釣り人がSDGsやヴィーガンについて思うこと

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インターネットって人の心に魔法をかけるみたいですよ?
SNSで発信してると、その日から大統領になれるようです。
あるいは国際的な経済格差を一言で解決できる帝王になれることもあるらしい。

残念ながら私には魔法の効果はなく、個人のままでしたが…
単なる釣り人ですからね。
ちょっと私見でも書いてみますか。

SDGsというものをまだ詳しく調べていないんですよね。ただ、Twitterを眺めているとどうやら17の国際目標のようです。

このページはSDGsの解説を目的とはしていないので、気になる方はググるなりしていただければ。でも最近SDGs反発談話をSNSでも見かけなくなりました。僕も知ってるドヤァみたいな😆ww ネタ元として使ってたんだけどな…

さて本題に戻ると、私が自分の生活圏内でささやかながら協力できそうなのは…14番目の「海の豊かさを守る」と、2番目の「飢餓をなくす」いう目標でしょうね。この二つなら自分を犠牲にすることなく、心がけるくらいのことはできそうです。

一個人が海を守る?!

「海の豊かさを守る」なんて個人レベルで可能なことではないと思うんです。私にできるのは未利用魚を使って美味しそうな料理を作り、SNSで飯テロするくらい。まさか養殖事業を始めるわけにもいかないしねぇ。やってみたいけど。
ただ、釣りに行ったときにゴミ拾いくらいはしてます。ビニール袋が流れていたらタモ網で回収して持ち帰るとか。
これはSDGsなんて大きな話じゃなくて、単なる「願掛け」ですよ。
海や川・湖に対して善行を積めば、幸運に恵まれる…そう思ってゴミ拾いしてるんです。
大きな魚が釣れれば「ゴミ拾いしたからだ!」と思えてその日の釣行がより楽しいものになります。
大きな魚が釣れなくても「ゴミ拾いしたから次は釣れる!」と思えて楽しい気持ちのまま水辺を後にできるんです。

周りの人間に強制したりはしないけど、私はいつもそうやってゴミ拾いしてる。下の写真のサルカンとか、釣り場で拾ったものを使ってます。釣り場によく落ちてるんですよ。釣り具を水辺に捨てないで欲しい…
考えてみれば釣り人であればこそできる小さなことがいっぱいあるのでは?
未利用魚の調理なんて釣り人ならではだと思うんです。

一個人が飢餓を撲滅する?!

「飢餓をなくす」なんて…一個人でそんなこと語ってる人がいたら、ずいぶん大きなことを個人レベルで言う人だと私は思うでしょう。
私はそんなこと、例え匿名のインターネットでも大っぴらに言うのは抵抗ありますね。恥ずかしくない?
ただ、私個人は飢餓をなくせる力なんてなくても、せめて食べ物を捨てないようにすることはできます。
我が家は食品ロスがほぼ出ないです。ジャガイモの皮とか、そういう明らかに食べられない部分以外まず捨てることはないよね。
気が向いたらニンジンの皮なんかをミキサーして魚釣りの撒き餌に混ぜたりしてる。オキアミの匂いが染みついて効果が出るかもしれない?!
下の写真なんかそうですよ。ミカンやレモンの皮をミキサーしてオキアミ汁とかとブレンドしてみた。撒き餌として効果があったのかな? でも芋で釣る魚とかいるもんね?! 何かの野菜屑をブレンドしたら集魚効果があるかもしれない。

フードロスなら一個人でも取り組めるかな?

冗談はともかく、家庭レベルで食品ロスをなくす努力はむしろするべきだと思ってますね。家計管理の基本でしょ。
スーパーにあるフードロスコーナーも頻繁に活用させてもらってます。まだ食べられるものを捨てるのはもったいないです。
でもこれだってSDGsなんて大きな目標を自分に課しているわけじゃない。
フードロスコーナーは日替わりでいろんなものが安くなってるんですよ。かまぼこだったり納豆だったり、いろんな野菜や果物などなど。
本音を言っちゃうと献立考えるのがラクなんだよね。スーパーに決めてもらうメニューといったところでしょうか。
今日はフードロスコーナーに大根があったから大根おろしで釣魚の塩焼きを食べようとか。そんな感じだよね。

実家でお母さんに食べさせてもらってるときは分からなかった感覚ですよ。
経済的に独り立ちして、自分で生活を立てるようになって初めて分かる感覚だと思う。

そんな感じであーだこーだと書いてみましたが。
こうして空調の効いた快適な自室に籠ってさ。インターネットに向かってSDGsのことを書いてること自体、何かおかしいと思うのは私だけですか? 
そんなことやってる暇があるなら、空き缶の一つくらいリアルの海で釣ってくれば良いのに…豊かな海を守ることに繋がるでしょ。
そう思うのは私だけなんですかね?

