頭の重みに耐えきれず折れてしまうだろう。太陽は、無意識のうちに育てすぎてしまったひまわりを覚えていてくれるだろうか。
もうすぐ雨の季節になる。
強い大粒の雨に打たれて朽ちてしまう前に、無責任な貴女は僕のことを思い出してくれるだろうか。
十代最後の春、僕は幼いころから抱き続けている恋心を、とうとう二十歳末々まで持っていくことにしたのだった。
Gepostet am April 21, 2018