column 6
column 6
-「アート」としての人事―
井上 正也
本ウェブサイトの主要コンテンツの一つに戦後外務省人事一覧がある。これは外務省の課長級の人事を網羅したものである。もともとこの人事リストは、インタビュー(オーラル・ヒストリー)を行なう際に参考資料として作成したものであった。インタビュー対象者に遠い昔の記憶の糸をたぐりよせてもらうためには、何年何月頃にどのポストにいて、その時上司や同僚が誰であったかという情報が不可欠である。
そのために、当初、業界人にとってバイブルともいえる秦郁彦『日本官僚制総合事典 1868-2000』(東京大学出版会、2001年)の主要官職の任免変遷や、毎年刊行される『職員録』(大蔵省印刷局)の該当部分をコピーして用いた。だが、『日本官僚制総合事典』は主要国大公使任免表と局長級人事までしかカバーしておらず、課長級人事には対応できない。また『職員録』は各課員の一覧まで網羅されている反面、年一度しか刊行されないため、人事異動のタイミングが分からない欠点があった。そこで新たに活用するようになったのがインターネットの『官報情報サービス』である。このサービスは有料ではあるが、1947年5月3日以降の日単位での人事異動記録が検索でき、異動日まで分かるので非常に有用である。
本ウェブサイトの人事一覧の作成方法は以下の通りである。まず『職員録』などを用いて外務省の課の変遷を網羅する(追記:課の設置日は主に「外務省組織令等の一部を改正する政令」を参照した。2017.11.2)。その後『官報情報サービス』で課名を検索し、歴代課長の人事異動の記録を全てエクセルに入力していく。この入力作業は手間がかかるので、学生アルバイト数名を雇い入力作業を手伝ってもらった。 ただし、こうしたアプローチにも限界がある。例えば、部局の組織改編が行なわれた前後の課長人事については、『官報』でも追跡できない事例が見られる。また占領期については、『職員録』が存在しない年があるため、課の変遷を確定できず今回は除外した(ただし課の数自体はそれ程多くない)。これらの不明点については、情報公開法に基づく開示請求を行い、外務省内の人事記録を用いて個別に埋めていく必要があると思われる。
さて、こうして完成した人事リストを眺めると、戦後日本外交のマクロな潮流を見出すことができる。例えば、1980年代以降の経済協力局の課長ポストを見ると、チャイナ・サービスの外交官の名を見出すことができる。このことは当時対中円借款が拡大し、日本が最大の援助国であったことと無縁ではなかろう。また、かつての外務省をめぐる評論では、「アメリカ派」が本流であると雑駁に説明されてきた。しかし、歴代の北米一課長や日米安保課長経験者の大半が外務審議官や次官に登り詰めているかと思えば、必ずしもそうではない。逆にこうした直感を裏切らないのが条約課長経験者である。1970年~1989年までの歴代課長9名中実に5名が次官に昇進し(外務審議官は9名中8名)、「条約マフィア」の圧倒的存在感を示している。この条約局優位の時代は、彼等が日米安保体制の条約解釈を担っていたことに加えて、戦後外交の主要課題が敗戦国日本の「戦後処理」であったことを物語っていよう。
しかし、ここで注意せねばならないのは、こうした人事の流れはあくまで「傾向」に過ぎず「法則」ではないという点である。人事とは機械的な法則に当てはめる「科学」たりえず、「人事は水物」という言葉通り、あくまで人の営みが関与する一回性の「アート」である。一見ある秩序に基づいた人事が続いているように見えても、個々の人事の決定過程はそれなりに複雑であり、様々な組織的制約と泥臭い政治のなかで、任命権者が「最適」と考えた判断の結果に過ぎない。確率的決定論と断じてしまえばそれまでかもしれないが、外形的な結果から人事の法則を定立することは困難であり、ましてや予測は不可能なのである。
未来の予測よりも過去の検証に関心の所在がある歴史家にとって、より興味を引くのは、人事の「法則」を発見することよりも、「傾向」から逸脱した事例を深く掘り下げることではなかろうか。野村克也が好んで用いた「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし 」という言葉は人事においても妥当する。例えば、外務審議官から次官昇任は通例であったが、実際にはいくつかの例外が存在した。かつて筆者がインタビューしたある外務審議官経験者は、キャリア・パスにおいて官房系の課長を経験できなかったため、そのことが次官を逸した原因になったと冷静な自己分析を示した。この分析が妥当なものであったのか、それとも外交交渉に関わる突発的事象に起因するものだったのか、はてまた政治家の人事介入が存在したのか興味は尽きない。だが、「傾向」からの逸脱が連続するようであれば、政治制度や国際環境の変容といった大きな構造的要因に理由を求めるべきであろう。名前と日付が記された一見無機質なエクセル・シートは、人間に厭くことなき関心を持つ歴史家たちの豊かな想像力を掻き立てるのである。
2017年10月30日執筆