昆虫食より未利用魚の開拓するほうが好みです・・・

上の写真はオトメベラ。皮にちょっとクセがあるように感じるけど、普通に食べれる。

そうそう、昆虫食の話題がありましたね? コオロギ食反対とかどーのとか。
あれについては特に感じることはないかな。イナゴなら食べたことあった気もする。
ただ、私ならコオロギよりベラ類を食べます。それくらい。

ベラはすごいですよ?
あまりにもベラが多く、タイやメジナなどお目当ての魚が釣れる見込みがほぼないような「ベラ地獄」となっている場所があります。そういう場所は釣り人に嫌われ人気のない釣り場になってしまいます。でもそれだけ資源量が多いということでもあるのです。
しかもヌメリが多くて捌きにくく、種類によっては磯臭みがあったりします。でも調理次第では良質な美味しいたんぱく源だと思うんだよ。
コオロギ粉末よりベラの天ぷらのほうが遥かに私の好みです。

私が食卓を共にしたことがあるのは宗教的な理由でヴィーガンとして暮らしている人たちでした。インドの人たちだったんです。カレー味のヴィーガン料理、美味しかったですよ?

SNSで何か言ってもね…

私も釣魚を切らしているときは延々と菜食主義者みたいなメニューが続いたりします。これは肉が嫌いというわけではなく、野菜のほうが調理がラクだからそうなるだけ。ご飯に合えば何でもいいみたいなところある。気が向くと焼肉とかやったりするんだけどね。チャーシューだって作ります。
SDGsやアニマルウェルフェアの観点、もしくは健康意識からヴィーガンを選ぶ人もいるでしょう。それはそれで良いと思います。

撒き餌に群がる小魚たち.mp4

動物愛護の視点

ただ、動物が可哀そうだという気持ちには…率直に共感できます。
これは私自身が魚釣りをするからなんですよね。生き物を間近で見る機会が多い。
釣り人は釣りそのものは楽しんでいるけども、殺生を楽しんでいるわけではないというのが私の考えです。
私だって魚を見て可愛いと思うから、釣りをする時には次のようなことを心がけています。

撒き餌ワークを磨く

奥が深いです。上手くいけば小魚を遠ざけることができます。そもそも魚影の濃い場所ではエサばっかり取られて釣りにならないからね。

釣り針を大きく、大物用の仕掛けを使う

そもそも私は大きな魚を釣りたい人なのですよ。手返しも悪くなるから、エサ取り小魚を引っかけないほうがラクです。自然保護というより、自分の利益のために小魚を無視できる仕掛けのほうがいい。

小さい魚を引っかけてしまったらリリース

大きな釣り針を使うだけで小魚を引っかける確率は激減しますが、それでもたまに掛かってくる。でも深手を負わせることはほぼないです。軽く指を添えるだけで針が取れることも多く、小魚は即座に海へお帰りいただきます。

それでも小さい魚に深手を負わせてしまった時は…

たまにあります。鰓から血が出てしまっていたり。そういう時はすぐにナイフで頭を落とし、丁寧にクーラーボックスへ入れます。美味しく頂くことが小魚を供養する方法だと思っています。
私が自分の生活範囲内でやれることはこのくらいでしょうか。あとはSDGsのページでも書きましたが、食べ物を捨てないということです。

もし動物愛護の視点から菜食主義を推奨したいのであれば、どんな方法があるでしょうね?
一時期Twitterで批判されていた人々のように強引な手法ではなく、菜食に魅力を感じるような活動を積極的に行うことは難しいのでしょうか。
私がそうなんだけど、何週間もお肉を食べなくても支障は出ないです。釣ってきた魚がなくなったらもう野菜だけですよ。
夏場のアウトドア前にカロリーが欲しいときくらいかな…肉を食べるのは。それだって肉必須じゃないからね。
気負う必要のない、いろんな人が受け入れやすい菜食主義の生活を提案できると良いのかもね。
私も釣り人でなければ限りなく菜食主義であっただろうし、それで不満も感じなかったでしょう。

生き物は食べなければ死ぬ

人間も例外ではありません。食べなければ自分が死にます。
私が可愛いと感じる魚たちだって、水の中で毎日のように殺し合いをしているわけですよ。
何かを捕ってきて食べる。これは生き物に課せられた義務だと私は考えています。綺麗事ではないんだよね。
魚釣りというのは、本来は人間が動物の一員として課せられていたであろう狩猟採集、それの体験をしているのではないでしょうか。
その体験がもたらす感情は楽しいというより、本能として備わっている何かが強く刺激されているような、そういうものなんです。

