文化7年(1810)の創社。藩主南部利敬公の恩立である。 神祇道では当時最も重要地位を占めていた植村近江が祀職に任ぜられている。現在の祭登などから華美を尽した当時のさまが偲ばれ、多数の奉納額面は文芸の洲叢の観がある。この点決して他社の追随を許さない。桃の木を植え桃の宮とも称した。 後年、遊女町がなくなってから請うて村の鎮守として修験大法院の祭祀に属した。 昭和49年(1974)6月、村指定の重要文化財として額十二面、俳句額三面指定される。