えちごエコネット

(越後平野における生態系ネットワーク)とは

えちごエコネットは「越後平野における生態系ネットワーク」の愛称です。

以下では、「生態系ネットワーク(=エコロジカル・ネットワーク)」の意味や、「越後平野」の魅力についてご紹介します。

生態系ネットワークとは

私たちの暮らしは、生物多様性がもたらす様々な恵み(生態系サービス)に支えられています。しかしながら近年、私たちの生存基盤となっている生物多様性が損なわれつつあることから、その回復が必要となってきています。その手段の一つとして、生態系ネットワークが注目されています。

生態系ネットワークとは、多様な野生の生き物が暮らせる地域を実現するために、保全および再生すべき自然環境並びに優れた自然条件を有している場所を拠点・軸として、これらをつないでいく取組です。

生きものの住み場所をつくったり、自然を取り戻そうとしたりする従来の取組においては、周辺環境とのつながりが考慮されていない、「点」としての再生に過ぎない事例もみられました。しかし、多くの生きものにとっては、それだけでは十分ではありません。子どもを育てる場所やねぐらを取る場所、食べ物を探す場所など、さまざまな環境が守られていることに加え、それらがつながっていることが必要です。

たとえば、指標種のハクチョウ類でいえば、夜の間は、潟や河川といった広くて浅い安全な水面に集まってねぐらを取ります。そして、朝になると周りの水田に出かけて行って、落ち籾や草などを食べて過ごすわけです。潟や川だけがあっても、反対に、水田だけがあっても、あるいは両者の距離が遠すぎても、ハクチョウたちは生きていくことができません。

このようなハクチョウたちの生活をみると、生態系ネットワークの取組を進める上では、自然環境のネットワークだけではなく、人々のネットワークも重要であることが分かります。つまり、ねぐらである河川は国土交通省、潟は新潟県、採食地である水田は農業者や自治体が関係してきますし、生息環境の維持管理や調査については、市民団体や大学などの協力が必要となりますので、普段は別々の仕事をしている人たちが上手に連携を図っていかなければ、生態系ネットワークの取組はうまくいきません。

さらに、下の図で表されているように、生態系ネットワークは、単に鳥や自然を守ること(環境づくり)のみを目的とした取組ではありません。むしろ、このような環境づくりを通じて、地域の魅力や活力、防災力を高めること、農業者や市民、企業・団体、学識者、行政などの多様な主体が力を合わせて、この素晴らしい環境を活かした地域をつくり上げることこそが、究極の目的であると言えるでしょう。

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生態系ネットワークのイメージ[MLIT]

越後平野の魅力

越後平野ってどんなところ?

越後平野(新潟平野)は、信濃川や阿賀野川といった大きな河川により運ばれてきた土砂が堆積してできた沖積平野(ちゅうせきへいや)です(新潟市「潟のデジタル博物館」より)。越後平野には政令指定都市である新潟市等、多くの市町村が含まれる、本州日本海沿岸で最大の平野です。流域の土地利用としては水田等の農地が大部分を占めますが、信濃川河口域をはじめ、各所に都市環境が広がります。

越後平野の自然を特徴づける「潟」は、福島潟や佐潟をはじめとして今でも多く残されています。また、越後平野の周囲は丘陵地や山地に囲まれており、多様な動植物が生息・生育しています。

川と潟のある風景

沖積平野は、扇状地、後背湿地、三角州、海岸低地、自然堤防、海岸砂丘などのいくつかの地形に分けられます。これらの地形は、繰り返しおこった河川の氾濫にともなう土砂の堆積、平野の沈降、海面のわずかな上昇や下降などの現象が重なり合って、しだいに形成されてきました。

潟や湿原が広がっていた越後平野は、江戸時代以降、放水路や排水路が掘られ、多くの潟が干拓されて農地に変わり、さらに一部は住宅地へと変わってきました。しかし、「潟」のもとになった後背湿地や池沼といった地形は、越後平野ができる過程で形成されたものなので、水をためやすいという性質をそのまま受けついでいます(新潟市「潟のデジタル博物館」より)。

信濃川(越後平野)[MLIT]

信濃川下流(越後平野)[MLIT]

阿賀野川(越後平野)[MLIT]

鳥屋野潟

福島潟

佐潟

瓢湖

米どころ新潟の水田・里山風景

越後平野は砂丘によって閉ざされた低い平地で、かつては洪水が起こると大部分が水に浸かってしまうような大湿地帯でした。それでも人々は、腰まで泥に埋まりながら米づくりをして暮らしていました。このため江戸時代中期の1730(享保15)年の松ヶ崎分水(現在の阿賀野川)掘削以来、多くの放水路が整備されました。1931(昭和6)年には大河津分水路が通水し、1972(昭和47)年には関屋分水路も通水したことで、治水効果は飛躍的に向上しました。こうした放水路と多くの排水機場が整備されたことにより、越後平野は日本有数の穀倉地帯となっています。

越後平野の水田と森林・里山風景

刈り取った稲株からの二番穂は、ハクチョウやガンの食物に

渡り鳥など多様な生きもの

これらの広大な水田地帯と潟や河川の組み合わせは、人々の暮らしのみならず、大型水鳥をはじめとした多くの生きものにとっても住みやすい環境を提供しています。特に、冬の風物詩として親しまれているガン類(オオヒシクイ)やハクチョウ類については国内有数の越冬地として知られるところです。

水田に降り立ったオオヒシクイ

積雪期の田畑で採食するマガン

刈り取った大豆畑で食物を探すコハクチョウ

オオハクチョウ

トキ

写真・図表:MLIT=国土交通省、その他(無印)=(公財)日本生態系協会