ライオンもトンビもスーパーマーケットに行って肉を買いません。自分で狩りをします。狩りができない個体は死にます。
文明ができる前の人間だって狩猟採集をしていたはずです。
獲物を捕らえ、それを食べて生き残る。魚釣りはそういう体験をマイルドにした活動だと思っています。
魚ならスーパーで買ってくれば良いのにね?
暑い寒いに耐えながら、必要のないお金をかけて釣り具を買い、さらにわざわざ苦労してやっとこさ1匹だけ魚が釣れる…でもその魚は間違いなく自分で捕った獲物です。
その命に感謝を込めて調理し、美味しく頂く。それができれば、無駄に命を奪っていることにはなりません。
だから未利用魚の調理に強い関心を持っているんですよね。
自分が苦労をして何とか釣り上げた魚に対して、ありったけの気持ちを込めたいと思っているからです。

こんな感じですかね。SDGsとヴィーガンに関する私見としては。

Twitterでは価値観を押し付けられているとして議論になっていましたが、あまり関心の高い話題ではなかったです。
インターネットで、しかもTwitterという箱庭の中で「肉を食うな」という強硬な声を聞いたところで、リアルの私の生活は変わりません。
リアルで食卓を共にする人から言われたら考えるけど。

余談だけどアウトドアでもオフィスでも、お弁当はスープジャーが強いと思う。
オフィスならスープジャーが最強だよね。
2個持参してます。一つはご飯と炒め物。もう一つはスープ。
調理がラクだから続くんだよ。

フードロスはお金を捨ててるのと同じ

野菜が悪くなって捨てちゃうとか。以前一人暮らししてた頃はこれが嫌だったんですよ。
でも一人では食べ切れないし。
何とか食材を使い切れないかと考えて鍋料理→スープジャーに辿り着いたんです。
余った食材に合わせて鍋料理かスープ料理を作って、それを冷蔵しておく。
朝は余った食材を適当に炒めつつご飯をレンチン。同時にスープを小鍋で温めておく。
これで簡単に食材を使い切れるようになったんだよね。

旨いけどあんまり見かけない

最近は業務スーパーにある火鍋の素にハマってる。
具材を選ばず簡単に火鍋が作れる。もちろんスープジャーに入れて仕事に行きます。

昼食を持参するだけで毎月何万円も浮く

コンビニでちょっと何か買うだけで600円とか700円とかいくでしょ?
それが毎日のように続くと味に飽きる上にマジでお金もったいないんだよ。
でも普通に毎日弁当を作ってると大変だし。
これを解決したのがスープジャー。

めちゃくちゃ辛い

鍋やスープ料理って味付けのバリエーションが豊富で何でも入れられるのがいいよね。
ちょっと多めに魚を釣ったときとか、まとめて骨抜きして干物にして、それをスープジャーに入れたりとか。
悪くなる前に全部食べ切れる。

パスタソースやカレーは多めに作っておきます

スープドポワソンのパスタ

これだと思うな。
鍋やスープ料理以外にも、パスタソースやカレーを多めに作っておきます。
それに水とチキンブロスを入れつつ味を整えてやれば簡単にスープ料理になる。
手間をかけずに夕飯の残り物で翌日の昼食が賄えるから、昼食代を浮かすために余分な家事をしなくて済むじゃん。
あと、外食はやっぱ味に飽きる(2度目)
もうずっと弁当持参生活だけど、最低でも年間で120,000円はスープジャー弁当で浮いてることになるから大きいですよ。

昼食代を浮かすことで作れる貯金額は大したことないけどね。
この120,000円があればちょっとした遊ぶお金もできるわけでしょ?
寿司屋で心無い悪戯するガキがいたり、最近は外食産業の不穏なニュースも多いから。
基本原則として自分の飯はこうやって持ち歩くようにしてる。

スープジャー調理がすごくラク

一人暮らししてた頃はイモ類も余らせることが多くてね。
スープジャーって要は幅広の魔法瓶だから、朝に作って昼過ぎまで中身が熱々なんです。
カボチャなんかも入れておくだけで火が通るんですよ。
これがとてもラクなんです。
かなりボリュームのある熱いスープジャー弁当を食べられます。

弁当持参は朝が大変だから、なかなか続けるのが難しいでしょ?
毎朝料理しなきゃいけなくなる。
でもスープジャーを使うとその手間がすごく減るのです。
こういう小さな節約は続けないと意味がないからね。